手亡は白い種皮色を持つ小粒のいんげんまめで、読み方は「てぼう」です。手亡より大粒の大福豆や白金時豆など他の白色のいんげんまめの銘柄とともに「白いんげんまめ」と総称されることもあります。 明治時代に北海道の十勝地方で栽培されたのが始まりで、大正時代には網走、上川地方にも普及し、かつては輸出作物として急速に生産量を伸ばしました。「手亡」という名前の由来は、普及当初の品種が半蔓性であったため、蔓性のいんげんまめで用いられる手竹(てだけ)と呼ばれる竹の支柱がいらないためと言われています。なお、その後の品種改良により蔓が出ない叢性品種が育成され、機械収穫に不適な半蔓性品種はほとんど栽培されなくなりました。。 普及当初は、粒の大きさにより「大手亡」、「小手亡」などと名付けられた品種がありましたが、小粒品種は、戦後、自然に淘汰されて影をひそめ、大粒品種のみが栽培されるようになりました(大粒といっても手亡