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メディアに関するmorutanのブックマーク (5)

  • 急逝したニューヨーク・タイムズ著名コラムニスト、デービッド・カー氏が遺した「メディアの未来への処方箋」(市川 裕康) @gendai_biz

    急逝した当日、スノーデン事件を扱ったドキュメンタリー映画『シチズンフォー』についての自社イベント「TimesTalks」にてモデレーターを務めていたデービッド・カー氏 〔PHOTO〕gettyimages ニューヨーク・タイムズの著名メディアコラムニスト、デービッド・カー(David Carr)氏が2月12日夜、編集室で倒れ、運ばれた病院で58歳の生涯を終えました。検死結果によると死因は肺がんによるものと報じられています。 コカイン中毒、がん闘病体験という過去を持ちつつも、2002年からはニューヨーク・タイムズのメディアコラムニストとしての鋭い分析力や彼独特の人柄により大きな存在感を持ち、ニューヨーク・タイムズ、そしてジャーナリズム業界の擁護者として、幅広く信頼され、愛されているジャーナリストでした。 この突然の訃報はニューヨーク・タイムズでは翌日の一面トップ記事として、そしてワシントン・

    急逝したニューヨーク・タイムズ著名コラムニスト、デービッド・カー氏が遺した「メディアの未来への処方箋」(市川 裕康) @gendai_biz
  • コンテンツプラットホームの未来 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記

    今後のコンテンツプラットホームはコンテンツと融合する 以上、結論。おわり……でもいいんだけど、もうちょっとだけ(実際はかなり)補足する。 ちなみに、このエントリは、ぼくの一連のコンテンツプラットホームに関するエントリで、文句とか批判ばっかりいっていないでどうすべきか書きやがれと、来であれば相手する必要のない定番の文句をたれるひとたちへの解答でもある。 それは、およそあらゆる種類のプラットホームは色がつく方向に進化する、という話だ。 これは通常、IT業界でよく聞く定石とは逆の話だ。プラットホームを提供するプレイヤーは通常は対象となるユーザをすべて囲い込むために中立の立場をとったほうがいいといわれる。プラットホームには色がつかないほうがいいとされているのだ。 実際にCGM/UGC系のサービスの多くで運営側が「われわれはユーザのみなさんが自由につかっていただけるように場を提供することに徹します

    コンテンツプラットホームの未来 - はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記
  • 「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net

    「メディアリテラシー」ということばがある。Wikipediaには「情報メディアを主体的に読み解いて、必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力」と定義してあって、そもそもWikipediaをソースとして使うこと自体がメディアリテラシーの観点からは問題になりうるのだろうが、この定義はよく見かけるものとさほどちがわないように思うので当面これを使っておく。他の定義もいろいろあって、最近は発信者としての個人に着目するものも少なくない(英語版のWikipediaはその色合いがより強い)が、まあそれはそれとして。 でも最近、もう1つ、新たな意味が必要なのではないかと思ったりすることがある。それは、「メディアの人たちのリテラシー」だ。 メディアリテラシーということばは、なんだかんだいっても、マスメディアが発信者、個人が受信者という図式をデフォルトとして念頭においているように思う(歴史的な経緯か

    「メディアリテラシー」に新たな定義が必要かもしれない - H-Yamaguchi.net
    morutan
    morutan 2009/01/01
    MLをメディア左派的なマスコミタタキ論に終始するのはおかしいのではないか、というのは同意。いちおいっておくと本来のMLはこういう意図で中立的に「作り手側の気持ちを考える」必要を考えていた
  • ブログの未来はどうなる--新しいコミュニケーション手段「ライフストリーミング」

    最近、ブログの様相の変化が話題になっている。ProBloggerのDarren Rowse氏は、ブログは今や関係を重視していないのではないかと問いかけた。Scoble氏は、技術系ブログに人々が失望した理由を説明した。誰もがScoble氏の発言に全面的に賛成したわけではないが、ブログの世界には、「Appleの新製品やIT業界の有名人のちょっとした過ち」について書くよりも、何がおもしろいのかをつづるブログに回帰しようという新たな機運が生まれていた。しかし、少なくとも従来の意味で、人々はいまだにブログを必要としているのだろうか。 かつて自身の個人的な考えや意見をインターネットで公開して、ほかの人たちに読んでもらうための主な手段であったブログは、インターネットを民主化する動きとなった。誰もが発表者になれた。しかし現在、コミュニケーション手段として皆に好まれたブログの時代は終わったのかもしれない。そ

    ブログの未来はどうなる--新しいコミュニケーション手段「ライフストリーミング」
    morutan
    morutan 2008/08/19
    録画から生放送、映画からTVへって感覚に近いのかもしれない
  • 2008-06-10 - uumin3の日記-社会的役割

    天才的な才能を持ち育ったハンスという少年は、神学校というエリート学校へ2番の成績で合格する。 町中の人々から、将来を嘱望されるが、神学校の仲間と触れているうちに勉学一筋に生きてきた自分の生き方に疑問を感じる。そして周囲の期待に応えるために自らの欲望を押し殺してきた果てに、ハンスの細い心身は疲弊していく。 勉強に対するやる気を失い、ついに神学校を中退する。 そして、鍛冶職人となり、挫折感と、昔ともに学んだ同級生への劣等感から、悲劇の最後を迎える。 (Wikipedia語版より あらすじ) コメントで書いたように、細部こそ違えこれが思い出されてしまいました。 ハンスはエンマに純情をもてあそばれるだけ「まし」かもしれませんが。 読んでいて苦しくなるトラウマ小説*1では一、二を争うものです*2。 *1:一般にはビルドゥングス・ロマンとされています *2:個人的に ある専門職が十全の知識に基づい

    2008-06-10 - uumin3の日記-社会的役割
    morutan
    morutan 2008/06/11
    例のワイドショーなんかの「専門家」のコメントとか、それ以前に「専門家」による心理分析の是非、とか(「予防効果ないじゃん」
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