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善に関するmorutanのブックマーク (93)

  • おまけというか倫理性というか身分の名残というか - finalventの日記

    人はけっこう立ち居振る舞いでそういうのがわかってしまう。いいことか悪いことか、まるでわからないけど。 べ方とか、何を美味しいと思うかとか。 ちょっとした他者への個々配りとか、正義への愛とか。そう、私が帰国子女の娘さんとか若い頃嫌いじゃなかったのは、ストレートに正義を持っている人が多かった。まあ、今の歳になるといいことか悪いことかわからない。 読むとか音楽とか。 一見するとただの趣味でしょ、個性でしょみたいだけど。でも、ちょっと違う。 で、そういうのは、もうなんか存在の根幹から滲むようなもので、どうしようもないと思うし、なんというか、身分というのは生まれながら決まっているんじゃないかという感じもする。 曖昧な言い方だけど、成り上がった人間は、やはり成り上がりでしかないし、歳を取るとそういう部分は、地が出てくると言いたいところだけど出てこないで、なんか奇妙なアンバランスになる。苦労人という

    おまけというか倫理性というか身分の名残というか - finalventの日記
    morutan
    morutan 2007/06/18
    はげどー。あと、顔にも出ると思う(世間的な美醜ではなく) | http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070617/1182083226 | ここは生きられた経験に依存、かな http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070617/1182082723
  • 全注釈付き『善の研究』 - G★RDIAS

    善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫) 作者: 西田幾多郎,小坂国継出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/09/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 42回この商品を含むブログ (26件) を見る 西田幾多郎『善の研究』(1911年)と言えば、岩波文庫か、岩波版・西田全集を紐解くのが普通だった。 ところが、昨年に、西田研究者の小坂国継さんの注釈がついた『善の研究』が講談社学術文庫から刊行された。 難読の漢字にルビが振られ、各種の哲学用語・哲学者についての注釈と各章解説が巻末ではなく、文中に挿入されている。西田哲学をこれから学ぼうとする学生にはうってつけ。学生時代に、こういうがあれば嬉しかった。 昭和11年、改版時の序文より。西田の文章は独特のリズム感があり、格調が高いと思う。 フェヒネルはある朝ライプチヒのローゼンタールの腰掛けに休らいながら、日麗らかに花薫り鳥歌い蝶

    全注釈付き『善の研究』 - G★RDIAS
    morutan
    morutan 2007/06/12
    1155円かぁ..。文庫版は見たけど、注釈ということでいちお参照
  • 騙すことが仕事の人間に騙されまいとしても無駄 - finalventの日記

    以前も書いたけど。ま。 騙すことが仕事の人はプロなのだ。それでって、生きてきたのだ。 それに対して騙されまいとして生死をかけてきた人は少ない。 で、騙すということは悪だ。 これは悪いという意味でなく、実体的な質的な悪だと私は思う。 この世の中には悪が存在するとしか思えない。 もっとも、世界が善悪の戦いといった二元論なのかはわからない。悪の存在とはむしろ生活経験的なものだ。 で、悪の最大の属性は力だ。 彼・彼女はその力で覆われている。 たぶん、悪にい尽くされてしまった人なのだ。 力そのものが悪であるかどうかはわからない。ただ、悪とは力だ。それにかなう力を得ようとすることでまたその人も悪になってしまう。

    騙すことが仕事の人間に騙されまいとしても無駄 - finalventの日記
    morutan
    morutan 2007/06/12
    『悪とは力だ。それにかなう力を得ようとすることでまたその人も悪になってしまう。』 | 世の中には他人の弱みをうまく見つけ出す才能の持ち主というのがいる http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070611/1181562727
  • 赤の女王とお茶を-真実と倫理と責任と

    mojimojiさんから再応答をいただいた。 おっしゃることはよく分かるのだけど、私にはまだ少し違和感があります。 他方で、自己欺瞞をうまく扱えない人がいる。そういう人がたくさんいる。 こういう人に向かって、「仕方ないんだよ」と(だけ)言うことは、何の意味もない。 前回の文脈でいうならば、世の中には「倫理的な責任」を 「感じない人」 「多少は感じる、あるいは感じるけど切断できる人」 「どうしても感じてしまう人」 がいて、「どうしても感じてしまう人」に気休めを言っても仕方ない、ということだと理解しました。 しかし、それは同時に、「当はできるでしょう?」などという必要もないことになります。言おうが言うまいが「感じてしまう人」なのですから。 結局、「感じない人」や「どうしても感じてしまう人」に対しては倫理的な呼びかけ自体が「役に立たない」といえるでしょう。 となれば、「多少は感じる、あるいは感

    赤の女王とお茶を-真実と倫理と責任と
    morutan
    morutan 2007/06/03
    多少は責任を感じる人、感じるけど切断できる人の士気をどのようにキレさせずに持続するか。過剰な責任追及はヤバイな。でも「善」の設定によって責任感は変わってくる。道義的責任の範囲と科学的因果の峻別
  • 遺体「強姦」は死者復活の儀式 弁護団が「失笑」ものの新主張 

    主婦を殺害した後、「強姦」したのは、「死者を復活させるための儀式だった」。こんなとんでもない主張を、山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審で弁護団がした。ほかにも死刑回避を狙った独自な見方が示され、遺族は「怒りを通り越して失笑した」と批判している。弁護団にはどんな意図があったのか。 「(同じ)弁護士として恥ずかしい」と大澤氏 山口県光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審の公判が2007年5月24日、広島高裁で始まった。2審判決などによると、事件は1999年4月、26歳の元会社員(当時18)の男性被告が、作業員を装って村洋さん(31)宅に入り、村さんのと生後11カ月だった長女の首を絞め殺害した。殺害後に遺体を姦淫した。検察側は一貫して死刑を求刑したが、1審も2審も無期懲役の判決だった。最高裁は2006年6月、「殺害の計画性のなさや、少年だったことを理由とした死刑回避は不当」として、審理

    遺体「強姦」は死者復活の儀式 弁護団が「失笑」ものの新主張 
    morutan
    morutan 2007/05/26
  • 痛いニュース(ノ∀`):光市母子殺害事件 弁護側「死姦は蘇生行為」と主張

    1 名前:リスナァφ ★ 投稿日:2007/05/25(金) 07:19:25 0 一九九九年四月に光市で起きた母子殺害事件で殺人などの罪に問われ、最高裁で無期懲役の二審判決を破棄、審理を広島高裁に差し戻された犯行時少年の男性被告(26)の差し戻し審初公判が二十四日、広島高裁であった。犯行時十八歳一カ月だった男性被告への死刑の可否をめぐり、検察、弁護側が主張を述べた。 弁護側は女性暴行目的で襲い、首を絞めて殺害したと認定した最高裁の判断について 「自殺した母への人恋しさから抱きついた。乱暴の意思はなく殺意もない」と主張。 女性暴行致死罪などではなく傷害致死罪の適用を求めた。 「家族から暴行を受けるなど精神的に発達する機会を失い、犯行時の精神状態は著しく 未成熟で成人と同等に非難することはできない」などとし「贖罪(しょくざい)の気持ち を表し、生きて償おうとしている」として更生

    morutan
    morutan 2007/05/26
    原告も言っていたように、「死刑制度廃止のための手段に過ぎない」と見ている向きがあって非常に失礼 (演出も茶番に過ぎない)。遠藤弁護士ならどのように論を展開されたかと思う
  • 地域ニュース | 中国新聞デジタル

    古民家で児童発達支援、遊び通じて苦手克服 敷信村農吉、庄原に事業所開設へ (2/26) 庄原市で保育所運営や農産物・加工品販売を手掛ける株式会社敷信村(しのうむら)農吉(のうきち)=板橋...

    地域ニュース | 中国新聞デジタル
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    morutan 2007/05/26
    実質「殺せ」という差し戻し
  • 共感する力は「能力」か? - Arisanのノート

    昨日のエントリーのブックマークにkmizusawaさんが、能力というより向き不向きのようなものがたしかにある、といったことを書いてくれてたけど、たしかにあそこに書いた他人の困窮への「感受力」みたいなものまで「能力」と名づけてしまうのは、ぼく自身の能力主義傾向の表れかもしれない。 そこを「向き不向き」と考えられれば、ずっとスムースに動けるのかも、と思う。 ぼくはどうしても、個体というか、比較可能な「自分」にこだわってしまう面が強いのだ。 エントリーのなかにも書いたように、実際の支援(救済)の現場では、実際的なあれこれの能力が必要で、それは「能力主義」ということではなくて、機能的な意味でそれぞれの能力を評価し、(たとえば賃労働の場においては)労働力の価格算定の基準とすることは是認されるだろう。 「できる人」に、できることをやってもらい、それに応じた報酬を支払い、「救済」のためにさらに努力しても

    共感する力は「能力」か? - Arisanのノート
    morutan
    morutan 2007/05/25
    他者への想像力は基礎的な力として鍛えられるものなのか?それとも特性のようなもので後天的発達はムリなのか? (cf.能力主義とハイパーメリトクラシー)
  • すいかをまるごとひとりで食べる - 空中キャンプ

    たとえば、すいか。もしくは、6Pチーズ、レディーボーデン。なんかこう、独占したいっていうか、誰にも渡したくない、ひとりでぜんぶいたい、って感じのいものがあるね。そして、えもいわれぬ独占欲につき動かされて、ひとりですいかをまるごと一個べてやろう、すっかり独占してやろう、と決意して、最寄りのスーパーへ出かけ、大きなすいかを買ってきたとする。赤いビニールひもみたいなのにぶらさがった、一玉のすいかを。でもえない。あきらかに量がおおすぎる。冷静にかんがえれば、すいかをまるごと一個べるなんてむりだ。どうしても、途中で飽きてしまう。 ここでわたしが世に問いたいのは、彼が自らの情熱を過信していた点である。「える!」とおもったんだろうね。あはっ、粗忽。きゅるん。結果、えずに残してしまう。余ったすいかをかぶと虫にべさせたら、かぶと虫が下痢してしまった。かわいそう、かぶと虫。ことほどさように、わ

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    morutan 2007/05/09
    「冷静と情熱の間」は女のけつに向かう、と。生活と身体。そして女のけつをみるおっさん1人 http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20070508/1178614283
  • mixi(ミクシィ)

    mixi(ミクシィ)は、友人・知人とのコミュニケーションをさらに便利に楽しくするSNSというサービスです。

    mixi(ミクシィ)
    morutan
    morutan 2007/05/08
    価値とはなにか?そしてその器と考えられる「こころ」とは?
  • Moral Sentiments And Material Interests - 池田信夫 blog

    エゴイズムを正面きって肯定し、個々人が欲望を最大化する結果が「見えざる手」によって最適の結果をもたらす、というのがアダム・スミス以来の経済学のセントラル・ドグマだ。しかしスミスには、もう一つの(ほとんど読まれない)『道徳感情論』というがある。ここで彼は、他者への「共感」がなければ社会秩序は維持できないとした。 経済学は後者の議論を無視し、利己的な動機だけで秩序(均衡)が成立することを数学的に証明しようとしたが、一般均衡理論はかえって現実的な条件では均衡は存在しえないことを証明してしまった。超合理的な「代表的個人」を想定する合理的期待仮説も、実証的に棄却される。経済学者の多くも、合理主義的な経済学に未来はないと思いながらも、学生にはそれを教えている。系統的な理論は今のところそれしかない、というのが彼らの言い訳だ。 しかし最近では、行動経済学や実験経済学の結果を理論的に説明しようという試

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    morutan 2007/04/29
    アダム・スミス問題。あるいはシステムにおける多様性(文化)の問題と言ってもいい。公共善への志向は後天的な環境要因によるもの、と。
  • Amazon.co.jp: なぜ人は破壊的な感情を持つのか: ダニエルゴールマン (著), ダライラマ (著), 加藤洋子 (翻訳): 本

    Amazon.co.jp: なぜ人は破壊的な感情を持つのか: ダニエルゴールマン (著), ダライラマ (著), 加藤洋子 (翻訳): 本
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    morutan 2007/04/29
    この辺かなぁ
  • くるる マッチングアプリ

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    morutan 2007/04/23
    『これらが許されるのはチベット仏教においてきちんと法脈を継ぎ、ほとんど菩薩といってよいくらいの修行者のみである』
  • 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ

    「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日史を知っている人なら僧兵や願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。 大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。 515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こ

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    morutan 2007/04/23
    「ヒロシマによって多くの人が救われた」説か・・。これ自体はいちお反論しとこう。それとば別に、多数の便益のために少数の犠牲は止むを得ないか・・・
  • 知性なき「はてな」―本の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ)

    あなたの経歴を知っているわけではないが、少なくとも現代の先端を走る技術者はほとんど書籍には頼らない。なぜなら書籍がでるころにはすでにその技術はコモディティ化しているからだ。 もはや技術のスピードはがでるようなスピードでは進化していない。もちろん普遍的な技術もあるのでそういったものは書籍に頼ったほうが効率が良いだろう。だが最先端を進むには、普遍的な技術プラス新しい技術を見る目が必要なのだ。 あなたの記事を読んでいると、とてもここ最近のインターネットの事情について詳しいとは思えない。もう少し勉強してから批判をしてみてはいかがだろうか

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    morutan 2007/04/07
    「鈍感な正しさは害悪」という問題。ところで伊藤さんと言えば「心にナイフを~」読んで書評してたな
  • よく釣れているので首尾よろしなんだが - finalventの日記

    ぶくま⇒はてなブックマーク - 知性なき「はてな」−の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ) もと⇒知性なき「はてな」−の読めない技術者・伊藤直也 (セックスなんてくそくらえ) finalvent言及があるのでちょっとご挨拶がてらというか、こういうと誤解されるかもしれないけど、このエントリについてはきちんとスルーでいいのだと思うのだけど、noon75さんのことが私なりにちょっと気掛かりなところがあるので(とかいうと欺瞞とか偽善に見えちゃうのだろうけど)ちょっとだけ。 梅っちもnaoyaも、jkondoも理系の人ですよ。 はてな非モテとかフェミ的なもの基的に理系の人の議論ですよ。 はてなというのは、そういう理系なものが語り出した不思議な空間ですよ。 いわゆる左翼的なものとか教養主義的なものは、ぷわーんと浮いている。 私なんかもそろそろ浮きそうというかすでに浮いていると

    よく釣れているので首尾よろしなんだが - finalventの日記
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    morutan 2007/04/07
    『歳を取ったら陰口でばーかばーかとかクローズに言い合ってくたばるのがよいのだ。無害でよろし。それも老いた者の消え方だからだ』
  • 顔を憎んで鼻を切れば、唇も消える: 黒人や障害者、被差別部落と売春婦蔑視を一緒にするな、という発想。まさにそれこそが差別。差別とはそもそも「差異を理由に」生じるもの。

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    morutan 2007/03/17
    (個人的に)「被爆のマリア」関連でエントリ立てようかな。無原罪のマリアは「聖」的存在だけど近寄りがたい。「被爆のマリア」は見た目は汚いけど突き放すような正しさはない(偽善がない)。「聖/俗」非分離
  • 間違った生き方があるのか、本当の生き方があるのか、わからない - finalventの日記

    ただ、関係のなかで人は「罪」足りえる。 だけど、「罪」は許されうるかもしれないのに、その「罪」を逃れることで「愛」の可能性を失うこともあるのかもしれない。 そこが生きることの難所のようにも思うし、そうした難所にある人をあまり他人事には思えない。 でも、それは、語れば、欺瞞。人は、「罪」と「愛」の括弧を外して生きなくてはならないのだから。 私はこうしたことを考えるときティリヒを思い出す。 ティリヒはなぜこんな恐ろしいことを言うのだろう。 批判者になったり、反逆者になったりすることは、それほどむずかしすぎるなどということはありません。しかし、何かに対して妥協しない、自分に対してすら妥協しないで、しかも偶像礼拝に対する神の審きを告げることはたいへん困難です。その勇気ある行為が、苦難や殉教を招くかもしれないからというのではありません。失敗の危険を含むからです。私どもの意識のなかにある何かが、つまり

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    morutan 2007/03/02
    罪の意識は弱ってるときに感じたけど、赦しを求めたことはない。いや、一度あったか。たぶんその杭は一生残っていくのだろう。あるいは、被爆のマリアが引き受けてくれたのかもしれない
  • あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記

    って感じかな、俺はね。 私は人間の人生というのは失敗するようにできているのだと確信している。 なので、成功を実感しつつ、ポジティブに生きている人間というのがよくわからない。ボルネオには私の知らない生物がいるのと同じくらい。 というあたりで、考えが止まる。 まあ、いいや、私は私なり考えてみよう。 生きていると困難にぶつかる。半分は偶然だ。しかし、その偶然が、げ、それはないでしょっていうくらい悲惨なことがあるのが、人生の不可解の一つだ。ここから得られる一般論は、人生というのは大方運命だな、と。 死んだ人は帰らない。 失われた愛は戻らない。 がっつんと不運に会ったら人生は終わるまでの不良債権処理みたいなもん。 で、あと半分だが。 自分が生きようと目論見ると、困難になる。これは多分に、自分は自分の心に嘘はつけないなというところに端を発している。もちろん、自分の心に嘘をつけないやつなんか社会に生きて

    あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記
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    morutan 2007/01/25
    『自分の心に嘘をつくと、どうやら発狂するか病気になる』 | 端緒:http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070125/1169695957
  • はて? どなた様でしょうか? - finalventの日記

    トラバもろた。釣られてみる。 いや皮肉ではなく、id:eshekさんという方のこの問題の位置がよくわからない。 ⇒ことばと敬意 : eshekの日記 いわゆる松永さん問題はワタシ的にはもう終わっている。 ここで終わり⇒finalventの日記 - id:matsunagaさんに答える 「日の市民社会=公」に関連する部分で、自分のインサイトや思想とか知識などが意味を持つかもしれない事象についてはもう終わっている。 あるいは、私が私のとらえている問題構図を理解してないなら、スペシフィック(限定的に具体的に)問いかけしてもらいたい。なんつうかブロガーとして答えますよ。 そのあと、ときたまトラバとかリファラを見ると、なんかよくわからない攻撃が私に向けられているように思うのだが、率直に言って理解不能。 問題ではない地平で、AとかBとかがネット的な釣り祭りをやっているようにも思うが、これも率直に言っ

    はて? どなた様でしょうか? - finalventの日記
    morutan
    morutan 2007/01/24
    オウムとか吉本隆明とかのリンクセット