日本人と日本文化 スポンサード リンク ・日本人と日本文化 司馬遼太郎とドナルド・キーンの対談。古典的名著。 キーンの日本文化についての知識の幅広さと深さに驚かされる。議論の中で何度も司馬遼太郎が防戦側に回っているように感じた。8本の対談が収録されている。議論はだいたい日本らしさ、日本人らしさとは何か、ということに収斂する。キーンに言わせると歴史的にみて「日本人はいつも何が日本的であるかということについて心配する」民族であったらしい。 原理というものに鈍感な日本人は、仏教と神道と儒教をごちゃまぜにして平気である。「日本の歴史を眺めておりますと、あらゆる面に外国文化に対する愛と憎、受容と抵抗の関係があるように思われます。」とキーンは指摘する。最初は軽蔑したり嫌々ながらに外来を取り入れていくが、やがて不可分なほど融合する。日本の文化史というのは、確固たる日本文化があるわけではなくて、外来文化が
« 蚊、ゴキブリの嫌がる音波をスピーカーから発振するCA-CONE | Main | HGUC 1/144 MSM-10 ゾックと機動戦士ガンダムTHE ORIGIN » 書評:脳・こころ |書評: 企画・発想| 書評:文化・文明|書評:経済・経営 |書評:子 供・教育|書 評:小説・戯曲|書評:ネット活用 |書評: 仕事・管理|書 評:メディア論|書評:その他|書評:思想・哲学 |書評 :文章・表現|書評:認知・心理 |書評:神 話・宗教|書 評:科学・技術|書評:社会・世間 |書評:教養 ・雑学 2006年度 年間オススメ書籍ランキング ノンフィクション部門 2006年度 年間オススメ書籍ランキング フィクション編 2005年度 書籍売り上げラン キング ベスト20 2005年度 年間オススメ書籍 ランキング ベスト20冊 2004年度 人気記事ベスト10 アクセス数が多かった記事とは
When a thing has been said and well, have no scruple. Take it and copy it. -- Anatole France ※いまのところのこのたんぶらで扱ってく話題についてはこの辺を 、生態についてはこの辺をご覧ください m_um_u この「初詣の由来」ってのおもろいな。主旨としては、『元々は各家の祖霊の融合たる氏神を祭るものだったが村みたいな共同体ができて氏神の異なる人々が集まるようになって共同の氏神を祭るようになったのが始まり』、と http://kousyoublog.jp/?eid=1337 m_um_u ぶくまこめにもあるように恵方やらなんやらがごちゃまぜになってるみたいなのでちとびみょーなのかもしれんけど発端のエントリ「初詣は国鉄のイベント」とは違うってのは出せたので良かったんじゃないかと思う m_um_u んで、
気がついたら一月近く何も書いてなかった。やべやべ。 利権が無い文化を育てれば日本は生き残れる - アンカテ ばばぁの繰言だけど、「ポケモンは自然に売れたんじゃない」という話 - michikaifu’s diary アメリカ市場とアメリカ人のギャップと Uncategorizable な日本のコンテンツ - アンカテ 僕は海外に住んだこともないしコンテンツ産業の専門家でもないから今から書くことは単なる音楽好きの意見ね。 サブカルチャーとして、大人のオタクの間で好まれるものというのは私にはよくわからないが、いわゆる「普通のアメリカ人でも目にする、消費する」タイプのメジャー・コンテンツとしては、「one of them」程度だと思う。 ばばぁの繰言だけど、「ポケモンは自然に売れたんじゃない」という話 - michikaifu’s diary さて、こうした時に持ち出される「日本発のコンテンツ」
日本教があるから。 「日本教」モデルをネットワーク分析する balance or inbalance: HPO:個人的な意見 ココログ版 逆に、昨今「普通の国日本」というか、「強い日本」論が今後取り沙汰されるのだとすれば、それは実体語としての日本経済がいよいよ行き詰まったということ示すのだろう。 [書評]日本教の社会学: HPO:個人的な意見 ココログ版 市場が自律的な調整機能を、つまりは集合知を、発揮するためには、参加者の多様性が大前提となる。個々の参加者は全ての情報を持っている必要はない。逆に言えば、一人一人が頭につけた見えないカードをあてあうゲームこそが市場なのだろう。 しかるに日本においてはすでに情報は飛び交い、判断は均一化している。まして相手がなにを考えているかを、ことばにならないうちから察する技術に長けている。 つまりは異常にけわしいフィットネス・ランドスケープ(適応度地形)が
米国サービス分野はなぜ強いのか なかなか興味深い記事ですね。アウトソーシングを進めながらも、米国がサービス業務のグローバル化の恩恵を満喫しているという話。 もっとも米国企業のアウトソーシング活用に関して言うと、一般にはインドにおけるコールセンター運営やソフトウエア開発など、海外へのアウトソーシング(オフショアリング)が話題になることが多いが、実のところ米企業のアウトソーシング全体に占めるオフショアリングの割合はごくわずかなものに過ぎない。 全米行政アカデミーの調査報告によると、米企業によるサービス業務のアウトソーシングの大半は米国内にある他の企業へのものであり、オフショアリングは国内アウトソーシングの20分の1程度に過ぎないとされている。例えばコールセンターで言えば、インドよりもむしろユタ州など国内の低コスト地域へのアウトソーシングの方が規模的にははるかに大きい。海外へのアウトソーシングの
渡辺千賀さんの「日本は世界のブラックホールか桃源郷か」というエントリー。「そう、そう」とうなずきたくなるようなエントリーだが、私が数年前から使っている表現は「日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島」。 2000年ごろから始まった、日本特有の「ケイタイ文化」の進化は、主に言語と人種と非関税障壁の壁により隔離された日本だからこそ起こったと言え、文化人類学的に見ても、グローバル経済の面から見ても、とても面白い。だから、米国のワイアレス関係の人たちの中でも目利きの人たちは、あいかわらず日本を特殊な実験場のような目で注意深く見ている。 隔離されているからこそ、独自の変化を遂げることが出来ているのも一つの特徴だが、それゆえに「外来種」にあっという間に駆逐されてしまったり、海外でまったく勝負できないなどの例も後を絶たない。最近ではスターバックスが良い例である。昔良く見かけた「マイアミ」とか「カトレア」は
334 :可愛い奥様:2007/06/26(火) 09:46:19 ID:raxdPvfD0 OLだった頃、会社で働いていた日本に超詳しいベルギー人が言ったことに納得してた。 日本文化は身内受けの凝り性文化だそう。 外国文化に負けまいとしているのではなく、 世に意図的にインパクトを与えようとしているのでもなく、 今ここにいる同じ価値観を共有する仲間からの喝采を浴びたいと考える。 その結果、同じものを志す者同士の「これすごいだろ、おもしろいだろ」合戦が始まり、 そこで生み出される物が自然と研ぎ澄まされていく。 でもその競争は、敵対的なものではなく、お互いを尊敬しあいながら、静かに深く進行していく。 そしてある日、偶然目撃した異文化出身の人間(外国人)から、 それがすごいものであることを知らされる。 ほとんどの日本人はその日が来るまで、自分たちが作り上げた物がすごいものとは知らない。 もろもろ
カワイイもの好きなおっさんはコモノが好きで カワイクないおっさんはハコモノが好き そういう傾向があるように感じられるのはワタシだけでしょうか?(まぁ、そうでしょうね) で、ぼくとしては前者に当たるわけですが、その辺のところはこの辺見ていただければ分かります。 はてなブックマーク - morutan@はて部 / これはかわいい おっさんはかわいいものが好きです。 ってか、 かわいいものがすきなおっさんもけっこういます。 その「かわいさ」というのは渋谷発なギャルどもが発する「こぉれかぁ~わぁ~いぃ~いぃいぃ~」的なかわいさおしつけ型のかわいさとは一線を画すように思います。 やつらの発するそれに違和感を覚えるのは、対象のかわいさではなく「それをかわいいと思う私ってかわいい?」的な押し付けがあるからなんでしょう。 そういう意味では前段エントリともちょっと関連するように思います。 muse-A-mu
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