ダウンロード違法化/iPodの補償金対象化」がほぼ決定した件と、ITmediaの記事で抜粋されている発言についての補足 考え込んでしまう。 表現というものは2つの立場が揃ってはじめて成立する。 表現する者と、それを鑑賞する者だ。どちらかが欠けても成り立たない。 文化庁は権利強化の方向にまたもや動き出したみたいで、それは表現の敷居をあげるという意味で大変残念な話。 権利団体や音楽会社を責めるのは簡単だ。意味も分からず「カスラックは死ね」って言ってる人沢山いるでしょ?それは一面では当たりで彼らも責められるところもあると思うが、でもこの状況はJASRACだけが悪いわけじゃない。 もう1つ責めないとならないものがあるでしょ。受け手。鑑賞者、消費者、ユーザー。名前は何でもいいけど、その作品を受け止める側に何か問題があるとは考えないだろうか? 例えば、アフィリエイトやPV稼ぐ目的で、勝手に他人の権利物
常食という言葉がある。 これは「駅前の歩き方」というグルメコミックで使われた言葉で、一言でいえばご当地グルメと呼ばれるもので、広告代理店がプロデュースしたような観光客向けの料理ではなく、その土地土地の人間がごく当たり前に食している大衆的な地元料理のことを指す。 「駅前の歩き方」は実のところ面白くはない。いかにも大味な増刊コミックという趣だったのだが、視点はなかなかフレッシュではあった。長野の伊那のローメン(ソース焼きそば風の、言うなればソース蒸しそば)、長崎のトルコライス(ピラフとカツとナポリタンを一つの皿に盛ったでんぷん油食。肉体労働者の強い味方フード)、日系ブラジル人のコミュニティがある群馬は大泉のフェジョアーダなどなど。 http://www.inacci.or.jp/contents/meibutu/rohmen/rohmenindex/rohmenindex.html(伊那 ロー
はじめましてねいぐるみです ※ぬいぐるみじゃないですよ初投稿で至らない所もあると思いますがよろしくお願いします作曲 abekameri 作詞 ねいぐるみ http://piapro.jp/t/q3HMイラスト やきざかな...
ブログで論宅さんに「安原さん、鈴木謙介さんの新刊でネトウヨっていわれてますよ、典型的だよ」(大意)っていわれたので、「ウェブ社会の思想―〈遍在する私〉をどう生きるか 」読んでみることにしました。論宅さんはコメント欄のやりとりの中で確かに「ふるまいでなく内容ですね、ごめんなさい(大意)」とおっしゃってるので論宅さんに別に何も言う気はないのですが、論宅さんのブログを読む限り読解力もあるであろうに、そういうふうにひもづけてしまうような記述はどうなんだろう?と思って読んでみました。 ----- その中でも、特に本書の中で中心的に扱いたいのは、情報社会における「宿命」の前景化という問題だ。情報社会の現代における目標は、私の考えでは、おおむね次のようなものになっているように思われる。すなわち、社会生活のさまざまな場面で、自分は何を選んだか、何を考えたかということが、あるものは意図的に、あるものは自動的
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