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死去と本に関するmshkhのブックマーク (11)

  • 人は皆「自分だけは死なない」と思っている

    今日は所用で休みを取っているところだが,用件も終わったので,ゆっくりしている.3月の大震災以来,いろいろあったが,このブログもおいおい再開していこうと考えるようになった. というわけで(?),以下のブログ記事を読んで,その内容とは関係ないのだが,思いついたことを記録のために書いておきたい. 人は皆「自分だけは死なない」と思っている -防災オンチの日人 http://www.ringolab.com/note/daiya/2011/04/post-1422.html これを読んで,夏目漱石の「硝子戸の中」所収のある小節を思い出した.青空文庫の該当ページから引用する. 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私はなぜ生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。 私としてこういう黙想に耽(ふ)けるのはむしろ当然

  • さくらももこ氏死去 A Day in the Life/ウェブリブログ

    「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧

    さくらももこ氏死去 A Day in the Life/ウェブリブログ
  • 作家の陳舜臣さんが死去 90歳、日中の文化的懸け橋:朝日新聞デジタル

    中国歴史文化に対する豊かな学識を生かした歴史小説やエッセーで知られ、日中両国の文化的懸け橋として活躍した作家の陳舜臣(ちん・しゅんしん)さんが21日、老衰のため死去した。90歳だった。葬儀は近親者のみで行う。後日お別れの会を開く予定。 神戸市生まれ。祖先は中国・福建省の出身。祖父の代に台湾から神戸に転居した貿易商の家で育った。大阪外国語学校(現・大阪大外国語学部)に在学中、作家の司馬遼太郎と親交を結んだ。同学校の助手になったが、敗戦で国籍が日から中国に変わり、研究者の道が閉ざされたため退職。家業を手伝いながら小説を書き始めた。 1961年、「枯草(かれくさ)の根」で江戸川乱歩賞を受け、推理小説作家として出発。67年に約3千枚の大作「阿片(あへん)戦争」を書いたのを機に歴史小説にも進出し、69年、「青玉獅子香炉(せいぎょくししこうろ)」で直木賞を受けた。 生き生きとした人物描写が評価…

    作家の陳舜臣さんが死去 90歳、日中の文化的懸け橋:朝日新聞デジタル
    mshkh
    mshkh 2015/01/21
    亡くなられたか…もう随分長い間読んでないけど,この人の小説はいろいろ読んだなあ.残念です
  • 作家の宮尾登美子さん死去 「序の舞」「鬼龍院花子」:朝日新聞デジタル

    「序の舞」「鬼龍院花子の生涯」など運命にあらがい高い志を持った女性の一生を描き、多くのベストセラー作品を生んだ作家の宮尾登美子(みやお・とみこ)さんが、昨年12月30日、老衰で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営まれた。喪主は次女環(たまき)さん。 1926年、高知市生まれ。芸妓(げいぎ)紹介業の家に劣等感を持って育つ。17歳で結婚、45年3月に教員の夫、長女と旧満州へ。敗戦後に帰国し、農業を営む夫の実家で働きながら小説を書き始めた。 執筆に力を入れ始めた62年、「連」で女流新人賞に。離婚・再婚を経て66年に上京し、雑誌編集者をしながら書いた「櫂(かい)」で、73年に太宰治賞を受賞した。 幕末から昭和まで土佐伝来の琴に託し、芸の道を究める女たちを描いた「一絃(いちげん)の琴」(78年)で直木賞を受賞。女性初の文化勲章受章者の日画家・上村松園をモデルに、朝日新聞に連載した「序の舞」(8

    作家の宮尾登美子さん死去 「序の舞」「鬼龍院花子」:朝日新聞デジタル
    mshkh
    mshkh 2015/01/07
    思い入れのある作家だっただけに,残念です
  • 作家の連城三紀彦さん死去 「戻り川心中」「恋文」:朝日新聞デジタル

    「戻り川心中」「恋文」などで知られる直木賞作家の連城三紀彦(れんじょう・みきひこ、名加藤甚吾〈かとう・じんご〉)さんが19日、胃がんのため名古屋市内の病院で死去した。65歳だった。葬儀は近親者で営んだ。 愛知県出身。早稲田大在学中から小説を書き始め、1977年、「変調二人羽織」で探偵小説誌「幻影城」の新人賞を受けてデビュー。流麗な文章での心理描写と鮮やかなトリックが両立するミステリーに定評があり、81年「戻り川心中」で日推理作家協会賞。恋愛小説、時代小説も手がけ、84年「宵待草夜情」で吉川英治文学新人賞、「恋文」で直木賞、96年「隠れ菊」で柴田錬三郎賞を受けた。 映画好きで知られ、大学在学中にシナリオ勉強のためにフランスに留学。「恋文」など多くの作品がテレビドラマや映画になった。 直木賞受賞後に得度し、仏門修行のため休筆したこともある。2009年に胃がんが見つかり、闘病していた。08年

    mshkh
    mshkh 2013/10/22
    これはショックだ…
  • 時事ドットコム:オトフリート・プロイスラー氏死去=ドイツ児童文学作家

    オトフリート・プロイスラー氏死去=ドイツ児童文学作家 オトフリート・プロイスラー氏死去=ドイツ児童文学作家 ドイツの児童文学作家オトフリート・プロイスラー氏=2010年10月、ミュンヘン(EPA=時事) オトフリート・プロイスラー氏(ドイツ児童文学作家)18日、ドイツ南部プリーン・アム・キームゼーの福祉施設で死去、89歳。著書は55カ国語に翻訳され、世界で5000万部以上を売り上げた。  23年、旧チェコスロバキアのリベレツ生まれ。第2次大戦にドイツ軍兵士として従軍。戦後、同国南部ローゼンハイムに移住し、教師を務めながら執筆活動を続けた。代表作に「クラバート」「大どろぼうホッツェンプロッツ・シリーズ」「小さい魔女」など。(2013/02/20-20:47)

    mshkh
    mshkh 2013/02/20
    ええええ,大ファンだっただけに,これはショック…
  • ウェブリブログ:サービスは終了しました。

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    ウェブリブログ:サービスは終了しました。
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    ウェブリブログ:サービスは終了しました。
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  • 「どくとるマンボウ」北杜夫さん死去 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    ユーモアあふれる“どくとるマンボウ”シリーズや、大河小説「楡家(にれけ)の人びと」で知られる作家、芸術院会員の北杜夫(きた・もりお、名・斎藤宗吉=さいとう・そうきち)氏が、24日死去した。 84歳だった。告別式は親族で行う。 近代短歌を代表する斎藤茂吉の次男として東京に生まれた。旧制松高を経て東北大医学部に進学。卒業後の1954年、初の長編「幽霊」を自費出版した。 60年には、水産庁の調査船に船医として半年間乗った体験をユーモアを交えて描いた「どくとるマンボウ航海記」を発表。「昆虫記」「青春記」などマンボウものを出版して人気を博した。 同年、ナチスと精神病の問題を扱った「夜と霧の隅で」で芥川賞。64年には斎藤家三代の歴史を描いた「楡家の人びと」を刊行、毎日出版文化賞を受けた。「さびしい王様」など、大人も子供も楽しめる童話でも親しまれた。「青年茂吉」など父の生涯を追った評伝で98年、大仏

    mshkh
    mshkh 2011/10/26
    愛読した作家の一人でした.残念です.
  • asahi.com(朝日新聞社):作家の三浦哲郎さん死去 芥川賞「忍ぶ川」、短編の名手 - おくやみ・訃報

    自らの文学について語る三浦哲郎さん=2000年、東京都内の自宅で  簡潔な文体に清冽(せいれつ)な叙情をたたえた小説「忍ぶ川」や、味わいのある短編で知られる作家の三浦哲郎(みうら・てつお)さんが、29日午前4時33分、うっ血性心不全のため東京都内の病院で亡くなった。79歳だった。通夜は身内で営み、葬儀は9月6日午前11時から岩手県一戸町大沢25の広全寺で。喪主は徳子(とくこ)さん。  6人きょうだいの末弟として生まれ、20歳になるまでに2人の姉が自殺、2人の兄が失跡。文学を通して、この滅びの血の問題と向き合う。早稲田大仏文科在学中から井伏鱒二に師事した。  自らの結婚を題材とした「忍ぶ川」で61年に芥川賞を受賞した。東北出身の大学生と料亭で働く女性が愛し合い、不幸な生い立ちを乗りこえて生きる物語は、戦後を代表する純愛小説の一つとされる。  「拳銃と十五の短篇(たんぺん)」(野間文芸賞)、

    mshkh
    mshkh 2010/08/29
    忍ぶ川は素晴らしい小説だった.合掌.
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