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じゆうに関するmujigeのブックマーク (25)

  • カムアウトをしない「自由」はない。クロゼットは「権利」ではない。 - *minx* [macska dot org in exile]

    イチカワユウさんの、「カムアウトするかしないかは個人の自由である」というエントリにコメント。 アメリカのアクティビストたちは、カムアウトしろしろというけど、そりゃあんたがアメリカにいるから出来るわけであって、日では当に特殊な人…学者とか学者とかゲイ雑誌の編集者とかゲイバーの経営者とか美容師とかアーティストとかフリーランスとか外資系じゃないとなかなかカムアウトしてアクティビストになるのは難しいんだよ…!と叫びたかった。もちろん、日でもごく普通の社会人や学生でカムアウトしている人はいる。でも、それはまだ少数であり、やはりまだカムアウトして常にオープンなゲイとして生きることは難しいのは事実だと思う。 ですから、人はいつ、誰に、どうやってカムアウトするかを自分で決めるべきですし、誰からもカムアウトを強制されるべきではありません。カムアウトしても、養ってくれるゲイリブ団体があるわけでもなし。人

    カムアウトをしない「自由」はない。クロゼットは「権利」ではない。 - *minx* [macska dot org in exile]
  • 何のためのカミングアウト? - おまわりさんのはなみず

    Ry0TAさんの日記から孫引き。 クローゼットからのカミングアウトに何か自己肯定的な、実際解放的なものがあるとしても、それは、カム・アウトすれば、従属状態から逃れ、一切の足枷のない自由な状態になれるからではけっしてない。むしろ逆だろう。カム・アウトすることは、また違った種類の危険と制約に自らをさらすことであり、自分で手軽なスクリーンになって、ストレートの人々がいつだってゲイに対して抱いている幻想を引き受けることである。そしてなにより、自分の身振り、発言、表現、意見のすべてに、ホモセクシュアルのアイデンティティを認めた者、という、とてつもなく大きな社会的意味が加わってくる。(Halperin 1995=1997: 48-49.) デイヴィッド・M. ハルプリン/村山敏勝訳『聖フーコー―ゲイの聖人伝に向けて』太田出版, 1997. 「カミング・アウト」の言説は明らかにその目的をはたした。だがそ

    何のためのカミングアウト? - おまわりさんのはなみず
    mujige
    mujige 2009/08/12
    “だから何だというのでしょう。…生きやすさよりも大切なことがあるから行うのがカミングアウトではないですか。 正直者が馬鹿をみることはわかっていて、それでも正直でいようとする意思なのではないですか。”
  • Non-Fiction(Remix Version) | ヘイトスピーチと言論の自由

    Apemanさんのこのエントリーを読むと、なんだか、「ヘイトスピーチにも言論の自由を!」とか言い出す人がいるようなのだけど、それは無理ってものだ。何が悪いか分からないと言いながらその口で言論の自由とか言っちゃうのが信じられん。 ヘイトスピーチにはおよそすべてについてと言って良いくらい共通して持っているメッセージがある。それは「お前たちは黙れ!」というものだ。性犯罪の被害を訴える人に対して押し寄せるセカンドレイパーも、歴史の証言者を嘘つき呼ばわりする歴史修正主義者も、外国人を排斥しようとするレイシストたちも、彼らはその相手から言葉を奪い、発言できなくするように仕向ける。それは単に言葉だけで行われるものではない。彼らが投げかける言葉の裏には、社会の差別構造や、匿名性に隠れての攻撃、場合によっては具体的な暴力さえ使って相手を黙らせようとする意図がある。ヘイトスピーチとはそれ自身が言論の自由の敵な

    mujige
    mujige 2009/07/16
    つまり、「差別する自由はない」という話だと思うんだ。参考→ http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090622/1245648319
  • マクリーン事件 上告審

    在留期間更新不許可処分取消請求事件 最高裁判所 昭和50年(行ツ)第120号 昭和53年10月4日 大法廷 判決 上告人 (被控訴人 原告) ロナルド・アラン・マクリーン 代理人 秋山幹男 外1名 被上告人(控訴人  被告) 法務大臣 ■ 主 文 ■ 理 由 ■ 上告代理人秋山幹男、同弘中惇一郎の上告理由 [1](一) 件につき原審が確定した事実関係の要旨は、次のとおりである。 [2](1) 上告人は、アメリカ合衆国国籍を有する外国人であるが、昭和44年4月21日その所持する旅券に在韓国大使館発行の査証を受けたうえで邦に入国し、同年5月10日下関入国管理事務所入国審査官から出入国管理令4条1項16号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令1項3号に該当する者としての在留資格をもつて在留期間を1年とする上陸許可の証印を受けて邦に上陸した。 [3](2) 上告人は、昭和45年5月

  • 多言語・多文化総合プログラム | 10月31日 山口元一さんの講義終了

    コーディネーターの青山です。日は弁護法人あるとの弁護士山口元一さんに、外国人をめぐる法律問題について語っていただきました。具体的な事例にもとづきながらも、法的側面からみた日の外国人に対する意識を鋭くつく問題提起に富んだお話でした。山口さん個人のブログもありますので、ごらんください。 弁護法人あるとでは、みなさんの先輩である東京外国語大学卒業生が6人もそれぞれの語学力を活かして活躍しているそうです。山口さんも、受講生たちの将来に期待されていました。来週は、法廷通訳の中西智恵美さんのお話をうかがう予定です。 以下、青山による今日の講義のまとめです。なお、日は配付資料はありません。 今日の講義では、まず初めに、在外公館(外務省)が発行する推薦状である査証と上陸審査時に入国管理局長(法務省)が付与する在留資格の違いを説明され、いわゆるビザ(visa)というのは査証のことであるが、日常的には在

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    mujige 2009/07/13
    “ベトナム反戦デモに参加した外国人の在留期間の更新不許可を認めた1978年10月4日最高裁判決”
  • ここギコ!: 三度、在特会カウンターデモについて

    Posted by nene2001 at 20:39 / Tag(Edit): 外国人排斥 デモ / 0 Comments: Post / View / 0 TrackBack / Google Maps 他のエントリ挟んだので間が空きましたが、最初の、二度目のに続いて、三度、在特会カウンターデモについて書きます。 一応最初に明確にしておくと、これも含め3回のエントリで書きたいのは、特定の主張をして別の主張の折伏したい、というのではなくて、既にある対立した2主張に対して、私はどちらの主張も局面によっては間違いだとは思えないので、その対立がい違う原点になったのはどこかを明確化すれば、そこまで巻き戻せば妥協点が探れるんじゃないの?ということです。 あえて言うなら、何かを折伏したいとすれば、主張が対立した事によって、「あいつらは先鋭化した、話が通じなくなった」と心理的に切断し

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    mujige 2009/07/12
    お褒めにあずかったのに実質何もできておらずお恥ずかしい限り。/入管政策の大枠は反日だのという感情面より、もっと実務的・功利的に(総枠○人とか)決まってるのでは。個別の闘いと同時に、その構造も突きたい。
  • 今夜の焼きザカナ 軽くて重いことば

    今夜の焼きザカナ こんがり味噌しょうゆ味の、深海魚のどうでもいい今日の出来事。只今、コメント投稿時の画像認証と、言及リンクのないトラックバックの制限を行っております。 2024年03月/ 02月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫04月 いくつか書きかけの記事がたまっていますが、この件だけ急いで先に書きます。後ほど下書き状態になっているエントリを優先順位をつけて完成させていくつもりなので、もっと前の日付の記事がいきなりアップロードされることになるでしょうが、ご理解願います。 といっても、すでにだいぶ出遅れてますが。 ・「在特会許すな!ファシスト倒せー、おー!」 - はにかみ草 ・自由帳で数学とか物理とか | 「反日上等!」と外国人差別反対デモで掲げるのがなぜいけなかったのか この件ね。論争に加わっていらした「いしけ

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    mujige 2009/07/11
    あー、読んでて涙が出てきた。こちらでも議論継続中です。→http://tinyurl.com/kur2wzhttp://h.hatena.ne.jp/id/mujige
  • ここギコ!: 京都外国人排斥カウンターデモの「反日上等」「日の丸ウンコ」とかについて

    Posted by nene2001 at 19:50 / Tag(Edit): 外国人排斥 デモ / 0 Comments: Post / View / 0 TrackBack / Google Maps 仕事がむちゃ忙しくてはてブとかも全然チェックできてません。 その間になんか世間では京都カウンターデモの「反日上等」「日の丸ウンコ」とかで盛り上がってて、ishikeriasobiさんがはてなから撤退する騒ぎにまでなっちゃってて驚きです。 全然流れ追えてないので、なんでそんなに盛り上がっているのか、元になった事実よりも誰かが不用意な発言したために炎上したのかとか、全然掴んでないんですけども、正直元の「反日上等」「日の丸ウンコ」の事実だけの印象だと、何でそんなに盛り上がってるのか全然判らない。 なので、流れ知らないのでもしかしたらトラの尻尾踏むかもしれんなとビクビクしつ

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    mujige 2009/07/05
    「誰がマジョリティーなのか」も問題にしたい。学校現場での日の丸・君が代問題などを見ていると、「これがマジョリティーの意見だ」と勝手に決めて押しつけてくる奴らの存在が見える。
  • エロってどんなものかしら - 大蟻食の生活と意見

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    mujige 2009/07/03
    “性表現の自由を勝ち取る為に費やされてきた先人の努力が単なる商業主義に利用され、かくてアナーキーなつもりの商業主義がげっそりするほどコンサバティヴな蹂躙の構造を強化するのに利用されているのにうんざり”
  • NPJ通信 非暴力直接行動―市民によるネオナチ集会実力粉砕に見るドイツの闘う民主主義― 内田雅敏

    1.闘う民主主義 2008年9月24日付東京新聞朝刊 「ニュースの追跡」 欄は、ケルン発三浦耕喜特派員電として、「ネオナチ計画国際会議ドイツ市民ら実力粉砕」 「極右に居場所を与えない」 という見出し、 「極右に居場所は与えない。これが過去のナチス台頭から学んだドイツ社会の民主主義だ。社会を分断する言論は民主主義の敵だというのがその理由。 ドイツ西部ケルンでネオナチ勢力らが計画した 「反イスラム化国際会議」 は、市民の実力行使により粉砕された。」 というリードで、ケルン市内でネオナチグループが反イスラム化の国際会議を開こうとしたところ、これに反対する市民らが会場入口を封鎖し、実力で妨害し、 遂には警察の中止命令により集会が中止になったことを2枚の写真付きで報じている。 同記事によれば、集会を企画したのは、ネオナチ政党ドイツ国家民主党 (NPD) の流れをくむケルン市議会の極右会派 「親ケルン

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    mujige 2009/07/01
    “極右に対しては暴力をもってしてでも排除するというのは、法律を超えた価値観”“ナチスは合法の体裁を取って権力を握りました。合法であることが正義の証明ではないという教訓でしょうか。”
  • memo090622 - lmnopqrstuの日記

    メモ | 14:25 | ※23日お昼頃文末に追記しました。  抗議のための座り込みに対する南部諸州当局の抑圧は、それが社会に対して実害を与えたとか実害を与えそうだとかいった事実にもとづいてではなくて、要するに、白人と黒人とは分離して坐わるのに決まっているという地方慣行があって、座り込みはその慣行に違反している、そのゆえに取り締まられるべきだという伝統思考にもとづくものであった。――――奥平康弘『「表現の自由」を求めて』(1999)241頁  外国人の権利がなぜクリティカルになるかといえば、外国人の権利が権利の限界にあるからだろう。以前「バックドロップ・クルディスタン」(http://www.back-drop-kurdistan.com/)をみたとき、何が面白かったかというと、日語の意味が通じる限界で同時に権利の限界が問題になっていたからだった。「日語の意味の通じる限界」というのはこ

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    mujige 2009/06/23
    表現規制反対論者たちの語る「表現の自由」なる決まり文句の、なんと薄っぺらいことか。
  • アルゴンのディープサウス通信

    上海。 三年前の香港に次いで二度目の中国旅行となった。少なくとも、昨日の夕方、この地に着いてから目にしたこの都市の状況からすると、あらゆることが香港の都市的刺激の何割(何倍?)増しかといった印象であった。今回はモリさんとマルフジ君、それに明日からはマルフジ君の先輩にあたる現地在住中国人の方が案内してくれることになっているが、もしそうでなければ、私のような抵抗力のないひ弱でデリカシーに満ちた人間(当に!)は、ただただホテルに着くなりベッドに昏倒し、たちまち息を引き取っていたことだろう。 それほどまでに、こと建築を中心とした都市的状況や景観に関する限り、観るのにおよそただごとではないといった気恥ずかしさと、よもやそんなことはあろうはずもないけれども、もし仮に同じ設計条件を与えられれば自分だって、といった疚しさを感じずにはとてもいられない類いのものであった。 つまり。 前大戦前後に租界や魔都と

    アルゴンのディープサウス通信
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    mujige 2009/06/22
    コメント欄、“単なる「エロ」や「ポルノグラフィ」と明らかに犯罪行為である「強姦」や「痴漢」との区別が、この国では明確に認識されていない”
  • 「男というものは」じゃなくて「私は」と言え。 | デザイン夜話

    女性に対する酷い暴力(強姦や痴漢)をシミュレートして楽しむゲームは規制されるべきかどうか?ということが議論を呼んでいるらしく。で「規制されるべき」という声に対していくつかの論点でそれに反論している人々がいるわけで、曰く「ゲームが実際の性犯罪を喚起してる統計データは無い」「個人のセクシュアリティを法で縛るのはおかしい」「”表現の自由”を侵すのか」「権力による規制は恣意的運用を呼ぶ」などなど。 で私自身は表現というものは表現者がその責任を背負う限り他者に規制されるべきではないと考えるので表現一般に言えば反規制論者なんだけど、今回の問題に関しては反規制論者の主張のいずれもが居心地悪いのだよね。 たとえば片思いの女性の裸体を想像するばかりかとんでもない格好にさせてあれこれげへへへ、などと脳内でシミュレートして今夜のオカズ、というのは私もやっちゃうわけだけど、その妄想を具体的な絵や動画にして他者から

  • はてなハイク サービス終了のお知らせ

    平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな

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    mujige 2009/06/20
    いまここから先を考えている時間がない。誰かレスつけて。
  • 20. 規制問題についての質問にお答えして: 文句のある奴は前に出ろ

    最後に更新して以来、何通もの、来お答えすべきメールをいただいているのですが、それについては次回更新ということにさせてください。サボっていて申し訳ありません。去年の佐藤は死んでいた、ということにしてください。 で、今回の文句再開の理由は、例の拉致監禁強姦ゲームについてのメールをいただいたからです。 差出人:ワタナベ 件名: 規制問題について、文句ではなく質問です 日時: 17 juin 2009 09:34:30 HNJ 宛先: monk@zag.att.ne.jp ワタナベといいます。最新の日記で虐殺ゲームと陵辱ゲームの違いについて触れらている点について質問です。 GTAのごたるゲームを作り、強制イベントではないにせよ、 やろうと思えば電車に入って拉致監禁強姦妊娠ゲームもできる、というエロゲー機能を持った 虐殺ゲームは、大蟻様的には許せますか。 拉致監禁強姦妊娠という表現それ自体ではな

    20. 規制問題についての質問にお答えして: 文句のある奴は前に出ろ
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    mujige 2009/06/20
    表現規制を認めたらあらゆる表現が規制される、などと言う人は、いま現に公然わいせつ罪が表現を規制していることをどう考えるのか。
  • 表現の自由や性の尊重が陵辱ゲーム擁護に利用されると人間としての尊厳を蹂躙されていると感じる側はそうした達成自体に不信感を抱かざるを得なくなる:2009.06.19:大蟻喰の日記

    いやはや。です——怖がっている女性どころか、現実に性犯罪の被害に遭った人が他の被害者たちを励まそうとその事実を公表して開いているサイトに押し掛けて、お定まりの「やってから言え」「二次元無罪」を言い立てる。悪質な書き込みに困って、せめてHNを、と求めると、人に名乗ることを要求するならお前が実名を名乗れ、と開き直る。揚句は性犯罪の被害者なのはわかったから、さっさとその事実を受け入れて忘れろ、レイパーを許し、エロゲを許せ、と平然と書き込む。そういう奴が現実にいるを見ると、にならずにいるのは至難の業です。擁護派の全てがそうだとは思いませんが、この国では強姦は罪ではないらしい——少なくとも罪に問うのは不当だと言う通念が相当に広く存在しているのは間違いなく、罪としても精々窃盗程度というのが常識として受け入れられているらしい。被害者側の、死にはしなかったが殺されたも同然と言う感覚とは到底折り合わない

    表現の自由や性の尊重が陵辱ゲーム擁護に利用されると人間としての尊厳を蹂躙されていると感じる側はそうした達成自体に不信感を抱かざるを得なくなる:2009.06.19:大蟻喰の日記
    mujige
    mujige 2009/06/20
    ほんと、権利を奪われ絶望している側から見たら、「専制政治の方がまし」と思える状況が来るよ。このままだと。その声に誠実に応答しない限り、「表現の自由」をお題目のように唱えているだけでは自由は守れない。
  • あなたは悪くない |【ご注意!! 被害者の方は読まないでください 】日本製性暴力ゲームについて

    【ご注意!! 被害者の方は読まないでください 】日製性暴力ゲームについて ジャンル : ニュース テーマ : 社会問題 6/18 追記 ※被害者の方にとってはコメント欄に、不快な内容が含まれていますので、読まないようにしていただいたほうが精神衛生上よろしいかと思います。 ※被害者の方の心情を配慮しコメントTBについての方針を書いてあるのは皆さまご承知の通りだと思います。それでも、たちの悪いコメントが相次ぎましたので、いったん承認制とせざるをえませんでした。 ※ところが承認制としたことで、公開されないだろうという悪意を感じられる、下劣としか言いようのないコメントが相次ぎましたので、いったん公開することにいたします。 ※拍手、拍手コメント、また個別に賛同メールをくださった方々、ありがとうございます。 全て目を通させていただいています。 ----------------------------

    mujige
    mujige 2009/06/19
    “表現の自由について深く考えない人ほど、簡単に「表現の自由」と言っているようにしか見えないのです。”
  • 擁護側の発言を読んでいて呆れるのは、俺たちは不当な差別に曝されていると主張する人の多さです。最初は冗談だと思っていましたが、どうもそうではないらしい:2009.06.17:大蟻喰の日記

    間が空いてしまいました。申し訳ありません。『地を這う難破船』を拝読しながら考えたことを書いて見ます。 まず第一に。性の問題はセンシティヴではありますが、聖域と言う訳ではありません。取り扱い注意は礼節の原則によるものであって、絶対ではないでしょう。他人のセックスを笑うな、が礼儀であるのは、相手もまた礼儀正しく、故に私的な領域に留めている限りの話です——そうすれば、お互い差別意識は顔に出すことなく、礼節を守った関係が維持出来る(事実上、可能な唯一の平和的男女関係です)。特殊な性向の主の欲求を満たすコンテンツ制作・流通が産業として成立している場合には、当然、遠慮のない批判や考察に曝されます。しかもそれが社会全体に現に存在し問題とされている差別の構造に、無反省に、ただ乗りしているのでは、文字通り真っ裸にされることもあるでしょう——製作者も、消費者も。 sk-44氏が違うということは百も承知ですが、

    擁護側の発言を読んでいて呆れるのは、俺たちは不当な差別に曝されていると主張する人の多さです。最初は冗談だと思っていましたが、どうもそうではないらしい:2009.06.17:大蟻喰の日記
  • 外国人排斥を許さない6・13緊急行動 外国人排斥を許さない6・13緊急行動 / 写真★速報

    当日の写真報告です。 デモ出発前の様子。この時点で集会参加者は250人強(警察発表では220人だそうです)、デモが進むにしたがって人は増え、最終的には300人ほどになりました。緊急の呼びかけだったにも関わらず、沢山の参加、当にありがとうございました。 日語・朝鮮語・中国語・スペイン語・英語などで書かれた様々なプラカードや横断幕。エスペラント語の横断幕を持参した方も。 「生きる権利に国境はない!」 妙な日の丸・パート1 デモ出発、三条通を西へ。ノー・パサラン! 「自由の敵に自由を許すな!」 打ち鳴らされるジャンべ 妙な日の丸・パート2 妙な日の丸・パート3 おいしそう 四条河原町南を折り返し、北へ。 デモ終了地点に近づいてきました。 「No More Fascism」 デモは終了し、みな一度三条河川敷へ。昼をとったりした後、午後の在特会の外国人排斥デモを迎え撃つべく、再び河原町へ移動。

    mujige
    mujige 2009/06/14
    id:comzooさん、やっぱり日の丸はやめとこうよ。「日の丸の赤はじんみんの血 白地はじんみんの骨 日本人は忘れても アジアの人々は忘れはしない」(栗原貞子さんの詩「旗」よりhttp://diamond.jp/series/sports_bubble/10004/?page=2
  • 「表現の自由」ではなく「陵辱ゲームの表現の自由」が問題になっているということ - hokusyu’s blog

    まず事実として、陵辱ゲームの根底には、社会になお存在する性暴力の非対称性と差別的な意識があるということについて疑うことはできないでしょう。そのことをふまえて想像すれば、たとえば「黒人だけを撃ち殺すゲーム」は当然規制の対象になるでしょうが、「ゲームの黒人は現実の黒人と違うからいいんだ」とか、「オレはリアルでの差別はひかえるけど自然と湧き上がるこの差別感情は否定できないからせめてゲームで差別させてくれ」という理屈が通用するかといえばしないと思います。個人あるいはきわめてクローズドなサークルでやる分にはともかく(規制のしようがない)、少なくとも市場の流通には乗せられない。「黒人差別ゲームがなくなったからといって黒人差別がなくなるわけではない」という意見はある意味ではそのとおりでしょう。しかしやはりゲームは規制されると思います。 難しいのはもちろん、陵辱ゲームにおける性差別的な価値意識は、黒人殺し

    「表現の自由」ではなく「陵辱ゲームの表現の自由」が問題になっているということ - hokusyu’s blog
    mujige
    mujige 2009/06/14
    暴力一般が問題なのではなく、特定の人種・民族・性に対する暴力が差別なのだ、ということが分からない人が多すぎ。