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ブックマーク / massneko.hatenablog.com (79)

  • 白百合女子大学めぐみ荘(旧菊池家主屋) @東京都調布市緑が丘 - 墳丘からの眺め

    東京文化財ウィークの一環で11月2日~5日で、 仙川の白百合女子大学構内の明治前期(~江戸期)の大型民家の公開があったので行ってみた。 もともとは伊豆修善寺で名主や代官を務めた菊池家の格式高い主屋。 内部の観覧は往復はがきでの申込みが必要になっていた。 「めぐみ荘」特別公開イベントのお知らせ|白百合女子大学 京王線の仙川駅から北に徒歩10分ほど、甲州街道を渡り「仙川」を越えた傾斜地の先に大学があった。 仙川の下流方向。 正門があったが見学者はその先の東門からと聞き、さらにゆるい坂を上っていった。 道の名は「白百合学園通り」 途中の素敵な二股道。左が大学敷地。 東門守衛室で名前を記入して大学内へ。構内は「めぐみ荘」以外は撮影不可とのことだった。 矢印に沿って歩いていくと、白い石が敷き詰められた庭のある日家屋が現れた。 「めぐみ荘」は移築されて白百合女子大所有になってからの名前だった。 江戸

    白百合女子大学めぐみ荘(旧菊池家主屋) @東京都調布市緑が丘 - 墳丘からの眺め
  • 鳳凰閣(旧晴明文庫) 東京都大田区南千束 - 墳丘からの眺め

    以前に洗足池を訪れたときに、案内図で気になっていた「鳳凰閣(旧晴明文庫)」へ行ってみた。 洗足池 千束八幡神社 東京都大田区南千束 - 墳丘からの眺め 東急池上線の洗足池駅で下車、中原街道を渡って洗足池図書館の脇の小道を進む。 道沿いに「勝海舟別邸(洗足軒)跡」の案内板があった。 勝海舟は鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府側の代表として、官軍陣が置かれていた池上門寺の西郷隆盛を訪ね、交渉の結果、江戸は無血開城となった。 その、道すがらにあったこの場所を勝海舟は気に入って茅葺き風の別邸を建てた。お墓もすぐそばの洗足池湖畔にある。 残念ながら洗足軒は戦後に焼失した。現在跡地には大森第六中学校がある。 御松庵妙福寺境内に沿った微妙な上り道を行く。 正面斜め左が洗足池公園入口。ここで右折する。 鳳凰閣(旧晴明文庫)は、その大森6中の隣にあった。 大田区による説明板が掲示されていた。 鳳凰閣(旧清明文庫

    鳳凰閣(旧晴明文庫) 東京都大田区南千束 - 墳丘からの眺め
  • 「造形遺産001-025」展 @アーツ千代田3331 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 岩崎邸敷地の南側が柵で囲われて遊休地になっていた。コンクリ壁の右が岩崎邸庭園。 江戸時代には越後高田藩・榊原家の中屋敷だったそうだが、台地の先端であるということは、古代には古墳があったのではないかと想像してしまう。 春日通りに面して聳えるマンション、湯島ハイタウンを裏手から。 そのまま地下鉄湯島駅に向かったがまだ少し時間があったので、そのまま都道452号、かつての昌平橋通りを南へ。道は神田川(昌平橋)、淡路町、大手町と続いていくが、案内図にあった「アーツ千代田3331」へ寄ってみることにした。 通り沿い、2階部分が石張りの味わいのある建物。 台東区、文京区、千代田区が入り組んでいるエリア。「3331」は湯島駅と末広町駅との中間ぐらいにある。かつての旧練成中学校を利用したアートセンターで、開館3周年になるそう。 3331の名前由来は「江戸一締め」のリズムにあり、「シャン・シ

    「造形遺産001-025」展 @アーツ千代田3331 - 墳丘からの眺め
  • 大谷資料館 栃木県宇都宮市大谷町 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき(かつ8回前のエントリの前) 塚山古墳群から船場亭(大渡やな)へ向かう途中に大谷町があったので大谷資料館に寄った。 昨年その近くで地底湖ツアーに参加させていただいて貴重な体験をしたが、資料館は未探訪だった。 資料館への道すがら、堂々とした大谷石の蔵が聳えていて思わず車を停めた。 株式会社屏風岩は、江戸時代から大谷石の採掘に携わってきた渡辺家にあった渡辺陳平が明治に興した会社。 http://www.pref.tochigi.lg.jp/m58/education/bunka/monjyokan/documents/1282894163771.pdf 非公開だが外観を見ることはできる。 上記サイトによれば、左の寄棟屋根の西蔵は1908年(明治41年)の洋風建築、右の切屋根の東蔵は1912年(明治45年)の和風建築でどちらも栃木県指定の有形文化財に指定されている。 下記は東蔵。斜

    大谷資料館 栃木県宇都宮市大谷町 - 墳丘からの眺め
  • 上諏訪駅界隈 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 この日は上諏訪駅前でレンタカーを6時間借りて周囲を見て回った。 上諏訪駅前(東口)は甲州街道・国道20号に面しているが、ここを何度か車で通って古い建物に興味を惹かれたので、車を返してから少し街道沿い歩いた。 (時間があれば片倉館や諏訪高島城も見たかったが、今回の来目的は赤岳登山だったので再訪の楽しみとした) 諏訪一丁目の角の東大進学会は、かつての銀行か。 その向かいには、きちんと修繕された昭和初期風の店。 上記の右端は楽器「二胡」の店だった。 左端の建物は反対隣を更地にされて脇がむきだしになっていた。奥に伸びる構造はよくわかった。 素晴らしい看板建築。地元の貴金属店だが丸囲いがなければ旧財閥系の商標にも・・・ 懐かし系の看板。ススキヤの次の□□は何か? スクラッチタイルの堂々たる建物。 信州諏訪味噌工業共同組合 四角い小さなタイルも使われている。 TAKASIMAとは何の

    上諏訪駅界隈 - 墳丘からの眺め
  • 稲荷神社(拝殿・富士塚・大鯨の御社)~善福寺 浦安市当代島の旧跡歩き - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 船圦緑道に面して稲荷神社の鳥居があった。 民家の間の参道を進んでいくと社殿が見えてきた。 立派な社殿、鳥居、そして玉垣。 20年ほど浦安市に住んできたが初めて訪れた。夏季五輪と同じタイミングで開催される盛大な浦安三社祭りにおいて、神輿が出る三社のひとつなのだそうだ。 神社のサイトによると、御祭神は豊受大神。元禄2年(1689年)に(武蔵國小岩村 現東京都江戸川区小岩町)の善養寺から移し祀ったものといわれていて、明治時代に正式な当代島の鎮守になった後、昭和19年11月27日の空襲で破損、昭和34年に再建されたが地盤沈下等で昭和58年に大規模な地盛り等の境内整備が行われ、昭和59年に現社殿に建て変わった。千葉県浦安三社 稲荷神社 社殿に向かって左側にも鳥居があった。 こちらは浅間神社。 溶岩で出来た富士塚があった。 説明板もあった。 富士塚 頂上に、浅間神社を祀る、泥土を盛った

    稲荷神社(拝殿・富士塚・大鯨の御社)~善福寺 浦安市当代島の旧跡歩き - 墳丘からの眺め
  • 「夏の支度と見立て七夕」展 by アートユニットeventum @鎌倉彫 後藤久慶ギャラリー 鎌倉市雪ノ下 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 若宮大路を八幡宮の信号で突き当たって右手の道を50mほど進むと、左手に「鎌倉彫 後藤久慶」の板彫りの看板がある。信号を背にして左側なので八幡宮の敷地内のような場所。玄関のすぐ前を車が往来するのでこのような写真しか撮れなかった。 看板の右のショーケースにはこんな作品も。右側はビーズに覆われている。 この場所は、鎌倉彫三代後藤久慶の後藤慶大氏の鎌倉彫ギャラリーだが、6/20から7/5までの期間で、氏と彫刻家の齊藤寛之氏、美術家の小林正樹氏、金属工芸作家の福成三太氏の4人のユニット、eventumに、ゲストとして吉田樹人氏が参加した小品展および展示販売を行なっていた。 eventumのサイト(美しい作品写真と情報が豊富) このとき初めて知ったが、後藤氏は鎌倉初期の仏師運慶から数えて29代目となる彫師だった。東大寺南大門の金剛力士像で有名な奈良仏師運慶は、晩年は鎌倉を拠点としたが、

    「夏の支度と見立て七夕」展 by アートユニットeventum @鎌倉彫 後藤久慶ギャラリー 鎌倉市雪ノ下 - 墳丘からの眺め
  • 桐朋学園小学校 建て替え前の校舎・前編 東京都国立市 - 墳丘からの眺め

    6月6日の土曜日の午後、その昔に通っていた小学校の校舎が建て変わる前に、校舎再訪&同窓会のイベントを同窓生がアレンジしてくれた。担任の先生だった恩師も来られた。 呼びかけのタイミングが直前となってしまったこともあり、10名ほどが参加。当時は40名ほどの学級で2クラスあったが合同での企画。 すっかり変貌した国立駅で降りて大学通りを20分弱歩くと到着。この日は中学・高校の学園祭で賑わっていた。 中高の校舎と「林」を通り抜けて小学校の敷地へ。グランドから校舎を見ると、屋上で見学会が始まっていた。 改めて見るとレンガ壁が美しい玄関側。3年生から6年生が今でもここで学んでいる。 玄関前、中高校舎との間には「宮林(みやばやし)」がある。 広くはないが狭くはない林。土の面を歩ける場所もあった。 こちらが玄関。 はいってすぐの下駄箱群。 教室は2階にあり、1階には理科室や図書室、職員室などがある。階段は2

    桐朋学園小学校 建て替え前の校舎・前編 東京都国立市 - 墳丘からの眺め
  • 旧東京第一陸軍造兵廠・東京砲兵工廠銃砲製造所(旧陸上自衛隊十条駐屯地275 号棟)北区中央図書館(赤レンガ図書館) @東京都北区十条台 - 墳丘からの眺め

    先日読んだこちらので取り上げられていたエリアのひとつを早速探訪してみた。 選んだのは十条・王子エリア。京浜東北線と埼京線がつくる三角形の上部。 かつてこの一帯は広大な武器製造工場だった。 ちなみに赤羽ー池袋ー田端を直線で結ぶ三角形の面積は11.5平方キロメートル。渋谷ー新橋ー大崎の三角形12.1より少し小さい程度。 (グーグルマップはヘロンの公式を使わずとも、点で結んだ面積が表示される機能があった。これは便利。すごい機能) まずは東十条駅からスタート。昨秋に富士塚古墳探訪の際に初めて利用した駅。 改札を出て右に文化財級の鉄橋がある。 1895年(明治28年)に東北線荒川橋梁として架けられていた橋の一部が1931年(昭和6年)に移設された。 下の写真右下の銘板に「COCHRANE&C・1895・ENGLAND」と書いてあるはずだが、またも撮り逃し。 当初からであれば、120年の長きに渡っ

    旧東京第一陸軍造兵廠・東京砲兵工廠銃砲製造所(旧陸上自衛隊十条駐屯地275 号棟)北区中央図書館(赤レンガ図書館) @東京都北区十条台 - 墳丘からの眺め
  • 中川船番所(江東区中川船番所資料館)小名木川と旧中川の十字路 - 墳丘からの眺め

    前回のつづき。 中川船番所資料館を探して歩いていると川辺にタイヤ付きの船が停まっていた。 日の丸自動車が運営している水陸両用バス「スカイダック」だった。 亀戸から(大人2600円)と東京スカイツリーから(同2900円)の2コースがあり、道路でこの場所まで来て、ここで水にザブンと入るのだった。予約が必要でこの日は満席。 水陸両用バス/スカイダックバス(SKY DUCK) 亀戸コース 自分が見たのは水から上がったところで、道路上を帰っていった。 小さな休息所のような「川の駅」があって物販もある。立派な説明板もあった。 説明板にあった「江戸名所図会 中川口」 こちらは中川番所から見た北東方向?の広重による「江戸名所図会 中川口」 筏で材木も運ばれている。 「御江戸大絵図」による位置の把握もできた。上が北に直してある。 右端中央に中川番所。小名木川があって横十間川、大横川と交差する。現在の木場公園

    中川船番所(江東区中川船番所資料館)小名木川と旧中川の十字路 - 墳丘からの眺め
  • 「大軍都・東京を歩く」 黒田 涼著 - 墳丘からの眺め

    何気なく手に取ったでしたが思わず引き込まれ、立ち読みでは済まなくなっていました。 以下が表紙裏の案内文。 ”場”が語る歴史を歩いて味わう 近衛師団司令部だった東京国立近代美術館。高射機関砲の台座が残る千鳥が淵。第三連隊兵舎が不思議な形で残る国立新美術館。「坂の上の雲」の秋山好古の名が刻まれた碑が建つ池尻大橋。2・26事件の反乱将校らの処刑が行われた渋谷税務署。都内には、数多くの戦跡が残っている! 著者は大手新聞社で16年間記者を勤めて独立された方。 趣味の街歩きが高じて「江戸歩き案内人」になり、数多くの東京の歴史ガイドツアーを主催したり、「江戸城を歩く」「江戸の大名屋敷を歩く」などのを出されています。 大軍都・東京を歩く (朝日新書) 作者: 黒田涼 出版社/メーカー: 朝日新聞出版 発売日: 2014/12/12 メディア: 新書 この商品を含むブログ (3件) を見る 目次を見ると

    「大軍都・東京を歩く」 黒田 涼著 - 墳丘からの眺め
  • 「青のパティニール 最初の風景画家」 石川美子著 - 墳丘からの眺め

    素晴らしいでした。 青のパティニール 最初の風景画家 作者: 石川美子 出版社/メーカー: みすず書房 発売日: 2014/12/23 メディア: 単行 この商品を含むブログを見る 以下が表4に記された内容紹介。 16世紀初めのネーデルランドの画家パティニール。残された作品の数は10点あまり、生涯についてもほとんどわからない。 しかし一度でもその絵を見た者は、驚くほど精緻な細部から目がはなせなくなり、絵のなかに流れる時間に心をうばわれる。そして何よりも青のグラデーションの美しさに見とれてしまう。著者もまたパティニールの作品に魅了され、各地の美術館をたずね、彼の絵を好んだ人たちの暖かな言葉を捜して、言葉を紡がずにいられなかった。 聖書や聖人伝などをモチーフにしながらたんなる背景という役割を越えて遠く広がる青い風景。ヨーロッパにおいて「風景」という概念が、絵画にそして言葉と文学にあらわれて

    「青のパティニール 最初の風景画家」 石川美子著 - 墳丘からの眺め
    mventura
    mventura 2015/02/28
  • 日本民家園・1 神奈川県川崎市多摩区枡形 - 墳丘からの眺め

    前々回のつづき。 枡形山を南側に下りて、山麓にある日民家園を訪ねた。 上記の公式サイトの案内 川崎市立日民家園は、急速に消滅しつつある古民家を永く将来に残すことを目的に、昭和42年に開園した古民家の野外博物館です。東日の代表的な民家をはじめ、水車小屋・船頭小屋・高倉・歌舞伎舞台など25件の建物をみることができます。このうち、18件は国や県の重要文化財として指定を受けており、民家に関する民俗資料なども収蔵し、日を代表する古民家の野外博物館の一つなっています。 古民家では正月や節句などの年中行事展示や、毎日3~5棟ずつ囲炉裏に火を入れての床上公開を行っています。なお、正門の館展示室では、これらの古民家に関する基礎知識を学ぶことができます。 入口建物でチケットを買う。入園料一般500円也。 園内は5つのゾーン(民家5件ほどのゾーンで広くはないが)に分かれ 、東口から「宿場」「信越の村」

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  • 第6回地球研東京セミナー 環境問題は昔からあった ~過去から見える未来~ @有楽町朝日ホール - 墳丘からの眺め

    少し前の1月16日に聞いた講演会。 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 総合地球環境学研究所という正式名称漢字28文字の団体、略すと「地球研」が主催。朝日新聞社他が後援。 地球研は「個別の大学では維持が困難な大規模な施設設備や膨大な資料・情報を、国内外の大学や研究機関の研究者に提供し、それを通じで効果的な共同研究を実施する研究機関」だそう。 13時から16時半まで、下記の4つの講演とパネルディスカッションがあった。 講演1:人口変動と環境制約 ー江戸システムを事例としてー 上智大学教授 鬼頭宏 氏 講演2:気候変動によって人間社会に何が起こったか ー弥生から近世までー 地球研教授 中塚武 氏 講演3:旧石器・縄文時代の環境変動と人々の生活の変化を考える 国立歴史民俗博物館準教授 工藤雄一郎氏 講演4:縄文人に主はあったか ーの多様性と環境問題 地球研教授 羽生淳子氏 以前、鬼頭先生

    第6回地球研東京セミナー 環境問題は昔からあった ~過去から見える未来~ @有楽町朝日ホール - 墳丘からの眺め
  • 東国文化国際シンポジウム よみがえれ古墳人 ~金井東裏遺跡から発信された1500年前のメッセージ~ @銀座 2015年1月17日 - 墳丘からの眺め

    群馬県の金井東裏遺跡で、2012年11月に発見された「甲(よろい)を着た古墳人」についてのシンポジウムを聴講した。 昨年2月に船橋市での講演を聴いてから自分にとって興味が高まっていた案件。 当シンポジウムのことは昨年知って申し込み、当選通知を受け取った。 会場の銀座ブロッサムホールへ行ってその大きさ(900名収容)を見て、申し込み多数で抽選だったことを知って、さらに開場時間前で200名くらいの人の列を目にして、「甲を着た古墳人」の人気の高さを改めて実感した。 群馬県、県教育委員会、県歴史博物館、県埋蔵文化財調査事業団でつくる委員会の主催で上毛新聞社が共催。 プログラム概要は下記の通り。 ・趣旨説明 金井東裏遺跡が語るもの【専修大学教授 土生田純之氏】 ・特別講演 火山災害遺跡が語るものーポンペイの調査からー【文化庁長官 青柳正規氏】 ・基調講演 金井東裏遺跡の調査と甲を着た古墳人【群馬県埋

    東国文化国際シンポジウム よみがえれ古墳人 ~金井東裏遺跡から発信された1500年前のメッセージ~ @銀座 2015年1月17日 - 墳丘からの眺め
  • 年末の城ヶ島 神奈川県三浦市 - 墳丘からの眺め

    12月31日、天気が良かったので家族で外出。 TRAVELHOLIC・ふじこさんの下記のエントリに惹かれました。 空いている道を快適ドライブ。有料(150円)の橋をわたって、島の西端の駐車場に停めた。 車も通るが小さな土産物屋街を抜けると、すぐに城ヶ島灯台があった。 城ヶ島灯台 城ヶ島灯台の歴史は古く、慶安元年(1648年)、当時三崎奉行であった安倍次郎兵衛が徳川幕府の命によって航行する船のために島の東端安房崎に烽火台を設けたのが始まりで延宝6年(1678年)にこれを廃して、島の西端に灯明台を設けました。その後、享保6年(1721年)代官河原清兵衛が再度かがり火に代えましたが、この火光については晴夜光達約30kmと伝えられ、燃料費については浦賀入港の船舶から徴収していたと言われます。このかがり火による灯台は明治3年8月12日夜まで続きましたが、以降フランス人技師の設計造築による新灯台に代わ

    年末の城ヶ島 神奈川県三浦市 - 墳丘からの眺め
    mventura
    mventura 2015/01/03
    灯台もいいし海岸沿いの地形もいいけど、海鮮丼がすごい美味しそう。
  • 「邸宅美術館の誘惑」 朽木ゆり子著  #(遠くの)地元発見伝 - 墳丘からの眺め

    (※エントリではグーグルマップとストリートビューの画像を16枚貼っているのでwifi環境でご覧ください) 著者は美術ジャーナリスト、ノンフィクション作家で、日版「エスクァイア」の副編集長を務められた方。「盗まれたフェルメール」「フェルメール全点踏破の旅」など何冊も著書があります。 このでは、著者が15年以上にわたって訪れたヨーロッパとアメリカの邸宅美術館から選んだ15館が、収集の歴史や主な作品とともに、魅力的な写真で紹介されています。 選んだポイントは、特徴のあるコレクション、物語のあるコレクション、美しいセッティングの3点から。 ちなみにこちらで言う「邸宅美術館」とは、最初から美術館として建てられたものではなく、自宅に飾られていたコレクションを、自宅ごと公開したものを指すそうです。 邸宅美術館へ行くことは遠かったり不便であったりしますが、そこへ行けば、作家だけでなく「コレクターの気

    「邸宅美術館の誘惑」 朽木ゆり子著  #(遠くの)地元発見伝 - 墳丘からの眺め
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    mventura 2014/12/13
  • 古地図にLED光をあてると、あたった部分に現代地図が表示されるシステム by 慶大・南沢孝太准教授 凸版印刷 - 墳丘からの眺め

    昨日(11/25)の日経朝刊の科学技術面にあった記事。 LED光の検知機能をスクリーンに組み込み、スクリーンに映し出した伊能忠敬の地図に懐中電灯型LEDライトを当てると、光が当たった範囲だけが現代の地図に変わるという仕組み。 伊能図の精度の高さや、当時との海岸線の違いを実感できるという。南沢准教授の「観光地の案内システムなどに生かすことができれば」とのコメントがある。 とても面白い試みだと思う。映ったスクリーンに仕掛けがあるのか、スクリーンに映す方に感知する仕掛けがあるのかはわからないが、後者であればそれほどコストもかからないのではないか。 自分はスマホに「今昔散歩」というアプリを入れていて、散歩のときに使っているが、地図を今と昔とで比較するといろいろな発見がある。 地図上の位置の重ね合わせは、精度の課題から伊能図としかできないだろうが、現代の地図の上に遺跡の位置を示したり、建物をバーチャ

    古地図にLED光をあてると、あたった部分に現代地図が表示されるシステム by 慶大・南沢孝太准教授 凸版印刷 - 墳丘からの眺め
  • 「加地邸をひらく ―継承を目指して」展 遠藤新が設計した幻の名作別荘の公開と資料の展示 @神奈川県三浦郡葉山町 - 墳丘からの眺め

    11/16の日曜日、葉山の洋館を見に出かけた。 1928年(昭和3年)竣工の加地邸。 フランク・ロイド・ライトの一番弟子、日でライトが手掛けた建築全ての、設計から竣工までを支えた遠藤新(あらた)39歳時の作品の、”86年ぶり”の特別公開。 この日は午前中のみだったが、11月(の土日祝)で公開が終わってしまうのでGO。 東京駅で東海道線に乗り戸塚駅で横須賀線に乗り換える。北鎌倉、鎌倉で大勢降りたが逗子も混んでいた。亀岡八幡宮と中央商店街にての逗子海岸流鏑馬と武者行列の日だった。そうとは知らず、逗子駅でちょうど出発しようとしていた2番のバスに乗ったら、途中車窓から駅前の神社境内の人垣の向こうに騎馬武者が見えた。 下の写真は帰り道で撮った逗子駅。 バスは中学生の団体で大混雑だったが20分近く耐えて「役場前」に到着。セブンイレブンの向かいの小道をはいると、正面の丘中腹に加地邸がある。 四角いのは

    「加地邸をひらく ―継承を目指して」展 遠藤新が設計した幻の名作別荘の公開と資料の展示 @神奈川県三浦郡葉山町 - 墳丘からの眺め