正確に言えば長谷川氏は起業家ではない。名大の数学科を卒業し、新卒で、障害者の就労支援事業を手掛けるWINGLE(ウイングル)という会社に入った。後に株式会社LITALICOと名を変えるこの会社で、長谷川氏は、入社二年目にして創業者直々の指名で社長に抜擢される。この時長谷川氏、弱冠24歳。 実は長谷川氏自身、ある意味「障害者」として育ってきた。 幼い頃からADHD(注意欠陥・多動性障害)の傾向があり、学校でもじっとしていられなかった。人の話を聴くことができず、行動は衝動的。クラスでは仲間外れにされ、いじめられ、友達もできず、通信簿の素行欄には「思いやりがない」と書かれ続けた。 転機は大学時代、バイト先の焼肉屋オーナー夫妻との出会いにあった。 長谷川氏の個性を見抜き、尊重し、何をしても褒めて肯定してくれる、そんな夫妻が二言目には「君は世界を変えられる」「君は世界で活躍すべき」と言い続けたのが、