yas@中国共産党は全人類の敵 @klymenos_x ミリヲタなら秒殺だけど普通の高校3年生にコレって意味不明過ぎん? 教科書や参考書に兵器名なんて載ってるの?どうやって解くのが正解なん? twitter.com/jukennayamada/… 2023-11-24 23:07:42
![慶応法学部の世界史にミリオタなら一瞬で解ける問題が出てきたが世界史を勉強した中で一番のクソ問だった「どうやって解くんだ?」「これは良問」](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/6a10e0b2627840d92dfe92d05a58ed1e2053bd93/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F93e0b6d27042dd81eb9c568a25ecffca-1200x630.png)
by Kelly Michals 核兵器を厳重に管理しているアメリカですが、紛失を含む核兵器の偶発的な事故である「ブロークンアロー」は1950年から1980年の間だけで32件報告されています。しかも、失われた核兵器のうち6つは2023年に至っても回収されておらず、最も古いものは70年以上にわたって行方知れずのままとなっています。 The U.S. Military Is Missing Six Nuclear Weapons | The National Interest https://nationalinterest.org/blog/reboot/us-military-missing-six-nuclear-weapons-180032 ◆事故1:1950年2月13日 海外誌のThe National Interestがまとめた6つの核兵器紛失事件の中で最も古いものは、1950年2
キューバ危機に次いで核戦争の危機が高まったNATOの軍事演習 冷戦の緊張が高まっていた1983年11月、NATO軍は核戦争が始まることを想定した軍事演習「エイブル・アーチャー83」を行なっていました。 このシナリオは、ソ連の指導者が交代し、代理戦争が激化し、ソ連がヨーロッパ諸国に侵攻するところから始まるもので、毎年行われていた軍事演習でした。 しかそこの年、ソ連の諜報機関はアメリカが訓練と称して核先制攻撃を行うのではないかと疑い、核兵器の発射準備を進めました。 結局軍事訓練の終了と同時に危機は過ぎ去ったのですが、のちにアメリカは実は知らず知らずの間にとんでもない核戦争の一歩手前の状態にあったことに気付いたのでした。 1. 米ソの緊張の高まり 1949年、アメリカと西ヨーロッパ諸国が結んだ安全保障条約「NATO」、そしてソ連と東欧諸国が結んだ防衛条約「ワルシャワ条約」の成立によって、世界は二
シンポジウムに登壇された田岡氏、小西氏のこれまでの軍事分析は傾聴すべきものだと思いますが、この記事に書かれてある主張にはやや違和感を覚えます。田岡氏は、台湾の独立は内政問題として「どの国でも国家を分裂しようとすれば取り締まるのは当然」と主張し、台湾を独立させようと武力行使することはロシアのウクライナ侵略と同類、と発言されたそうです。 シンポジウム全体を聞いていないので、一部の発言が強調されているだけかもしれません。しかし前提として確認しなければならないのは、台湾が主張しているのは「現状維持」であって「独立」ではないということです。確かに、今日、台湾は、民主化し、自立したアイデンティティーを持つようになっており、中国と異なる存在として自らを見るようになっています。 しかし、「独立」を宣言すれば中国が反発し、軍事侵攻を仕掛けてくることは分かっているので台湾はそうせず、「現状維持」を当面の目標と
ジョージアは、黒海沿岸に位置する、かつてのソビエト連邦の構成国だ。1991年のソ連崩壊後に独立したものの、ウクライナと同様にロシアからの圧力を受け続けている。(参考記事:「図説:ウクライナ独立から30年、ロシアによる圧力の歴史」) その首都トビリシには今も、冷戦時代にソ連が築いた地下都市が存在する。ソ連は当時、多額の予算を投じて核兵器などによる攻撃に備えていた。トビリシの地下だけでも約450の掩体壕(えんたいごう、装備や物資を隠して敵の攻撃から守るための軍事施設)が存在する。 私は常々、この隠されたトビリシの一面を、自分の目で見て写真に収めたいと考えていた。いくつかの掩体壕の位置は知っていたし、友人たちと調査し、新たに見つけたものもある。専門知識があれば、場所を特定するのは難しいことではない。
ロシアが核を使うのか?という懸念が再三取り上げられる様になって来ているけれど これまで人類は13回ほどミスによって核ミサイルを発射する直前まで至っているという報告書があるのを知ってるだろうか? この報告書は、英国のRIIA(王立問題研究所)によって発表されたものだ。 https://www.chathamhouse.org/sites/default/files/field/field_document/20140428TooCloseforComfortNuclearUseLewisWilliamsPelopidasAghlani.pdf 3章のCasesに詳しく書いてあるけれど、有名なものだと Black Brant scareアメリカの研究者によって打ち上げられたオーロラ観測用の科学機器を搭載したロケットの発射軌道がモスクワへの攻撃軌道と一致したために、発射命令が出される直前まで行っ
HOME > 新着・更新情報 > 【ポリシーペーパー】「核戦争に勝者はありえず、核戦争は決して戦ってはならない」- 5核兵器国首脳共同声明の意義と課題 – を公開 REC-PP-13 「核戦争に勝者はありえず、核戦争は決して戦ってはならない」- 5核兵器国首脳共同声明の意義と課題 – (2022年3月) 吉田 文彦 , 黒澤 満 , 西田 充 , グレゴリー・カラーキー , 小泉 悠 , 樋川 和子 , 朝長 万左男 [全文を閲覧] [全文をダウンロード] 核兵器不拡散条約(NPT)で核保有が認められている5核兵器国(N5)が2022年1月、核軍縮・不拡散に関する共同声明(N5首脳共同声明)を発表した。注目点のひとつは、「核戦争に勝者はありえず、核戦争は決して戦ってはならない」とのフレーズが入っていたことだ。1985年11月のジュネーブでの米ソ首脳会議の共同声明に盛り込まれ、思い切った核軍
■決戦用の戦車部隊 私たちは10月半ばの午前9時半、音威子府から52キロ南に下った名寄を出発した。郊外には、音威子府に一番近い陸自名寄駐屯地がある。 松村さんによれば、自衛隊は当時、定員割れに苦しんでいたが、北海道の部隊だけは定員を満たしていた。第2師団は当時9千人で充足率100%だった。陸自の隊舎は2段ベッドが普通だが、名寄だけは3段ベッドが導入されていたという。有事になれば、松村さんらの戦車部隊は名寄の普通科(歩兵)部隊などと合流し、戦闘団をつくって現地に向かう手はずになっていた。 陸上自衛隊第2師団名寄駐屯地=牧野愛博撮影 松村さんは当時、自衛隊が導入を始めた74式戦車4両を指揮する戦車小隊長だった。74式は61式に次ぐ2代目の国産戦車で、音威子府付近を流れる天塩川を渡河できるように設計されていた。重量38トン。不整地での燃費は1リットルあたり約200メートル。約800リットルを積載
1981年、ソ連海軍のバルチック艦隊に所属していたウィスキー級潜水艦(U-137)がスウェーデンの領海内で座礁した。これは「ウィスキー・オン・ザ・ロック事件」と呼ばれ両国政府間の大きな政治的問題になった。 ソ連側は不可抗力でスウェーデン海域に流されたと主張。だが、スウェーデン側は、ソ連が意図的に侵入したと考えた。スウェーデンの調査でソ連の潜水艦が核武装している可能性が示唆されたからだ。 その後何年もスウェーデンはソ連への警戒を解かなかった。領海からは不可解な水中の信号や音声が続いており、ソ連の潜水艦が潜んでいる疑惑が払しょくできなかったのだ。 事実ロシアとスウェーデンは一触即発の状態となったが、実はその原因は、意外なものにあった。
ソ連軍が開発したこの地面効果翼機は「エクラノプラン」の別名で知られ、航空機と船の一種のハイブリッドといえる/Musa Salgereyev/TASS/Getty Images (CNN) カスピ海の西岸に乗り上げたその機体は、まるで巨大な水生獣のように見える。波の上よりも深海に生息していそうな奇妙な物体であり、飛行できるようにはとても見えない。 しかし、はるか以前のことではあるが、それは実際に飛行していた。 そして今年、30年以上にわたる眠りから目覚め、「カスピ海の怪物」が再び始動した。史上まれに見る異形の飛行機械は、これで最後となるかもしれない旅を終えようとしている。 怪物が再び動いたのは今年7月。タグボート3隻と護衛船2隻によってカスピ海沿岸の海上を14時間かけて移動し、ロシア南端近くの海岸地帯に届けられた。 こうして、380トンの「ルン級エクラノプラン」は、ロシア連邦を構成するダゲス
自衛隊の「災害派遣」は地震や台風などの「天災」のみならず、事故や事件など「人災」を受け出動することもあります。そのひとつに、かつて東京湾沿岸を20日間にわたり戦慄させた「第十雄洋丸事件」が挙げられます。 火柱と化した船体が陸地へ迫る! 恐怖の海難事故 海上自衛隊は発足以来、幸いにして海戦は行ったことはありません。しかし、実船に向けて攻撃を加えたことはあります。災害派遣でですけれども。それが1974(昭和49)年11月9日に起きた「第十雄洋丸事件」です。 1974年11月9日、東京湾内の海上で「パシフィック・アレス」と衝突し炎上する「第十雄洋丸」(画像:国交省東京湾口航路事務所)。 その日、世界屈指の過密航路として有名な東京湾の中ノ瀬航路で大事故が起こりました。プロパン、ナフサ、ブタンなど総計5万7000tを積載した「第十雄洋丸」と、大量の鋼材を積載した貨物船「パシフィック・アレス」の衝突事
米国務省が公開した外交文書から、1969年に佐藤栄作元首相とニクソン元米大統領が結んだ「核密約」に至る交渉の詳細が明らかになった。米側は沖縄における核能力を極めて重視し、沖縄返還の最低条件として、米側は沖縄の米軍基地において核兵器の「緊急時の貯蔵」と「通過」の権利を求めていた。専門家は、米国の核戦略や思惑の詳細がわかる貴重な文書だとしている。 沖縄核密約1969年11月19日の日米首脳会談で、佐藤栄作首相とニクソン大統領がひそかに結んだとされる。有事の際、沖縄への核兵器の再持ち込みを容認する内容で、2009年に両首脳による合意議事録が見つかった。 20日に公表された文書は500ページ以上にのぼる。ニクソン、フォード両政権の外交政策において、主要な問題を文書化した一連の記録の一部で、69~72年までの日本に対する米国の政策をまとめたものだ。 当時のキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当
政府は27日、自衛隊のイラク派遣の際の活動報告(日報)に記載があった「戦闘」の言葉について、自衛隊法で定義される「戦闘行為」の意味で用いられた表現ではないとする答弁書を閣議決定した。立憲民主党の逢坂誠二衆院議員の質問主意書に答えた。 日報の記述については、昨年7月の衆院予算委員会でも、安倍晋三首相が「(憲法の要請との関係で)定義を決めている戦闘行為とは違う意味で、一般的、いわば国語辞典的な意味での戦闘という言葉を使う、これはあり得る」と答弁していた。 今回の答弁書は、「国語辞典的な意味での戦闘」について、自衛隊法などで「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」と定義する「戦闘行為」とは異なるものとした。
それまで「ない」とされていた、陸上自衛隊イラク派遣部隊の活動記録である日報が、実は存在していたことが、今月2日、小野寺五典防衛相が明らかにしたことで、与野党から批判が高まっている。1万4000ページの日報に何が書かれているのか、その中身が非常に気になるところであるが、他方で、その日報自体にも、隊員の負傷など本当に重大な報告は、あらかじめ「削除」され、記載されていない可能性がある。元自衛官に聞いた。 〇元自衛官が証言「銃声や地雷爆発、日常茶飯事」‐ゴラン高原でのPKO活動 今回、筆者の取材に応じてくれた、元自衛官のA氏は、国連平和維持活動(PKO)派遣部隊として、シリア南部ゴラン高原での任務に従事したという。ゴラン高原は、1967年の第3次中東戦争でイスラエルが占領し、その後、一方的に併合を宣言している。ゴラン高原では、シリア軍とイスラエル軍の衝突を防ぐため、PKOとして、国連兵力引き離し監
2016年10月23日、陸上自衛隊朝霞訓練場で行われた自衛隊記念日観閲式に参加した稲田朋美防衛相 Kim Kyung-Hoon-REUTERS <自衛隊の南スーダンでのPKO活動をめぐって国会で議論が続いているが、そもそもの原因は、90年代の湾岸戦争時の日本の貢献をめぐる「インチキ臭いロジック」にあったのではないか。日本は本当に感謝されなかったのか?> 自衛隊の南スーダンにおけるPKO活動をめぐっては、「戦闘」という語のあるなしから「日報」のあるなし、はては日報に関する「報告」のあるなしまで稲田防衛相は文字どおり防戦一方で、7月27日にはとうとう辞任を表明した。自衛隊としても自分たちの本務とは直接関係ないところで、活動が評価されてしまうのは本意ではないだろう。 だが、自衛隊がこうした視点でばかり見られがちなのは、海外派遣のはじまった1990年代初頭の議論がそもそもの原因になっているような気
1945年から1962年にかけてアメリカが実施してきた核実験の様子を高速度撮影で収めたフィルムが、55年ぶりにアメリカ政府の機密解除を受けて一部が公開されました。年月を経て劣化が進んだフィルムは復元作業が行われ、スキャンしてデジタルデータ化した後に一部がYouTubeで公開されています。 Physicist declassifies rescued nuclear test films | Lawrence Livermore National Laboratory https://www.llnl.gov/news/physicist-declassifies-rescued-nuclear-test-films Hundreds of films of nuclear bomb blasts films declassified, uploaded - Business Insider
1967年5月に太陽の活動が異常に活発化し、地球で観測史上最大級の磁気嵐が発生した際、北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)の大陸間弾道ミサイル(ICBM)監視レーダーが故障し、米空軍が旧ソ連による妨害と勘違いして一時、攻撃準備態勢を取っていたことが分かった。 米空軍の退役軍人やコロラド大などの研究者が13日までに、米地球物理学連合(AGU)の学会誌「スペース・ウェザー」に論文を発表した。 当時は東西冷戦とベトナム戦争のさなか。この事件で「宇宙天気予報」の重要性が改めて認識され、太陽活動や地球磁気圏の観測が強化されたという。67年7月には米国の核実験監視衛星が宇宙の天体で起きる謎の爆発現象「ガンマ線バースト」を初めて観測している。 67年5月18日には太陽に黒点が多数出現し、23日にフレアと呼ばれる爆発現象が発生。放出された大量の高エネルギー粒子が地球に飛来し、磁気圏が大きな影響を受け
1972年の沖縄返還に伴い、いったん撤去した核兵器について、「危機の際には再び持ち込む権利がある」と、アメリカ国防総省が公刊した歴史文書に記されていたことが分かりました。専門家は「これまで密約とされてきた内容が公式文書で示されたのは初めてではないか」と指摘しています。 それによりますと、「沖縄返還協定では、核兵器の保有を禁ずる日本の政策に背かないよう、返還を実施すると明記している」と前置きしたうえで、「アメリカはそれらの兵器を撤去するが、危機の際には再び持ち込む権利を維持した」としています。 沖縄返還に伴い、いったん撤去した核兵器を、再び持ち込むことについては、日米間でいわゆる「密約」が交わされたとされ、7年前、政府が設けた有識者委員会でも検証の対象となりました。当時の佐藤栄作総理大臣の遺族のもとに、両国首脳がサインした極秘文書が残されていたことが明らかになっていますが、有識者委員会は「文
フィリピン最高裁が米軍の事実上の再駐留を認める「比米防衛協力強化協定(EDCA)」について合憲判決を下した。フィリピンはどのように米軍を撤退させ、なぜ今、受け入れるのか。アメリカ・フィリピン・日本の3カ国にわたる国家、社会関係史を研究する一橋大学社会学部教授の中野聡氏と、海洋安全保障の専門家、獨協大学外国学部教授の竹田いさみ氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月14日放送「米軍がフィリピン再駐留へ。その歴史的背景とは?」より抄録。(構成/大谷佳名) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番
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