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  • Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け

    昨年「機動戦士Vガンダム」を見返していた。 一番気になったのが、ファラ・グリフォンの存在の重さ。 理由は、まず後半での劇中の強さだ。 後半でとても強くなったウッソと互角以上に渡り合う強さ。 特にザンネック(ザンネックキャノン)は凶悪だった。 ファラが戦死するキッカケになった マーベットのお腹の赤ちゃんの存在に気を取られなければ、 逆にウッソはファラにやられていた可能性がある。 ファラとカテジナの強さを比べてみる。 カテジナはシュラク隊の面々は葬っているが、 ウッソとの真正面の対決ではファラより強さを示せていない印象を持つ。 カテジナはネネカ隊やコックピットから降りてウッソを直接刺殺する奇襲で、 ウッソに優位に立とうとするが、MS戦においてはファラの強さに軍配が上がる。 次にこれがより大切だが、ファラはVガンダムを象徴するキャラであること。 特にファラが死ぬ47話「女たちの戦場」のファラとウ

    Vガンダムにおけるファラ・グリフォンの位置付け
    nagaichi
    nagaichi 2019/02/21
    Vガンダムは女のガンダムで、ウッソやクロニクルはお客さんだから。
  • ダーリン・イン・ザ・フランキス 13話の演出を語る-照明と作り物の世界と雪と

    ヒロとゼロツーの出会いが語られた13話。 13話のポイントとして冒頭とゼロツーを助ける時に使われる"照明"が挙げられる。 落下する照明。映画「トゥルーマン・ショー」を彷彿とさせる演出だ。 トゥルーマン・ショーの大筋を要約すれば 主人公の人生が実は作られたTV番組。周りの人物は俳優。住む街は全部作り物。 主人公は作り物の世界から抜け出し外の世界へ踏み出す話。 今回の13話も作り物度が高い閉鎖された施設(ガーデン)から ヒロとゼロツーが抜け出して、外の世界へ行こうとする話。 今回のダリフラがトゥルーマン・ショーを見立てているのかもわからない。 また脚段階か、またはコンテ段階でこの照明が出てきているのもわからないが、 少なくとも照明(作り物の世界を象徴する道具)というモチーフで 今回を描き出そうとしているのは伝わる。 要所要所で出てくるノイズもまた今回の作り物感を補強させる効果に繋がっている。

    ダーリン・イン・ザ・フランキス 13話の演出を語る-照明と作り物の世界と雪と
  • スラムダンクの魚住包丁所持事件について

    スラムダンクの魚住包丁所持事件について。 まずスラムダンクの簡単な説明。 1990年代の少年ジャンプに連載されていたバスケ漫画である。 次に魚住とは。 主人公の湘北高校が練習試合と県大会の最後で戦う陵南高校のセンターである。 2メートルを越す巨漢から“ビッグ・ジュン”の異名をもつ。 湘北の赤木とはライバル。 さて題の魚住包丁所持事件について。 それは湘北が最後に戦う山王高校戦で起こった。(単行28巻74P) 魚住がライバル赤木の不甲斐ないプレイに業を煮やし 激励のため試合会場に包丁と桂剥きした大根を持ったままコートに上がってきたのだ。 2メートルの巨漢が包丁を所持して試合会場にやってきた。 同じような事が他でも起これば、現場は騒然とするであろう。 湘北・海南関係者は魚住を知っているので安心感はあったのだろうが、 山王含めて他の会場全ての人間は魚住を知らない。不安になるだろう。 包丁も画

    スラムダンクの魚住包丁所持事件について
    nagaichi
    nagaichi 2017/05/17
    股間に隠してたんじゃないの(意味不明)。
  • 「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】

    劇場版5部作を終えた「ガンダム Gのレコンギスタ」の総括を述べたい。 「Gレコ」は富野由悠季の研究論文 「Gのレコンギスタ(以下Gレコ)」は、富野由悠季のによる「宇宙エレベーターやフォトンバッテリー等を通して現代の社会経済と科学技術に対して異議申し立てをする研究論文」である。 Gレコの企画が具体化する2000年代後半。富野監督は取材やインタビューを通し、「ハンナ・アーレントの『全体主義』の考えをアニメで表現したい」と語る。この試みに期待を高めていた。 2015年の講演会では参考資料として池内了「科学・技術と現代社会」とE・H.カー「危機の二十年」を紹介。2016年の講演会ではガンダムエースの対談企画「教えてください。富野です。」での対談。特に宇宙エレベーター実験の参加と青木義男教授達との出会いが大きかったと語る。以上の経緯を踏まえると、Gレコは富野監督の出会い・取材・経験を通したインプット

    「Gのレコンギスタ」の総括【劇場版を終えて】
  • 「甲鉄城のカバネリ」に見る富野アニメ的要素・富野節

    「甲鉄城のカバネリ」を見ていると 「富野アニメ的」「富野節」という指摘や感想をみかける。 私もカバネリは「富野的な作品」と感じる。 ではどう富野的なのか。 カバネリに見る富野アニメ的な要素について紹介する。 不自由な場面設定から生まれる芝居から物語を作る まず読まれた方も多いだろうが、作の監督の荒木哲郎さんが 富野監督からの影響についての次の発言から振り返る。 荒木:もうひとつ、最近だと富野(由悠季)さんの『Gのレコンギスタ』10話の絵コンテ・演出をやらせていただいた影響が大きいですね。昔から富野さんには憧れていましたが、目の前で仕事を見たことによって、お客さんとして見ている時以上に吸収できた部分がありました。『カバネリ』を作っている中で、「あっ、俺こういうことできるようになったんだ!」と思ったところがいくつかあったんですけれど、富野さんとの仕事をしたからこそだと感じています。 ――例え

    「甲鉄城のカバネリ」に見る富野アニメ的要素・富野節
  • 「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話ー少年と大人と血の関係について

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話を視聴。 はじめに ギャラルホルンのMSによる攻撃を、 三日月乗るガンダム・バルバロスによって防ぐものの、 再攻撃を命じられたクランクは単身CGSとの決戦に望み、 一方のCGSのオルガも大人達からの独立を企て、三日月に協力を願う。 敵を追い返しても、少年達の目の前には地獄しかない。 地獄であるなら、居場所を作り、地獄からの解放を自ら勝ち取る。 オルガと三日月の二人の行動から、自由への意志が感じられた回だった。 1話でも強調されていた大人と子供という構図が 2話でも「血」というキーワードで語られる。 三日月はガンダム・バルバロスに搭乗での負荷により鼻から血を出し、 オルガはCGSの大人達の都合により制裁を受け、血を流す。 三日月とオルガという少年二人が、それぞれの信念をかけて血を流す。 少年側という話でいえば、クーデリアもまた血を流さぬのだが、 彼

    「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」2話ー少年と大人と血の関係について
    nagaichi
    nagaichi 2015/10/12
    あー、鼻血アニメになるんですかね;火星の土壌って、酸化鉄が多いですからね;;
  • 「Gレコ」の物語の本質と「G」に込められた5つの意味について

    「Gのレコンギスタ」25話を視聴。 物語も佳境を向えて、話の終着点も見えてきた感じだ。 では「Gレコ」の物語とは何だったのか。 異郷から故郷へ戻る物語としての「Gレコ」 まず富野作品における物語の大筋の傾向として、 異郷の地から故郷・祖先の地へ、元の所へ戻ろうとする展開が挙げられる。 1999年の「∀ガンダム」では月から地球へ帰還する人たちの物語。 2002年の「キングゲイナー」ではウルグスクからヤーパンへエクソダスする人々の物語。 2006年の「リーンの翼」ではバイストンウェルから日へ戻ろうとするサコミズ王の物語。 「Gレコ」も、月のトワサンガ・金星のジット団といった宇宙の諸勢力が レコンギスタという名目で地球に戻ろうとすること。 そして地球育ちのベルリとアイーダ達が宇宙に旅立ち、 月と金星へ向かい、そして地球に戻ってくる事も含めて、 異郷(宇宙)から故郷(地球)へ帰ってくる物語といえ

    「Gレコ」の物語の本質と「G」に込められた5つの意味について
  • 「Gのレコンギスタ」は考える事そのものを考えるアニメである。

    「Gのレコンギスタ」19話を視聴。 今回注目したいのは「考える」ということ。 クレッセントシップ内でベルリ達がエネルギー問題について話すシーンの一幕。 アイーダが強くアメリア側の主張を通そうとするが、 周りのみんなに「教わったこと」「感じていない」と指摘される。 以下、各キャラのセリフと照らし合わせて再現してみる。 アイーダが考えていたのは「刷り込み」でしかないこと ムベッキ「人類は大量消費と戦争で地球を住めないようにしたのです。 そんな人類にはアグテックのタブーは必要でした。 その代わり財団はフォトンバッテリーは無条件で提供してきました。」 アイーダ「エネルギーの配給権をキャピタルタワーに独占させたために他の大陸の人々は…」 ノレド「アメリア人だけの感覚だけで喋るな」 アイーダ「人の自由を侵害されています」 ベルリ「人は自然界のリズムに従うものでしょ」 アイーダ「でも、アメリアでは」 ム

    「Gのレコンギスタ」は考える事そのものを考えるアニメである。
    nagaichi
    nagaichi 2015/02/08
    あそこは姫様あっさり退きすぎと思った。アメリアの主張にはアメリアの利害に沿った正当性があり、刷り込まれた文化コードというのは他人に指摘されたくらいで解けるものじゃない。
  • 富野作品にみられる「アイーダ脱ぎ」について

    「機動戦士ZガンダムII 恋人たち」を視聴していたら 新規作画のエマ中尉のパイロットスーツの脱ぎ方が気になってしまった。 この脱ぎ方って、Gレコのアイーダ姫様と同じだなぁと思った。 (Gレコ2クール目OPから) 私はこうした股間辺りまでスーツを開いで脱いでいる 姫様の脱ぎ方を「アイーダ脱ぎ」と言っているが、 エマさんも「アイーダ脱ぎ」だったことがわかった。 むしろエマさんの方が先なので「アイーダ脱ぎ」は「エマ脱ぎ」かなと。 戦い始め、もしくは戦い終わった後の女性パイロットの 富野作品的パイロットスーツの脱ぎ方には共通点があるなぁと思った。 他の富野作品を見返したら、同じ脱ぎ方をしているキャラがいそう。 一方でパイロットスーツを開いていることは、 そのキャラクターの気持ちが開放的に向かっていることでもあると思った。

    富野作品にみられる「アイーダ脱ぎ」について
    nagaichi
    nagaichi 2015/01/25
    富野流のセックスアピール演出以上の何かがあるのかいな。
  • 「Gのレコンギスタ」16話とベルリの感情

    「Gのレコンギスタ」16話は、ベルリとアイーダが トワサンガのレイハントン家の忘れ形見だという事がわかる話。 しかしそれ以上に重要なのは、 張りぼての人工的な自然しかないコロニーが生まれ故郷という事、 それ以上に想い人が実の姉であるという事に対して、苛立つベルリの姿だ。 「何がレイハントン家だ」 ベルリは半ばヤケを起こしてドレッド家側のMSと衝突する。 流石に相手を殺すような戦い方はしなかったものの、 他の誰もがいうように、戦う必要がない状況ではあった。 確かにベルリの気持ちもわかる。 豊かな自然の地球で育ったのだから、実はコロニーが生まれ故郷だというのは、 すぐには受け入れがたい事実なのかもしれない。 そんなベルリの、コロニーの人工的な自然やその構造に嫌悪感を表明する点が、 今までのガンダムの主人公像とは違っていたのが面白かった。 ただこうしたコロニーへの違和感や嫌悪が、やがて敵視へと繋

    「Gのレコンギスタ」16話とベルリの感情
  • 「Gのレコンギスタ」11話は混沌化する世界が戦争突入するメカニズムを描く

    「Gのレコンギスタ」11話を視聴。 今回、キャピタル・アメリアといった各勢力がある中で 各勢力の内々では個々の思惑が働くことで、 どの勢力も一枚岩ではないことが描かれていた。 ではこの各勢力が一枚岩で描かれない意味とは何か。 この事を戦争がなぜ起こるのかという視点も含めながら考えてみたい。 首脳陣の考えが違うアメリア まず、アメリアの首脳陣の考えの相違についてみてみる。 今回は、クリムの父ズッキーニ大統領が主催する出陣式に パラシュートで降りてやってくるアイーダの父スルガン総監が 大統領のやり方に因縁をつける。 息子のクリムに戦艦サラマンドラを出陣させ キャピタル勢力と戦う事を宣言するズッキーニ大統領。 対して法皇を人質に取り、早期収束を図ろうとするスルガン総監。 スルガン総監はこの事を聞いていないために、統帥権の侵害だと感じている。 以下の会話を見てみよう。 ズッキーニ「キャピタルタワー

    「Gのレコンギスタ」11話は混沌化する世界が戦争突入するメカニズムを描く
    nagaichi
    nagaichi 2014/12/07
    11話でいちばん違和感があったのが、「統帥権」のくだりでした。アメリアは帝国というくらいだから、もしかして大統領の上に皇帝がいたりするんかいな?と勘繰ってもうた。
  • 「Gのレコンギスタ」10話のヘルメット演出―荒木哲郎による進撃のレコンギスタ

    「Gのレコンギスタ」10話を視聴。 荒木哲郎さん絵コンテ・演出回のWIT STUDIOグロス回。 グロス回とはいっても、進撃の巨人を支えた精鋭スタッフ勢揃いなので いわゆる只のグロス回ではない。 むしろWIT STUDIOがサンライズにクオリティ合戦を 仕掛け殴り込みをかけるようなものであるという認識。 ただこうした各社ごとで競い合っていく様を見るのは、 見ている側としては楽しい。 11/28日に始まった「Gレコ」のラジオ、 「Gのレコンラジオ」に出演した小形プロデューサーも WIT STUDIOグロス回の出来栄えに悔しさを覚えると話していた。 特に荒木哲郎さんという若い才能が「Gレコ」に加わることで 「Gレコ」に新たなシナジーが生まれたような出来栄えだった。 「Gレコ」10話のヘルメット演出 さて荒木哲郎さんは、富野監督の作品や 富野作品に流れる気さが好きだったようで、 今回の10話で

    「Gのレコンギスタ」10話のヘルメット演出―荒木哲郎による進撃のレコンギスタ
  • 失われた何か 「Gのレコンギスタ」8話と宗教-ものを考えなくて済む側面としてのスコード教

    はじめに 「Gのレコンギスタ」8話を視聴。 今回、特に強く印象に残ったのは、宇宙船で脱出したウィルミット・ゼナムが、 天体観測によって月に驚異が迫っていることを知るも 自身が信じているスコード教の教えを唱えつつ、 まるで思考停止のようなヒステリックな態度を取ってしまうシーン。 今回はヒステリックなウィルミット・ゼナムから 「Gのレコンギスタ」は何を描こうとしているのかを考えてみたい。 Gのレコンギスタと宗教 まず「Gのレコンギスタ」は、スコード教という宗教が重要な役割を果たしている。 それは1話のアバンが終わり、サブタイトルのコール後のカットは スコード教の大聖堂内で法皇がスコード教の教えを話しているシーンに移り変わり、 次に大聖堂の外に画面は移り変わり、続いてキャピタル・宇宙エレベーターを見せる という順番で世界を説明している点でわかる。 ※1話の大聖堂及びキャピタルの描写 つまり、まず

    失われた何か 「Gのレコンギスタ」8話と宗教-ものを考えなくて済む側面としてのスコード教
    nagaichi
    nagaichi 2014/11/16
    ベルリの母親は、いい狂言廻しだな。ガンダムでのお約束のように、簡単に死なせないでほしいな。
  • 「Gのレコンギスタ」と全体主義-状況に流される人達の物語

    はじめに 「Gのレコンギスタ」7話を視聴。 「Gのレコンギスタ」で気になっていたのは、 富野由悠季監督がここ数年語っていた「全体主義」について、 Gレコでどうこの事が反映されているのかどうか。 今回は「Gのレコンギスタ」と「全体主義」及び「独自で判断できる人」について考える。 ※全体主義とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想・政治体制の一つ。この体制の国家は、通常一人の個人や一つの党派や階級によって支配される。その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるシステム。全体主義の例としてドイツのナチズムが挙げられる。 富野由悠季監督とハンナ・アーレントと全体主義 富野由悠季監督は政治学者:ハンナ・アーレント及び彼女の「全体主義」を インタビュー等で何度も言及してきた。 富野「2008年に知ったということは今も勉強中で、ハンナ・アーレントの『全体主義

    「Gのレコンギスタ」と全体主義-状況に流される人達の物語
  • 失われた何か 「Gのレコンギスタ」5話の画面作りの面白さ-シリアスとユーモアの混在

    はじめに 「Gのレコンギスタ」5話を視聴。 作ではGセルフを巡り、 キャピタルアーミィと宇宙海賊(実質はアメリア軍)が争っている。 キャピタルアーミィ側はベルリ・ゼナム達の救出を口実に 新しいMSを次々に投入させて、クンパ大佐は力を得ようとしている。 宇宙海賊はキャピタルタワーの占領と、宇宙への進出が目的のようだ。 スコード教への疑問もあるようだ。 こうした不安定な情勢下の世界。 カーヒル大尉を始め、前回4話のデレンセン大尉が 自分の部下を7人死なせた事を悔やむ描写を含め、お互いに戦争をやっている。 作のベースにあるのは、人が死ぬシリアスでハードな世界観である。 しかしシリアスでハードな世界観ながら、作はそれだけではない柔らかさがある。 それはキャラクター達が生きること、自分の信念に前向きに生きていること。 例えるなら、EDの「Gの閃光」の歌詞のように、みんな生きている。 次に編中

    失われた何か 「Gのレコンギスタ」5話の画面作りの面白さ-シリアスとユーモアの混在
  • 「Gのレコンギスタ 3話」の排泄描写の意味-日常と非日常の接続

    ガンダム Gのレコンギスタ」3話を視聴。 クリム・ニックが襲撃した混乱に乗じ、Gセルフに乗ったアイーダに連れられて、 海賊の元へ行くことになったベルリとノレド。 世界の中心たるキャピタルの外に出たことで、 ベルリが今後世界の真実を知ることになる予兆を感じさせた展開。 3話は海賊部隊の才気あふれる若きパイロットである クリム・ニックの3枚目的な立ち振る舞いが面白かった。 また幾度となく描写される動物の描写は、 りギルドセンチュリーは自然が回復している世界という予感と 動物達のコミカルな仕草は、手塚治虫・虫プロ的な系譜を感じさせた。 日常と非日常をつなげるモビルスーツ内での排泄描写 さてGレコ3話では、クリム・ニックにも関わる見逃せない描写がある。 それはモビルスーツ内で起こる排泄描写である。 モビルスーツの操縦席が、そのままトイレにもなっている。 初めてガンダムのモビルスーツの操縦席にトイ

    「Gのレコンギスタ 3話」の排泄描写の意味-日常と非日常の接続
    nagaichi
    nagaichi 2014/10/12
    宇宙服の尿パックやおむつじゃあかんかったんや。
  • 富野由悠季監督は大器晩成型である-「ガンダム Gのレコンギスタ」

    ガンダム Gのレコンギスタ」の1話から3話までの先行上映を見た。 結論からいうと、富野由悠季監督はまだまだパワーアップしている印象。 齢72歳にしてこの境地。老いてますます盛んな黄忠のようである。 そんな想いもあって、次のようなツイートをした。 富野監督はTVアニメの鉄腕アトム以降50年間アニメ業界の一線にいるが、Gレコを見た限りまだキャリアの折り返し地点であるかのような元気さを見せているので、あと50年は面白いアニメを作り続けられると思うぐらいGレコは凄い。 — おはぎ (@ohagi23) 2014, 8月 24 富野監督は大器晩成型であるとGレコを見て感じたので、120才の富野監督が手掛ける脚やコンテを期待したくなった。 — おはぎ (@ohagi23) 2014, 8月 24 ますます富野監督はコンテを切って、新作を作ってほしい。 編について さて、監督の話題からは外れて

    富野由悠季監督は大器晩成型である-「ガンダム Gのレコンギスタ」
    nagaichi
    nagaichi 2014/08/26
    関係ないが、老将の代表格として黄忠が出てくるのが、三国志好きの日本人。中国で聞くと、姜子牙とか廉頗とか王翦とか趙充国とか馬援とか李勣とか楊業とか馮子材とかの間のワン・オブ・ゼムにすぎない。(某田中風)
  • 新房昭之さんとシャフトアニメのスタッフクレジットの使い分けを調べてみた

    2004年以降、シャフトで数多くアニメの監督を手がける新房昭之さん。 気になるのは、新房さんは作品ごとに総監督と監督のクレジットを使い分けていること。 また新房さんの作品では、シリーズディレクターや副監督など 新房さんの監督業を支える副監督業的なメインスタッフのクレジットも作品ごとで異なる。 これには何か基準があるのか知りたくなった。 まずは新房監督がシャフトに関わり始めた「月詠」からどんなクレジットで参加しているか。 また新房さんを支えるスタッフのクレジットをリスト化してみた。 まずTVアニメから。 次にOVAと劇場版 ※表はクリックすると見やすくなります。 わかったこと ・TVアニメの新房さんは監督としてのクレジットが総監督と比べて比較的多い。 ・監督:新房昭之 シリーズディレクター:○○ というパターンが一番多い。 ・シリーズディレクターは色々な方がクレジットされている。 ・龍輪直征

    新房昭之さんとシャフトアニメのスタッフクレジットの使い分けを調べてみた
  • 満たされない物語と円環の理-「劇場版魔法少女まどかマギカ」考察

    「劇場版魔法少女まどかマギカ-新編 反逆の物語」を鑑賞。 TVシリーズのまどかマギカに続く新しい物語として面白かった。 TVシリーズではいきつくところまで物語を描いたように感じたが、 映画ではTVシリーズのその先の物語が描けたという点に感動した。 ※ネタバレ要素が多いので、編を未見の方はご注意ください。 暁美ほむらは何に反逆したのか 副題に「反逆の物語」とあるが、反逆したのは暁美ほむら。 反逆する対象は、まず自分自身で作り出した妄想的な閉鎖世界であり、 その次に円環の理と言われる鹿目まどか、 そして鹿目まどかが書き換えたあとの世界だ。 これは暁美ほむらが自分にとっての鹿目まどかを取り戻す戦いでもある。 他のキャラクターが、世界がどうなろうとも、おかまいなし。 そんな暁美ほむらを描くために、 作では円環の理を象徴すると思われる円/円状のモチーフが多用される。 繰り返される円環の理を象徴す

    満たされない物語と円環の理-「劇場版魔法少女まどかマギカ」考察
    nagaichi
    nagaichi 2013/10/26
    ふたりのため~世界はあるの~♪二人の愛さえあれば世界はどうなってもよい系の自覚的「純愛」エンドは80年代あたりの少女漫画にわりとあった気がす。半月の形も歪でしたぁね。
  • 庵野秀明の「メカと美少女」理論から見る宮崎駿の「風立ちぬ」の構造

    宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」を鑑賞。 大まかにいえば、前半は零戦の設計者である堀越二郎の半生をベースに、 後半は堀辰雄の風立ちぬをベースにして 結核に犯された里見菜穂子とのラブロマンスを描いた作品だった。 また宮崎監督の前作の長編「崖の上のポニョ」では水と海を描いた作品であり 作では、風と空を描いた作品になっていたのが面白かった。 さらにいえば「風立ちぬ」の水が「ポニョ」を踏まえた表現だったのが技術的に面白かった。 また堀越次郎の顔の骨格が「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐と似ていたので、 二郎をムスカの若かりし頃の時代の存在、もしくは生まれ変わりだと思えたので面白かった。 さて全体的に気になったのは、前半の堀越二郎の夢と仕事の物語が 後半では一転したかのようにラブロマンスに変わっていったのが気になった。 そもそもなぜ堀越二郎と堀辰雄という 全く別の二人をモデルにして一人のキャラにまとめ

    庵野秀明の「メカと美少女」理論から見る宮崎駿の「風立ちぬ」の構造