六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。僕が南極について話している時、彼女はエルサレム賞のことを考えていた。 エルサレム賞の目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。 「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。「たぶんね」「男の人ってエルサレム賞のこと考えながらあれやるわけ?」「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいはエルサレム賞のことを考えながらやっているんじゃないかな」「スエズ運河?」「たとえば、だよ」 「エルサレム賞?」と僕は聞いた。「知らなかったの?」「いや、知らなかった」「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。