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暗黒に関するnamgenのブックマーク (127)

  • 『ヘニング・マンケル『リガの犬たち』(創元推理文庫)』

    リガの犬たち (創元推理文庫) スウェーデン警察小説というより、もはや世界的なそれとして評価されるクルト・ヴァランダー刑事シリーズの第二作目。原著初版1992年。 前作の影を引きずるところもあるが、書から読み始めても問題はない。 それよりもスウェーデン近辺の地図を見ておくと、書の魅力が増すことまちがいなしなので、グーグルマップあたりで一手間かけて、バルト三国との距離を確認しておきたい。 何しろ書の最大の魅力は、ヴァランダーがスウェーデンの田舎町イースタから出て、アウェイで孤独な戦いを強いられる、そのホームとの距離感、緊張感にあるからだ。 スウェーデン南部の海岸に、ゴムボートが漂着する。中には高級スーツを見まとった男性が二人、抱きあうように死んでいた。指先は万力で潰され、全身に火傷痕。明らかに拷問の犠牲者であった。 身元調査の結果、ラトビアの犯罪者と判明。急遽、ラトビア警察から捜査官が

    『ヘニング・マンケル『リガの犬たち』(創元推理文庫)』
  • [書評]こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ(ピアズ・ポール・リード): 極東ブログ

    チェルノブイリ原発事故をソビエトという国家とそこに生きる人間のドラマとして描いた、ピアズ・ポール・リード著「こうして原発被害は広がった 先行のチェルノブイリ」(参照)が福島原発事故をきっかけに改題され、復刻された。1994年に翻訳・出版された邦題は「検証 チェルノブイリ刻一刻」(参照)である。事故後の変化だろうと思うが中古でプレミアム価格がついていた。今確かめてみるとまだその状態が続いているようにも見える。1994年の同書は手元にないが、復刻を読んだ印象では大きな違いはないと思われる。 オリジナルは1993年、"Secker & Warburg"から出された「Ablaze: The Story of Chernobyl」だが、アマゾンやB&Nなどをあたると同年にRandom Houseから出た「Ablaze: The Story of the Heroes and Victims of

  • 久保隆・書評集

    書、『隆明だもの』は、『吉隆明全集』が、一四年三月に刊行が開始され、「月報」が、毎巻、挟み込まれていて、月報の巻末に著者のエッセイが毎回、収録し、三十一巻(二三年五月刊。全集は、現在、三十三巻までと三十七巻が刊行中)までと三十七巻に掲載されたエッセイと、他紙に掲載された二編と合わせて構成されたものだ。そして、新たに対談された「ハルノ宵子×吉ばなな 姉妹対談」と、『続・最後の場所』3号に収録された「ハルノ宵子さんに聞く」も併せて収めたことになる。特に姉妹対談は圧巻(あるいは苛烈)だ。この書評では、敢えて触れないでおく。関心がある方は、購読して、ぜひ読んで欲しい。 集中、真っ先に視線を向けてしまうのは、次の様に書き出された箇所だ。 「8月がやってくる。イメージすることは、人それぞれ違うだろう。近年の異常な酷暑、宿題にうなされた夏休み、終戦の8月。しかし私にとっての8月は、1996年の8月

    久保隆・書評集
  • ハルビンの大庭柯公 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    戦争に関する文献を50冊もまとめて読むと、気分はもう戦争、である。ついでに、録画しておいたNHKスペシャル「玉砕〜隠された真実」に、BSハイビジョンの「偽装病院船〜捕虜となった精鋭部隊」「王道楽土を信じた少年たち〜満蒙開拓青少年義勇軍」もまとめて観る。世界は知らないことで溢れている。 折りも折り、『満洲の情報基地ハルビン学院』(芳地隆之著・新潮社)が刊行されたので、これも読む。三か月ほど前に長谷川四郎さんの詩の朗読と歌の会を見て(id:qfwfq:20100509)シベリア抑留についてもっとよく知りたいと思っていたので、好機逸すべからず。ハルビン学院やシベリア抑留については、内村剛介著作集(恵雅堂出版)の第一巻が未発表のものもふくめて関連の文章を集成してくれている。芳地の新刊と内村の著作集第一巻とは相補うものである。こちらも精読しなければならない。 さて、『満洲の情報基地ハルビン学院』を読

    ハルビンの大庭柯公 - qfwfqの水に流して Una pietra sopra
  • 部落民にとって〈わたし〉を語る言葉とは

    『日学報』第23号、大阪大学大学院文学研究科日学研究室、2003年3月 この文章は、筆者(広岡)が在籍する研究室(大阪大学大学院文学研究科日学講座)の紀要『日学報』第23号の「対話と方法」欄に掲載された原稿を、公開するものです。校正前のファイルをもとに、できるだけ校正を反映させましたが、漏れがあると思います。引用などの際にはできるだけ、印刷されたものでご確認ください。ご意見ご感想は、電子メールで広岡宛にお送りください。(2004年6月22日) 「書いたもの」のページに戻る How Burakumin Talk about " Who I Am " : Implications of INTERVIEW " Buraku Persons ": 12 Person's Now and from Here. HIROOKA, Kiyonobu 部落民にとって〈わたし〉を語る言葉とは ――

  • 『『被差別部落一千年史』:高橋貞樹著、沖浦和光校訂。有産部落民と無産部落民について』

    高橋貞樹『被差別部落一千年史』(岩波文庫) 初版1924年、マルクス主義の立場から書かれた部落問題の古典。第一編で古代から江戸までの被差別の実相を明らかにし、残りの半分を用いて明治以降の現代史を論じる。 前半部に関してはかなり専門的であり、法制史の知識をふんだんに要求されるため、第二編からはじめるのがよい。一読すればわかるが、高橋の力の入り方、熱気もさすが同時代を扱ったものだけに第二編のほうが上である。 さて書の基的な視座は、被差別が経済的問題でもあること、差別撤廃は無産部落民自らが行わねばならないという2点である。 木下真弘(木下順二の親族)は『維新旧幕比較論』において、明治4年=1871年の解放令により部落に独占されてきた職種が「解放」されたと差別を逆手にとったような賞賛をしているが、皮革業などに非部落系資が進出し部落を窮乏させるなどかつての特権が「国民」編成という「解放」の下に

    『『被差別部落一千年史』:高橋貞樹著、沖浦和光校訂。有産部落民と無産部落民について』
  • 坂のある非風景 書かれない詩が書かれている詩を凌駕する

    微動だにしないことで消耗を強いられることがある。「停滞」は無気力、無関心な傍観者が演じるんじゃなくて、積極的な消耗戦の中にある。というわけで目的をもって作品を書きつづけるという消耗が「停滞」を意味してしまうという話だ。何もしない停滞が救われるのはその停滞について否が応でも認識させられるからで、いつでも問題は、何もしない停滞の苦痛からみごとに逃避しおおせたあげく手に入れる快楽的な停滞の方だった。 停滞は充実の中にしかない。充実した創作活動にある停滞をいかにして認識するか。その認識が作品を破綻させる、その破綻にいかにして耐えてゆくかといった場所だけがあたらしい詩的形式を生む場所のはずだった。すでに新しい詩的形式をうしなって半世紀になろうとしている。 その知人の叔母にあたる方は被爆者だったが、昨年亡くなったその葬式に行くことができなかったと語った。叔母はエホバの証人だった。エホバの証人は葬儀を行

  • 中央日報日本語版 エラー

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  • 2010-03-13

    を! 金正日撤去と同時に! ふつうの北朝鮮人民そのものだ。*1それは正しい答えだが、イメージがわきにくい。 在日朝鮮人の親族たちだ、と考える方がリアリティがある。 北朝鮮体制派組織は、北朝鮮は地上の楽園と宣伝して北朝鮮への移住運動を推進。その結果、1959年から1984年にかけて9万3千人を超える人々が日から北朝鮮移住した。移住した人びとには日人・元日人・元日居住者・その配偶者や子どもたちなどがいた。脱北者たちによると、日から北朝鮮移住した人びとのうち、少なくない人々が北朝鮮政府によって最終的に強制労働収容所送りにされ、そこで、餓えや、医療を受けられないことや、虐待により命を落としていったとのことである。元日居住者の脱北者(数は少ない)の日への再定住を受け入れているものの、こうした再定住政策も明確に打ち出されたものではない。 http://www.hrw.org/ja/n

    2010-03-13
  • オーラル・ヒストリー企画/インタビューリスト

    「『この際吾々は――関屋先生とは今後一切の関係を断絶する――という声明書を、中共側へ送っといた方が、いいんじゃないですか?』 この提案には、私も老川口も賛成して、早速この意味の声明書を作成することにした。」(「ダモーイ」第21回) ところで、阿部たちが滞在することになった南花カン村は、戦争中、日軍によって恐ろしく荒らされた村であるという。この村に、阿部の長男・皓夫と中国人の世話係の宮とが準備のため一足先に出発した。 50歳の宮は17歳の少年に、戦争中の日軍の残虐ぶりを、道中つぎのように語ったという。 「『日鬼子(リーベングイズ)共が、草の先に火をつけて、老百姓(ラオパイシン=庶民)達の家を一軒一軒、焼き廻りおったのだ』 宮同志は、にくにくしげに、皓夫を見た。 『南花カン村120軒の中、残ったのは、たった3軒だけだった。日鬼子の奴めが!』 宮は、ペッとつばをした。 『だからお前等鬼子

  • 二・二六事件の凶行を映した鏡 - ニュース・ワーカー2

    74年前の1936(昭和11)年のきょう2月26日、日でクーデター未遂事件「二・二六事件」が起きました。東京に駐屯する陸軍部隊の一部が、大尉など尉官クラスの一部将校の指揮で当時の岡田啓介首相らを襲撃し、斎藤実内大臣や高橋是清大蔵大臣らを殺害しました。3日後に反乱軍部隊は投降し、陸軍同士が戦闘する事態は避けられました。一部の軍人が武力によって社会変革を起こそうとした事件として現代史に記録されています。 ※ウイキペディア「二・二六事件」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6 その二・二六事件で殺害された一人に、当時内大臣だった斎藤実がいます。元海軍大将で、五・一五事件(1932年)で犬養健犬養毅首相が殺害された後に首相を務めました。二・二六事件当時は内大臣として天

    二・二六事件の凶行を映した鏡 - ニュース・ワーカー2
  • 朝青龍暴行事件 被害者X氏の横顔と、その裏でうごめく闇社会の影

    世間の耳目を一心に集める横綱・朝青龍の暴行事件。当初、マネジャーとされていた被害者が一般人男性とわかり、相撲協会も重い腰を上げざるをえなくなった。朝青龍もついに崖っぷちに追い込まれたが、その裏では闇社会が一気に動き出していた。 被害者の一般人男性は某有名クラブの事実上のオーナーX氏で、実は押尾学の薬物事件などでもその名が取りざたされた人物。 「とにかくケンカっ早くて有名。六木界隈では”狂犬”と恐れられていた。そのX氏も朝青龍の前では泣いて助けを求めたのだから、事件がどれほどのものかわかるはず」(六木の黒服) 普通なら即被害届を出してもおかしくはない。ところがX氏も”出せない”理由があった。裏社会に通じる人物が声をひそめて明かす。 「被害届を出したら自分の周辺を捜査されることになる。それはマズイ。彼自身も押尾やのりピーの事件でも名前が出たように、スネに多くの傷を抱えている」 そこでX氏は

    朝青龍暴行事件 被害者X氏の横顔と、その裏でうごめく闇社会の影
  • ウズベキスタンの写真家アン・ビクトル - 記憶の彼方へ

    思うに、記憶を語る人々というのは、過去の出来事をただ過去のこととして語っているのではありません。これまでとは違う未来へと足をふみだすために、今ここで語りおくべき物語として、記憶は語り出されている。そして、語り出されるその記憶に耳を傾けるということは、聞き手にとっては、単に語り手の過去の思い出を受け取るということにとどまるものでははない。「聞く」とは、今、ここから、語り手とともに未来に向かって足を踏み出そうという身構えでもあります。裏を返せば、その身構えなしには、「聞く」べきではない。そう、記憶を語り、聞くことで、語り手と聞き手は未来に対する共犯関係を取り結んでいるのです。抜き差しならぬ関係。その自覚と覚悟なしには、踏み込むべきではない。 記憶を追う私たちの旅とは、記憶の語り手たちとともに未来に向かう旅でもあることを、私は私で、旅ゆくほどに、痛いほどに感じるようになっていたのでした。 姜信子

    ウズベキスタンの写真家アン・ビクトル - 記憶の彼方へ
  • ノスタルジーとサウダージ - 記憶の彼方へ

    姜信子さんの「旅人」に寄り添う歌に関する一連の「旅」の物語を読みながら、その底流をなすノスタルジー(郷愁)が、先日百歳で亡くなったレヴィ = ストロースが語ったサウダージに限りなく接近するのを感じていた。ウズベキスタンの片田舎にある高麗人の村、ボルシェビークで老人たちが次々と歌う、流浪と離散の生を強いられたかつての植民地の民の想いを乗せた歌、百年前に日で生まれた歌、を聞いた姜信子さんはこう記した。 思うに、地層のように積み重なった流浪と追放の記憶を胸に、今も寄る辺ない旅人として辺境に生きる高麗人の心にしみいる何かがある歌ならば、それはもう彼ら高麗人の歌なのです。 ボルシェビークの夜。旅人たちの歌の宴。私はそこで、歌をたずさえた百年の旅の始まりの場所に寄せる郷愁ではなく、今も旅の中にある人々の寄る辺ない日々のため息や、いつかきっとたどりつくであろう旅の終りの場所に寄せる郷愁を耳にしていまし

    ノスタルジーとサウダージ - 記憶の彼方へ
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 嫌悪から受容へ:孤独とエゴとの間の隘路 - 記憶の彼方へ

    終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて 作者: ジェイムズ・ギャビン,鈴木玲子出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2006/01/13メディア: 単行 クリック: 4回この商品を含むブログ (3件) を見るDeep in a Dream: The Long Night of Chet Baker 作者: James Gavin出版社/メーカー: Knopf発売日: 2002/05/14メディア: ハードカバーこの商品を含むブログ (2件) を見る美と破局 (辺見庸コレクション 3) 作者: 辺見庸出版社/メーカー: 毎日新聞社発売日: 2009/06/26メディア: 単行購入: 2人 クリック: 39回この商品を含むブログ (13件) を見る Let's Get Lost [1988] [DVD] 『終わりなき闇』について、辺見庸は渾身のチェット・ベイカー論「甘美な極悪、愛なき

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  • 発見 「日本兵捕虜埋葬名簿」: 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    ※ リストは、NPO法人「戦没者を慰霊し平和を守る会」と民間会社「ニチマイ」(東京)から提供を受けた。 ※ リストの英文は栗田尚弥・国学院大講師の協力を得て翻訳した。 ※ 掲載順はリストに準じた。リストは「AAAI,Masao」(アアアイ マサオ)からアルファベット順で並び、いったん「Zurimoto,Tatuichi」(ズリモト タツイチ)となった後、再び「AIHARA,Masato」(アイハラ マサト)からアルファベット順で並んでいる。HPではアルファベットで検索できるようにしたが、リストの掲載順に従い、例えば「A」のグループ内では「Azuma,Tatsusaburo」(アズマ タツサブロ)となった後、再び「AIHARA,Masato」(アイハラ マサト)から始まっている。 ※ 氏名はローマ字表記をカタカナにした。「ANDO」を「アンド」、「Ichiro」を「イチロ」、「SATOU」

  • オーラル・ヒストリー企画/「戦中・戦後を中国で生きた日本人」について

    大戦が終わったとき、中国には満洲だけで日人が155万人いた。これだけ夥しい数の日人が他国に押しかけて行って、一体どんなふうに生きていたのか、私はかねがね知りたいと思っていた。実は私の両親も満州事変の1年後大陸に渡り、敗戦まで中国各地を転々とした。私は母の晩年に中国で送った14年間のことを語ってもらったことがある。特別ドラマチックな話があったわけではないが、直接体験した者の話から伝わる“臨場感”に興味を覚えた。 2002年、NHK ドキュメントで「留用された日人」が放映されたことがあった。戦争が終わったとき満洲にいた日人で、中国共産党から要請されて中国に留まった人たちを取材したものである。留用された人の数は2万人にのぼったといわれる。 中国国内では、大戦終結と同時に国民党と共産党の内戦が始まった。満洲で留用された日人で医療関係に携わった1万人近い人たちは共産党軍と共に移動した。その

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  • 石牟礼道子『神々の村』 - 記憶の彼方へ

    気になる紹介記事だった。何かがひっかかる。 作家の石牟礼道子さんによる『苦海浄土』3部作の第2部『神々の村』が藤原書店から単行として出た。水俣病が社会問題化する以前の第1部『苦海浄土』と、民事訴訟勝訴後のチッソ社座り込みに題材を取った第3部『天の魚』をつなぐ、裁判中の水俣病事件の様々が、全集以外で読めるようになった。 『神々の村』は、69年6月の提訴から70年11月のチッソ株主総会までを記す。水俣病患者らの訴訟派が注目を集めた時期だが、単にその動きや支援団体の足跡をたどったものではない。 株主総会で、患者たちのご詠歌が響く。一方、訴訟に加わらず行政に任せた一任派の山亦由・初代水俣病患者家族互助会長に、共同体での義人としての存在を読み取ってもいる。近代に踏みにじられる、前近代の基層にあった残光を、祈りと共に書きとどめた。 第2部は、井上光晴編集の雑誌「辺境」に連載されたが、未完のまま

    石牟礼道子『神々の村』 - 記憶の彼方へ