1932年宮城県生まれ。東北大学理学部物理学科、同大学工学部通信工学科を卒業後、東京放送TV技術部に入社。63年、トランジスタの発明などで知られる内田秀男に、秋葉原の喫茶店でナム・ジュン・パイクに紹介される。以降パイク作品の『ロボット K-456』や『パイク・アベ・ビデオ・シンセサイザー』の技術的な支援をする。CalArts(California Institute of the Arts)や武蔵野美術大学の講師を経て、パイク亡き後の近年も初期のビデオ作品のメンテナンスを行っている。 贈賞理由 1960年代初めにさかのぼる阿部氏とナム・ジュン・パイクの出会いは、メディアアーティストとエンジニアとの本格的なコラボレーションの嚆矢であり、国際的にみても極めて早い時期にあったといえる。その後もパイクと生涯を通じて協力関係にあり、氏なくしてはパイク作品の展開はありえなかったとさえいえる。アーティス