仙台市長選は23日に投開票され、新顔で前民進党衆院議員の郡和子氏(60)が、いずれも新顔で、自民党宮城県連や公明党などが支持した冠婚葬祭会社長の菅原裕典氏(57)、前衆院議員の林宙紀氏(39)、前衆院議員の大久保三代氏(40)を破り、初当選を決めた。投票率は44・52%(前回30・11%)だった。 2期目の奥山恵美子市長の引退表明に伴う市長選は、自民が惨敗した東京都議選に続く大型地方選挙として注目された。国政の与野党対決構図が持ち込まれた選挙戦だったが、与党側の敗北で安倍政権への影響は避けられそうにない。 郡氏は民進党宮城県連や社民が支持し、共産、自由も支援した「野党共闘」候補。地元の安住淳・民進党代表代行ら国会議員が連日のように応援に入った。一方の菅原氏は自民や公明が推し、業界団体の組織力に加えて村井嘉浩知事や奥山市長が支援に回るなど、総力戦で臨んだ。 しかし加計学園問題などで安倍
聖路加国際病院の名誉院長、日野原重明さんが亡くなった。 105歳だったのだそうだ。 意外だったのは、私の周囲にいる同世代の人間の多くが、このたびの日野原さんの死にショックを受けていることだ。 意外、という言い方は、不謹慎かもしれない。 が、10年以上前に、父親を70代で見送っている私の実感からすると、105歳のご老人の大往生を惜しむ人がこれほど多いことには、やはり驚かされてしまうのだ。 「永遠に死なない人だと思っていた」 という感じのコメントをツイッターに書き込んでいる人も多かった。 なるほど。100歳を超えたご老人は、ある意味、象徴的な存在になるものなのかもしれない。 でなくても、この日野原重明という人の言葉や生き方に勇気づけられていた日本人は少なくなかったはずだ。 平凡な感慨だが、長く生きた人の死は、その人が生きた時代の死でもある。とすれば、日野原重明氏の死によって、何百万人の人々の心
そもそも残すべき記録を消したと説明して、本当は隠されていたと判明した時点で、なぜ自衛隊をふくめて批判することができなかったのだろうか? 権力者に対する裏切りではなくとも、主権者に対する裏切りであり、市民に対する裏切りであり、未来に対する裏切りではなかったのだろうか? しかし産経新聞は報道機関でありながら「真実」の追求を棚上げして、自衛隊への信頼も薄れるはずの「リーク」への「クーデター」という見方を奉じている。 「陸自が情報リーク」の見方 「これではクーデターだ!」 日報問題で文民統制に深刻な懸念(1/2ページ) - 産経ニュース 防衛省内では「特別防衛監察の結果、一方的に悪者にされてしまうと反発した陸自サイドが情報をリークしている」(幹部)との見方が大勢を占める。真実がどちらであっても、結果的に政府の信頼が損なわれるのは間違いなく、「これではクーデターではないか」(政府関係者)との声すら漏
野球評論家の張本勲氏が23日、TBS系「サンデーモーニング」の人気コーナー「御意見番スポーツ」に出演し、通算勝利数で歴代単独1位となった白鵬(宮城野)に関する報道について持論を展開した。 【写真】新記録を家族と喜ぶ白鵬 21日に元大関魁皇を抜いて通算勝利数1048勝の単独1位となった白鵬について、一面で取り上げたスポーツ新聞が1紙だけだったことを批判しながら、「白鵬はもっと重要視してあげないと。国籍が違うから?国内でこれだけ頑張っているんだから。国籍は紙切れ一枚で変えることができるのよ。民族は変えることができないの。海外でやる人もいるけどね、日本の国内で頑張っている人を重要視してくれないと」と吠えた。 さらに主張は勢いを増し、口角泡を飛ばしながら「同じ民族だからね。日本列島ね、魚が人間になった訳じゃないんだから。モンゴルからずっと来たんだから。兄弟が右や左に別れたようなもんですから」と
このような危機的状況を受けてか、まるで断末魔の叫びのようにネトサポさんや似非ウヨさんたちが、必死にデマを流布しております。 閉会中審査における加戸元愛媛知事の答弁と、京都産業大学の会見に関するデマです。 そんなわけで、そのデマを検証すべく、まずはデマの拡散でおなじみのネットギークというネトサポサイトから引用させていただこうと思います。 安倍首相のお抱え記者デマグチさんの暴行事件をもみ消したことで話題となった内閣情報調査室(内調)さんが、被害者を誹謗中傷するような情報をマスコミやネットに流したことが確定的だとされていますので、このへんのデマを撒き散らしているのも内調さん傘下のネット工作機関なんじゃないかと疑ってしまいます。 ▼ 加戸守行が語った加計学園7つの真実。「行政が歪められた」のではなく国家戦略特区で「歪められた行政が正された」 NetGeek 2017年7月10日 http://ne
広島に投下された原爆のキノコ雲。下に見えるのは広島市街、その左奥は広島湾[1]。エノラ・ゲイ乗員のジョージ・R・キャロン軍曹撮影。 1945年8月6日午前8時17分、原爆の投下から2分後のキノコ雲。撮影場所は爆心地から7 km離れた旧安佐郡古市町(現:広島市安佐南区古市)の神田橋付近。撮影者は広島市衛生課のレントゲン技師、松重三男。 爆心地近くの原爆ドーム(2010年) 広島原爆爆心地の島病院跡 原爆ドームの東側にあった本病院の上空約600メートルで原爆が炸裂した。 広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日(月曜日)午前8時15分、連合国のアメリカ合衆国が、枢軸国の日本の広島市に対して原子爆弾「リトルボーイ」を実戦使用した出来事である[2]。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃によ
田﨑史郎はどうなるのか。支持率が急降下し、しかもその理由が、総理の人格を信頼できないという致命的なものだから、政権の今後は、まあ大体の予測はつく。 しかし政局がさらに混迷の度合を深めて、政権維持も困難と誰の目にも映ったとき、田﨑史郎は『ひるおび!』のスタジオで、なおも総理とその取り巻きを擁護し続けるのだろうか。それが知りたい。 ともかく時の権力者におもねり、媚びへつらう。田﨑史郎の印象といえば、これに尽きる。おまけに論旨は不明確だし、滑舌は悪い。華もないのにエバッてる。 見ていて嫌ァな気分になるから、彼の顔がアップになると、テレビを消す。そんな習慣が変わったのは、加計学園疑惑が過熱してからだ。 ある日。前川喜平氏の国会参考人招致が話題になった。官房長官が前川氏の人格攻撃をし、招致する必要はないと言い放っていたころだ。 前川招致の必要性について訊かれた田﨑は「あり得ないですよ」と一
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺害された事件で、35歳だった長女を奪われた神奈川県内の父親(62)が毎日新聞の取材に応じた。「娘がこんなに可愛かったことを知ってほしい」。父親は時折、笑顔を見せながら思い出を語った。 【写真特集】相模原事件:「やまゆり園」内部を初公開 長女は身長約140センチ、体重約35キロと小さかった。父親のことを「ちち」と呼んだ。父親がやまゆり園の長女の部屋を訪ねると、長女は父親の手を引っ張った。2人で散歩やドライブに行った。「甘えん坊で、本当に可愛かった」 歩いたり話したりできず、成長が遅いことに気付いた母親が病院に連れて行き、3歳のころに脳性まひと診断された。その後、養護学校に通い、両親と5歳年上の長男、2歳年下の次女が日常を支えた。 8年ほど前、母親にがんが見つかった。母親の入院と治療のため、長女は2012年7月にやまゆり園に入所し
半世紀以上も連れ添った妻に先立たれた、横浜市の知人男性からこんな話を聞いた。男性は葬儀を終えた後、故郷である佐賀県唐津市の寺に納骨するため、羽田空港から空路、九州へと向かった。 遺骨を機内に持ち込めることは知っていた。でも入れたバッグがかなり大きく、念のため搭乗手続きの際に中身を伝えた。機内に乗り込み、上の棚にバッグを入れて席に着くと、客室乗務員がやって来てこう言った。「隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?」 搭乗手続きで言ったことが機内に伝わっていたのだ。男性が「ああ、上の棚です」と説明すると、乗務員はバッグごと下ろしてシートベルトを締めてくれた。飛行中には「お連れ様の分です」と飲み物も出してくれたという。 「最後に2人でいい“旅行”ができた」と男性。その表情を見ていたら、こちらも温かい気持ちになった。
上西小百合議員の秘書、笹原雄一秘書はかなり問題のある人物のようだ。テレビ番組の収録中に東国原英夫氏を呼び捨てにして激怒される一幕があった。 上西小百合議員は秘書の操り人形。 笹原雄一秘書は実権を握っており、番組収録中に指示を飛ばす。 だがまずかったのは指示を説明する際に東国原英夫氏を「東」と呼び捨てにしたこと。 東国原英夫氏は当然ながら怒り始める。どうやら二人の間に面識はない様子。 笹原雄一秘書は一体何を考えているのだろう。 なぜか堂々と反論し始めた。 笹原雄一秘書については以前より問題行動が目立ち、度々ネット上で炎上している人物だ。上西小百合議員はどうしてこのような人を秘書に選んだのか。一説では「結婚したので今は旦那」という噂も飛び交うが真偽は不明。 カメラが止められた後にも激しいバトルがあったに違いない。これはさすがに失礼な対応を受けた東国原英夫氏が怒って当然だ。 なお、笹原雄一秘書は
1960年代~1970年代前半は、日本人が本格的に世界を意識し始めた時代です。特にメイクアップに関しては、白・黒・赤の伝統的な3原色から脱却し、口紅に淡いシャーベットトーンが登場し、メイクアップの幅が格段に広がりました。女性のファッションアイコンは映画女優から、コーマーシャルで活躍するモデルへと移行します。それに伴い、上瞼に二重ラインを描き、大げさなつけまつ毛を付け、立体的な眼の大きな西洋人モデルのようなアイメイクアップが流行します。肌に関しては、西洋志向のピンク系の明るい肌が主流ではあるものの、日本史上初めて日焼け色の肌が大流行した時代でもあります。1970年代に入ると、ベトナム戦争、反戦運動、ヒッピーの登場、石油ショック、急激な工業化による公害問題など、戦後急成長する日本に暗い影を落とします。それに伴いメイクアップは、60年代に元気につり上がっていた目もとが、目の下にシャドーの入ったタ
学校法人「森友学園」への国有地格安払い下げ問題で財務省理財局長として国会答弁に立ち続けた佐川宣寿(のぶひさ)氏(59)が、今月5日付で国税庁長官に就任して2週間あまり。野党の追及に徹底した「ゼロ回答」で臨んだ功で栄転した--と国民から疑問の声が上がっている。実態はどうなのか。【福永方人】 就任を受けて毎日新聞11日朝刊に神戸市の男性(61)の投稿が載った。「拝啓 国税庁長官様」で始まる。 「私も納税者の一人です。税務調査の際に『関係書類は紛失しましたが、適切に処理しているので経費の計上を認めてください』と申し上げる場合もあります」「国会で何の証拠も示さずに自らの主張を押し通されたのですから、このお願いはよく理解していただけると思います」。皮肉たっぷりに佐川氏の答弁を批判している。 実際、森友問題で佐川氏の答弁は「記録は破棄した」「データはない」「政治家の関与はない」と“ないないづくし
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