タグ

2011年8月30日のブックマーク (6件)

  • Ustream試験放送(第1回MLA連携ナイト@京都 20110820)の記録(その2): egamiday 3

    ホストと会場 ・今回は我が自宅からやって、それは、環境コントロールしやすいし、みんなで呑み会できるし、まあ、うちにお呼びするついでにustていうのもなくはなかったのでそうしたんだけど、掃除して、料理作って、場所セッティングして、ホストして、機器の準備して、給仕して、放送を仕切って、煮物よそって、しゃべって、お総菜あっためて、ディレクションして、味見して、って、無理でした、ごめんなさい。呑み会のホスト役と、ラジオのホスト役、どうしてもどっちかがほっとかれになっちゃう。 ・なので、次にやるとするなら、ちょっと大きめの個室でみんなが入れて、区切られてて、Ustでラジオもやっていい、みたいなところにするべきだと思いました。電源が使えて。ただし問題があるとするなら、音声がちゃんと入ってくれるかどうかの事前のチェックができない、ということがひとつ。それから、ケータイの電波で果たして途切れずに中継して

  • Ustream試験放送(第1回MLA連携ナイト@京都 20110820)の記録(その1): egamiday 3

    先日8/20、Ustreamを使ってラジオ放送をやる、という企画を、試験放送的にやってみました、というのの記録。 Ustream 試験放送(仮) 第1回 MLA連携ナイト @京都 ・8/20 20:00- (約1時間半ほど) ・Ustream http://ustre.am/BxYV ・サイト https://sites.google.com/site/shikenhoso/ ・ハッシュタグ #shikenhoso ・当日のtweetのアーカイブ Ustream試験放送(仮) - 第1回 MLA連携ナイト@京都 ( #shikenhoso ) http://togetter.com/li/181330 ・演者 ゲスト・パーソナリティ: archivist_kyoto ゲスト・コメンテーター: tsysoba (ホスト・ディレクター:egamiday) ・トピックス MLA連携トーク (「地

  • アルコール、ドリンク - Yahoo!ニュース

    negadaikon
    negadaikon 2011/08/30
    よみがえれ青春。はちみつレモン、12年ぶりに復活 サントリー
  • 「知っている」が学ぶ心を妨げる (Business Media 誠) - Yahoo!ニュース

    企業で研修を行うと、たいてい主催の人事部(人材育成担当)は受講者(社員)に事後アンケートを取ります。そのアンケート結果は、研修プログラムの開発者であり講師である私にとっては、いわば成績表のようなもので、良い評価であれば励みにし、意見やクレーム・批評のようなものがあれば改善要求書ととらえて参考にします。いずれも見るのは楽しみです。 【拡大画像や他の画像】 しかし、そんな中で残念な感想というのがあります。それは例えば――「分かりきった内容のことが多かった」「どこかで聞いたような話だった」「1日拘束されてやるほどの情報量がなかった」「理論的に目新しいものではない」「実際の業務には使えない」といった類のものです。 もちろん私も、このような声が出ないよう、もっと知的満足を与えるための改善の努力を重ねるわけですが、このような類の感想はどうしても出てしまうのです。その理由は「知識が学ぶ心を妨げてい

  • 池上彰の「学問のススメ」

    池上彰さんが、さまざまな分野の学者・研究者を訪ねて、日と世界が直面するさまざまな問題を、各界を代表するプロの「学問の目」でとらえなおす。いわば、大人の大学、それがこのシリーズです。池上彰さんがときに「生徒」となり、ときに「対話相手」となり、各界の先生方とこの問題を論じます。

    池上彰の「学問のススメ」
  • 伊藤博文、辞職決意の手紙…気骨ある人柄示す : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    明治の元勲・伊藤博文(1841~1909)が、政府の姿勢に抗し、枢密院(すうみついん)議長を辞職する決意を表した直筆の手紙が岡山市内で見つかった。 欧米列強と結んだ不平等条約について、一方的破棄まで含む交渉を進める外相の大隈重信(1838~1922)らに対し、国際的孤立を避けるため、職を賭して反対を唱えようとした内容。研究者は「気骨ある伊藤の人柄が分かる」としている。 鑑定した伊藤之雄(ゆきお)・京都大教授(日政治外交史)によると、手紙は1889年(明治22年)10月16日付で、黒田清隆内閣の松方正義蔵相に宛てた。伊藤は前年に首相を辞め、明治天皇の最高諮問機関・枢密院の初代議長に就いた。 手紙には「今更寸分之遺憾も無之(今更後悔はありません)」「断然乞骸骨(がいこつをこう)之決心ニ御坐候(辞職を願う決心に変わりはありません)」と和紙に墨書。「再伸」として、大隈にも伝えていると念を押してい