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2019年11月22日のブックマーク (3件)

  • 「他人の意見や考えを知るのが気持ち悪い」という感覚について|小野ほりでい

    最近はネット上が真面目な議論、とりわけポリティカル・コレクトネスとかジェンダー関連の話題で噴き上がることが多い。知り合いの何人かも、そこかしこが「意見」で溢れる傾向を気味悪がったり、嫌な時代になったというふうに嘆いたりしていて、同じようにストレスや負担に感じている人は少なくないのではないかと思う。 実際にはこういう「意見」とか「議論」がネット上を真っ黒に塗りつぶしているわけではないのだが、こういうことは一旦気になり始めるとそればかりが目につくようになるというのが必定で、この文章を読んでいる人の中にもそのことで悩んでいる人がいるのではないかと思う。 前提として言っておかなければならないのは、他人が真剣に言っていることを受け止めるのは、とりわけ何かに苦しんだり怒っている人が言うことに関しては、受け止めること自体が負担になるし、自分自身にその余裕がないと考えるのならば避けて通ることは全く問題ない

    「他人の意見や考えを知るのが気持ち悪い」という感覚について|小野ほりでい
  • 絵を描く意欲が激減する「シーシュポス条件」とは

    前回、絵を描く喜びを得るにはどうしたら良いのか、という点を描きました。それは、ある程度の手間と創意工夫の余地を残しつつ、いろいろな助けを活用することでした。 ところが対照的に、絵を描く喜びをことごとく奪い去ってしまうものがあるといいます。 それは、神話にちなんで、「シーシュポス条件」(sisyphic condition)と呼ばれています。絵を描く場合だけでなく、創作活動全般に関わる用語です。 作家アルベール・カミュは、シーシュポスの神話 (新潮文庫) で、シーシュポスの物語について説明しています。 神々がシーシュポスに課した刑罰は、休みなく石をころがして、ある山の頂まで運び上げるというものであったが、ひとたび山頂にまで達すると、岩はそれ自体の重さでいつも転がり落ちてしまうのであった。 無益で希望のない労働ほど恐ろしい懲罰はないと神々が考えたのは、たしかにいくらかはもっともなことであった。

    絵を描く意欲が激減する「シーシュポス条件」とは
  • 他人を褒める|浅生鴨|note

    当に色々と切羽詰まっていてもうまったく時間がないのでさらっと書く。前々から気になっていたことを書く。 自己肯定感というやつだ。「最近は自己肯定感の弱い人が多い」だとか、「私には自己肯定感がない」なんて言葉をここのところよく耳目にする。いつごろからこの言葉が使われ出したのか、はっきりと意識して調べたことはないけれども、たぶん2000年代の中ごろ以降で、それまでは自尊心と言っていたように思う。 もちろん自尊心(自己肯定感)の形成には親子関係が大きく関わっているだろうし、無根拠ながらも、褒められて育った子どもは自己肯定感が強くなるのだろうなという手触りのようなものはある。 大人になるとなかなか褒めてもらえない。でも、だからといって、大人になってからこうした自尊感情が育たないかといえば、そんなこともない。 自尊心を高める方法は、他人を褒めることだと僕は思っている。逆説的に思われるかもしれないが、

    他人を褒める|浅生鴨|note