わからないと言われて、わからないなりにも何かあるでしょうと思っていたけれど、ほんとうにその時点でわからないことはわからないのである。先入観を持っていたとしても、あくまでも先入観である。 わからないことがあって、それをわかりたいから一日があるのかもしれない。だから人に会うし、どこかに行くし、何かをしている。そのわからないことが何なのか、わからないことをわかろうとして、また現れるわからないことに自分をそばだてている。 どこまでわかったらわかったことになるのかもわからない、どこまでいくのかわからない、その線のかなたは果てしない。