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  • わかりたいわからないにそばだつ - 語る、また語る

    わからないと言われて、わからないなりにも何かあるでしょうと思っていたけれど、ほんとうにその時点でわからないことはわからないのである。先入観を持っていたとしても、あくまでも先入観である。 わからないことがあって、それをわかりたいから一日があるのかもしれない。だから人に会うし、どこかに行くし、何かをしている。そのわからないことが何なのか、わからないことをわかろうとして、また現れるわからないことに自分をそばだてている。 どこまでわかったらわかったことになるのかもわからない、どこまでいくのかわからない、その線のかなたは果てしない。

    わかりたいわからないにそばだつ - 語る、また語る
    neputa
    neputa 2025/04/28
    わかるかわからないか結果はどうあれ、わからないことを考える行為それ自体に価値があるように思う今日この頃です。果てのない行為であるから生きていこうと思えているようにも感じます。
  • 筍と花山椒 - ururundoの雑記帳

    花山椒の葉 もらった掘り立ての筍を湯がき 油揚げ 鰹節と共に醤油 砂糖 酒で 筍と若布の若竹煮より 濃いめの味付けで炊いた。 そして摘んできた花山椒の葉っぱを ざっと刻んだのをさっくりを混ぜた。 清涼な香りが立つ。 集落の 今は90代の女性は 花山椒の小さな花を根気よく摘み それを醤油と砂糖で煮詰めて おかずの少ない冬場のご飯の楽しみとした。 雪に閉ざされる雪国の女の 頑張りを感じる花山椒の佃煮。 「小屋」の周りの木々の淡い緑 山野草 プリムラ ムスカリ クリスマスローズ ペチュニア わすれな草等々 雲一つない空の下で咲き誇る。

    筍と花山椒 - ururundoの雑記帳
    neputa
    neputa 2025/04/28
    文章を読んでいると、春の食卓の元気な色合いや香りがしてきました。
  • 蕨の季節 - ururundoの雑記帳

    集落のあちらこちらに 今のシーズン 蕨畑と化する所がある。 数日前までは 頭も出ていなかった所に 今日は 嬉しくなる程 スクッとした姿で立っていた。 ウォーキング途中 ポキポキと手折りると 指に粘りのある液がついた。 しっかりとした太めの茎 くるりと巻いた頭。 春の山菜はどれもかわいい姿をしている。 持ち帰った20数の蕨。 器に入れて 重曹をパラパラと振り熱湯をかける。 ラップをふわりとかけ 湯が冷めるまでそのままに。 冷めた湯は 深い緑色。 よく濯いで水を切り サクサクと切る。 醤油と砂糖とスリ胡麻だけで和えた。 シンプルな素材とシンプルな味付けで 夕飯の一品となった。 寒い1日だった。 強い風と冷たい空気。 それでも 春の花は次々へと咲き始めた。

    蕨の季節 - ururundoの雑記帳
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    neputa 2025/04/27
  • やがてさすらう - 語る、また語る

    人は生まれてからまず、自分のことを気にかけてくれる人を信じる。いろいろあるとは思うが、まずその対象は親である。それらは年とともに広がって、身近な人であったり友人、恋人などにおかれたりもする。はじめは親に注いでいたものが分散していくということでもある。その人たちが、親とは異なった対象に重きを移すときがいずれある。 自分もそうやってさすらってきたようだが、自分の空白をごまかすために人に依拠したとしても、それによって何もない部分がますます広まることもある。だから行く宛てはしまいには"自分"である。つまり"自分"に返るのである。そして自分の行く先はというと、おそらく誰にもわからない。

    やがてさすらう - 語る、また語る
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    neputa 2025/04/27
  • 予測できない上書き - 語る、また語る

    思いもよらないことは、自分を取りまくことの流転でもある。これまでが通用しない、むしろこれまで接してきたことが剥き出しになる。予測できるものとしての自分のこれからに、予測できなかったこのときにいる自分がひるんでいる。 「こうすればこうなる」があてはまらないのは明白であったはずなのに、自分の「こうすればこうなる」を信じている。「こうすればこうなる」が居座っている。 「こうすればこうなる」も「こうすればこうならない」も似たようなもので、その決まったように見えるものがじつはまったく"ない"のかもしれない。そのことを都度に上書きしている。

    予測できない上書き - 語る、また語る
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    neputa 2025/04/25
  • さて、帰るか - 関内関外日記

    そもそもおれたちは銀河の東の方から放逐されてここにいる。おれたちは一人ひとり箱詰めされて、発送されたのをすっかり忘れてしまって、この大地も植物も水のなかのいきものも、自分たちの仲間のような気分でいる。緩衝材とともにここに送られてきて、開封されて空気というものを初めてすったのに、そんなことなかったように暮らしている。コンビニでパンを買ったら、レジから「クーポンが発券されました」という声が聞こえて、おれはペット・ボトルのブラック・コーヒーを一もらった。そんなことがもう一度あって、いよいよおれの栄光はきわまって、ボスポラス海峡より東の教会をすべて統治するのではないかと思った。その後、おれは真実を知る。350円以上買えば、必ずもらえるキャンペーンだったのだ。人間の思い上がりとはこのようにみにくい。みにくさから目を逸らそうとして無駄なことばかりしている。ガマガエル片手に草地に寝っ転がって駄々をこね

    さて、帰るか - 関内関外日記
    neputa
    neputa 2025/04/24
  • 楽の音をまとい現実へ - 語る、また語る

    自分の心に形があるとしたら、それは丸っこいかもしれない。つるりとしているようだが全体に"ひだ"があり、ところどころににぎりこぶしより少し小さいくらいのくぼみを呈している。"ひだ"は中にも外にもすべてにある。 MUSTAFA*1「What good is a heart?」。この人の声は、一つひとつの"ひだ"までにも聞こえてくる。むしろいたるところにある"ひだ"が聞こうとしているといってもいい。砂がゆるやかに坂を転がるように、楽の音がその"ひだ"にすべっていく。演奏されている楽器、コーラスもおおいに。 www.youtube.com I don’t want to be propped forward as kind of an apology, or as a bridge, or any comfort for a community that has perpetuated or en

    楽の音をまとい現実へ - 語る、また語る
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    neputa 2025/04/24
  • オーストラリアの葡萄 - ururundoの雑記帳

    オーストラリアの葡萄 オーストラリアの葡萄をもらった。 淡い緑色をした茎が日の葡萄より少し細い。 スーパーで最近売られているが 価格が少し高く 眺めるだけだった。 白の器に入れると ピッタリと自分に合った洋服の様に 淡い緑の葡萄は 白の鉢によく似合った。 一粒摘んで口に入れると シャリっとした感は初めてのものだった。 酸味と甘味のバランスがとてもいい。 一日中 強い南風と黄砂で ウォーキングをやめようかと思ったが 遠くから聞こえる 蛙の鳴き声に誘われた。 桜の花びらが 強い風に吹かれて 雪の様に舞っていた。 朝から頭痛で 昼ご飯の後に薬を飲んだ。 軽い風邪かも知れないと思った。

    オーストラリアの葡萄 - ururundoの雑記帳
    neputa
    neputa 2025/04/23
    とても素敵な写真。神々しさを感じます。ぶどうの緑をこんなにもしみじみ眺めたのは初めてかもしれません。透き通るような美しい緑に感動を覚えます。
  • 見えない嵐 - 語る、また語る

    「Dance in the rain」とはよく知られた言い回しらしい。日語にすると"雨の中で踊る"。この"雨"が困難などを表すとすると、何やら教訓めいている。 I will not wait for the storm to pass I’m learning to dance Dance in the rain 嵐が過ぎるまで待つつもりはない 踊り方を学ぶ 雨の中で踊るために Ibibio Sound Machine「Dance in the Rain」より 自分のいるところによっては、嵐は過ぎることはあるかもしれない。しかし、初夏を思わせる陽気に緑がなびいていたとしても、そこには見えない嵐が来ている。 のどかなようで、私たちはすでに嵐による雨の中で踊っている。たとえ踊るつもりがなくても。そういうものだからといえば、そういうものだからである。 www.youtube.com

    見えない嵐 - 語る、また語る
    neputa
    neputa 2025/04/23
    「この"雨"が困難などを表すとすると、何やら教訓めいている」、その発想はなかった。当てはめる言葉を変えると、踊っている意味合いが大きく変わるのが不思議でおもしろいです。
  • おまえらは、いつまでマスクに踊らされていたのか?

    マスクは踊る 『マスクは踊る』という図書館棚で見かけた。「ああ、マスク、共和党の大会みたいなので踊っておったなあ」と思った。いや、思わなかった。それは東海林さだおのコラム集であった。 マスクは踊る (文春文庫 し 6-101) おれたちはマスクに踊っていた。踊らされていた。よくわからない。おれは以前、こちらでこんな記事を書いた。 「日人は、いったいいつまでマスクを着け続けるのだろうか。」 これである。書いたのは2021年の11月だ。 おれの観測するところでは、道行く人のマスク着用率は99%というところだ。 と、書いている。マスク全盛期だったと言える。 でも、いずれはマスクを外す日が来るのだろう。 それがいつになるかはわからない。一年後かもしれないし、二年、三年、あるいは五年後かもしれない。 それは想像がつかない。専門家も明言しない。明言できない。 ひょっとして、おれが生きている間

    おまえらは、いつまでマスクに踊らされていたのか?
    neputa
    neputa 2025/04/23
    "何のこれしき、たかが一生。" いい言葉。私も胸に刻み、次なる100年に一度(またあるのか?)の時に思い出せるようにしたい。
  • 偶然のコラボレーション - 語る、また語る

    外傷は見えたとして、内なる傷は見えない。自分だけが傷ついていると思うとき、たしかにその傷ついた出来事は自分だけのものかもしれないけれど、自分以外の誰かにも傷つくことはあるだろう。言葉にしてもしなくても、心情や感情は実態として目には見えるものではない。自分の体という器の中にどれだけのものが入っているか、自分でも取り出しきれない。 たまたま誰かと出かけていて、そのときに何かを見てふと思い浮かんだ言葉に、自分がずっと話したかったのはこういうことだったのだと、どうして話したいと思っていたのにと話せなかったのかとなる。いろいろな条件が重なることで、自分はその言葉を引いたわけなので、話したいから話せるわけでもなくむしろそれなら唐突になるし、そういえばと何かに紐づいてきた話は、誰かとその何かを共有しているときほど自分も相手も実感的になる。 だからこれを話したいからと誰かに会っても肩透かしになるときもあり

    偶然のコラボレーション - 語る、また語る
    neputa
    neputa 2025/04/22
  • 京都行き - ururundoの雑記帳

    Gallery GOBANGURA KYOTOGRAPHIに行ってきた。 19日 京都は雲一つない 夏の様に暑い日。 目的の画廊2軒とギフト用の買い物をするのに 2時間余りしか時間がないという 忙しい京都行きだった。 こんな細い道にまで観光客が!と噂通りの賑わい。 目的のギャラリーGOBANGURAは 古い商家を改装した その奥にある蔵だった。 ブログをフォローしている岬たくさんの写真は 2階の西の壁に展示してあった。 名前を見なくても すぐに分かる。 写真の下のそれぞれに 岬さんの詩が添えられ それが いかにもブログの岬さんだった。 もう一軒の画廊を周り 歩いて京阪五条駅から三条駅 そして地下鉄で山科へ。 ラクトのKALDIでギフト用のコーヒーを買った。 晩御飯用の「豆藤」のお弁当も。 往復のJRから見える琵琶湖や対岸の山は 黄砂で霞んで見えた。 夜になると 昼間の暑さが嘘のようで 薪ス

    京都行き - ururundoの雑記帳
    neputa
    neputa 2025/04/21
  • 限りある自分の資源と、それを何に分けていくか - 語る、また語る

    やらなければならないことがなくなるとそこに空きが生まれるわけで、その空きで何もしないもよし、何かをしてもよし、やらなければならないことにこれまでいかに自分が自分の資源を投入していたかに気づく。 限りある自分の資源を何に分けていくか、誰かにやってもらうように別の資源も追加するか、割ける自分の資源はそもそもあるのかをわかっていなければ、自分を含めて周りも機能しないだろう。 誰かにとってのあたりまえは、自分にとってのあたりまえではない。少ないであろう自分の資源を見合ったものに運んでいるか、自分をモニタリングである。

    限りある自分の資源と、それを何に分けていくか - 語る、また語る
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    neputa 2025/04/21
  • ありがたさにすぐにはやさしくなれそうにない。 - 語る、また語る

    想定していないことは往々にして起こり、それらによって不確実性への構えができたり、突発的なことを静かに見守ることができるのかもしれないが、あくまでも一部でのことである。気にしてなかったというところで、予想外のことがある。 どれだけ長くつきあっている友人でも仲たがいをすることがあるように、それはこちらだけではどうにもならないことであって、どんなことがあっても安心という安心はないのであった。 ようやく心情も平坦なものになり、自分がごった返していたことで、このような文章を書けたのでありがたいのだけれど、そのありがたさにすぐにはやさしくなれそうにない。

    ありがたさにすぐにはやさしくなれそうにない。 - 語る、また語る
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    neputa 2025/04/20
  • 近づくという"言葉" - 語る、また語る

    アスファルトに、どこからか運ばれた桜の花びら。動かない自分の目印のために、植物の花の色や香りがあるとすると、桜は花びらによって、その場にいながらその存在を広く感じさせる。舞っている花びらにも、離れている木から続くものがある。桜の木とその下を行く人の後姿が、一枚の絵のように据えられている。 言葉はなくとも、近づくという"言葉"がある。よってたかって危ういものには近づかないように、近づくということは友好の現れでもある。子どもなんかは、遊びたい相手にまず近づいていって、周りをうろうろしたりしている。大人であっても、関わりたくない人の近くには必要がなければまず行かない。だから、気を遣って少ししか話せなかったにしろ、近くにいることができただけで次につながるのだと思う。相手にもこちらへの親しみがあればの話だが。

    近づくという"言葉" - 語る、また語る
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    neputa 2025/04/19
    近づく行為や、気持ちが近づくことなど色々と考えさせられました。他との距離をとても大切に思っているはずなのに、近づくかどうかのところはまったく考えずにやっているなと気づき、不思議な気持ち。
  • ゴーゴー・ペンギン、新作のリリースを発表&新曲“Fallowfield Loops”がビデオと共に公開 | NME Japan

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    neputa 2025/04/18
  • VS CodeのCopilotとCopilot Chatの機能と活用方法 | DevelopersIO

    VS CodeのCopilotとCopilot Chatを導入していてBusiness Planのシートを割り当てていただいているのですが、あまり活用できていなかったためどういった機能があるのか調査しました。 CopilotはGithub上で使えるCopilotやCLIから利用できるCopilotなどもありますが、ここではVS Code上から利用できるCopilotに焦点を当てています。 また拡張機能であるGitHub CopilotおよびCopilot Chatは事前にインストールされていることを前提としています。 Code completion これは使っているとすぐに気付ける、もうおなじみの機能といっても問題はず。 Control + Enter で他の候補も見ることができますが、自分はほとんど使ったことがありません。 また、Next Edit Suggestions(NES)という

    VS CodeのCopilotとCopilot Chatの機能と活用方法 | DevelopersIO
  • 吊り橋にて - 語る、また語る

    私は一人で、歩いて吊り橋を渡っている。吊り橋というものは、自分一人で歩くだけでも橋が予想もしない動きをする。よろけそうになりながら、体もくねくねとする。 足を止めて一呼吸していると、ふいに吊り橋が大きくぐらりとする。先には続く吊り橋のみ、背の向こうから誰かが近づいてくる気配がする。急なことに、自分は戦闘態勢に転じる。立っていようとして足に重みをまとめる。 自分はこうだと思ってきたものが、誰かによって形を変えていく。それはよろこびだけではないかもしれないが、そのこもごもは、吊り橋における自分と誰かに似ている。

    吊り橋にて - 語る、また語る
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    neputa 2025/04/17
    人の一生はまさに一本のつり橋を渡るようなものと読みながら感じました。時代や個々の環境の違いで初めから橋が立派だったり、ボロボロだったり。一緒に渡ってくれる人が現れたり、邪魔や追い抜いていく人も。
  • 16日 心が喜んだ事 - ururundoの雑記帳

    買い物の帰り道 山間部のうちの集落の桜もやっと5分咲き。 買い物帰りに見た川沿いの桜並木は8分咲き。 誰もが桜の開花を待ち焦がれ 咲けばその木の下に人は集い そしてはらはらと花びらを落として 去っていく。 ホームセンターで 花と苺の苗を買った。 道路ぎわに紫のペチュニアを3っつ植えた。 蕾が沢山ついている。 大きめの三つの植木鉢に苺苗を一つずつ。 白い花が咲けば 受粉させる事と注意書きを読む。 季節外れの温室苺ではなく 初夏に苺をべたい。 その思いが叶うだろうか。 ペチュニアの苗 1個 ¥88 苺の苗     1個 ¥100 チキン胸肉の薄切り 淡い緑と内側の黄色の葉を 大きく切った春キャベツ 濃い緑のブロッコリーの房をさっと炒め 茹でたてのパスタとさっくりと和えた。 味付けはバター 塩 少しの醤油 胡椒。 これが たまらなく美味しかった。

    16日 心が喜んだ事 - ururundoの雑記帳
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    neputa 2025/04/17
    イチゴの苗、ワクワクしますね。毎年、夏が来るのは憂鬱だと思っていますが、夏を楽しみに変えるやり方を学ばせていただきました。元気なイチゴが育ちますように。
  • あくまでも個々に - 語る、また語る

    わかります、自分もそうですと言われると、自分のことをわかってもらえた気がしていたが、あくまでも相手のなかでのことであると私は何を期待していたのだと思う。相手なりのわかります、自分もそうですは会話の広がりを担っているかもしれないけれど、そこを細かくしていったら一部だけが同じとか、周りのことを含めるとまったく違うとなることだろう。 だから困ったとかそういうことではなくて、私も聞いている相手に自分のことを話し、相手も聞いている私に相手のことを話す、それで成り立っているということだ。共感しなければ、共感しなければと聞いている自分が、ほんとうは一番共感してもらいたがっていた。

    あくまでも個々に - 語る、また語る
    neputa
    neputa 2025/04/15