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訃報とpoliticsに関するnikumiso10のブックマーク (2)

  • 訃報2年以上伏せられた浜四津敏子さん 自公連立と平和主義への苦悩:朝日新聞デジタル

    惜別 元公明党代表代行 浜四津敏子さん なぜ訃報(ふほう)が2年以上公表されなかったのか。改めて政治家としての歩みをたどり、私の脳裏に、平和主義の理想との乖離(かいり)に苦しむ姿がよぎった。 1994年、非自民連立政権で環境庁長官として入閣。野党に転じた後、98年1月に参院と地方議員による「公明」代表に就くと、自民党政権の腐敗を批判し、「自民党と組むことはあり得ません」と主張した。一方で、白血病などの治療に使われる臍帯血(さいたいけつ)移植の保険適用を政府に求めて実現させた。 98年11月に公明党が再結集する際には、党代表に推す声もあったという。 神崎武法元党代表(79)は…

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  • 植民地支配の歴史、アフリカでエリザベス女王の遺産に影

    ナイジェリア・ラゴス(CNN) エリザベス女王2世が亡くなってすぐ、インターネットは人々の回想や反応であふれかえった。だが誰もが悲しみに暮れていたわけではない。アフリカの若者の中には、女王の長い在位期間中に、英国植民地史でも凄惨(せいさん)な時期を耐え忍んだ祖父母など高齢者の写真や物語をシェアしている者もいる。 「追悼する気にはなれない」。あるユーザーはこうツイートして、祖母の「通行証」の画像を投稿した。英国が東アフリカのケニアを統治していた時代、人々の自由な移動を禁じた植民地時代の書類だ。 植民地時代に「女たちが殴られ、夫と引き離されて1人で子どもを世話しなければならなかったという話」を祖母からよく聞かされたという投稿もあった。「彼女たちを決して忘れてはならない。彼女たちは私たちのヒーローだ」とも書かれていた。 こうした追悼拒否の姿勢から浮き彫りになるのは、女王のレガシー(遺産)の複雑さ

    植民地支配の歴史、アフリカでエリザベス女王の遺産に影
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