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ブックマーク / rodori.hatenablog.com (6)

  • 生きる速度/宇野維正『小沢健二の帰還』の感想 - 学者たちを駁して

    いつの日か多くを告げねばならぬ者は、多くを内に秘めて沈黙する。 いつの日か稲を発しなければならない者は、長いあいだ ― 雲でなければならない。 ーニーチェ*1 小沢健二の帰還 作者:宇野 維正出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2017/11/29メディア: 単行『小沢健二の帰還』は小沢健二が「雲」として私たちの頭上を漂っていた“空白期”の活動に焦点を当てて書かれただ。『春にして君を想う』を遺して突如公の場から姿を消した1998年から『流動体について』を携えてフジロックで帰還する2017年までの19年もの間、彼は一体どこで何をしていたのだろうか?人の人生で面白いのは、そこに含まれた空自の数々、ある種の欠落部分であり、何年にも及ぶカタレプシー*2のようなものなら大抵の人の生涯にも含まれている。 ー このあいだ「さよならなんて云えないよ」の宣材のプロフィールを見たんですけど、『犬キャラ

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    nobujirou
    nobujirou 2018/01/22
  • お引っ越し/ブノワ・ペータースの『デリダ伝』を読みながらふと思ったこと。 - 学者たちを駁して

    6月以降、このブログを一行たりとも更新することができていない。上海でのパスポート紛失事件以来、遅れに遅れた仕事に忙殺されてしまい、ブログを書くことに時間を割けなかったということもあるだろうが、一番の理由はおそらく引越しだろう。 長いあいだ住み慣れた日暮里を泣く泣く離れ、新宿区の四谷に引っ越してからもう4ヶ月になる。通勤は以前と比べて段違いに便利になり、盛り場の新宿も近くて刺激も多いので、その点では満足しているのだが、どこか落ち着かず心が宙に浮いた感じになっている。 ここに越して来てからというもの、を読むより飲みに行く時間の方が多くなり、買ったを最後まで読み切ることができなくなって来ているし、一度読んだをもう一度読み返すこともほとんどなくなってしまった。ゴールデン街や荒木町で酒に酔いながらを読むことなど物理的に不可能なのだから当然である。エンゲル係数もやばいことになっていて、もしかす

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    nobujirou
    nobujirou 2015/10/14
  • 上海护证紛失記 第一話 「檻」 - 学者たちを駁して

    ゴールデンウィークを利用して上海に来ている。と言っても、このエントリーを書いている今日はもう2015年5月13日水曜日であり、こう言うと直ちに「ゴールデンウィークって言ったって、そんなものはとっくの昔に終わってるじゃないか。」というツッコミが返って来ることはわかっている。おっしゃる通りで、返す言葉もなく、連休はとうに終わっているにもかかわらず、僕はまだ上海にとどまっている。要するに、やるべき仕事を気のいい同僚に丸投げし、“東洋の魔都”上海の雑踏を寄る辺なくブラついている。先週末、不覚にもパスポート[护证]を紛失してしまい、上海の入管で思わぬ足止めをくっているのだ。 パスポートをなくしたことに気がついたのは、先週木曜日の午後2時半頃、上海市内からタクシーを飛ばして30分ほど進んだところにある上海野生動物園のサファリバスに搭乗して程なくのことだった。何やら胸騒ぎがして、カバンの中を確認すると、

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    nobujirou
    nobujirou 2015/05/13
    これは、いったい、
  • ニセの問題の見分け方/ドゥルーズ『ベルクソンの哲学』について - 学者たちを駁して

    上手に問題を出す 答えを出すことよりも質問することの方が難しい。質問の仕方が不味ければ正しい答えを出せるはずもないし、答えが見つからずに悩んでいる時は質問の仕方がそもそも良くない場合が非常に多い。或る問題が一向に解決を見ないのは、答えばかり知ろうと焦るあまりに、問題を上手に立てることをおろそかしているからではないだろうか。 ちきりんでも室井佑月でも、なんか学校でいた「この問題わかんないから答え教えて! 難しいことわからないので答えだけでいいから!」っていう友達思い出すんだよねえ。お前、答えだけ聞いてわかったつもりになっても、なんでその答えになるか考えられないと意味ないだろう、みたいな。— 津田和俊@てっぽう撃つでぇ (@kaztsuda) 2015年1月6日 たとえ正しい答えを知ることができたとしても、その答えを出すに至るまでのプロセスを知らなければ、学生がよくやる一夜漬けのその場しのぎと

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  • メガラ派について(3)/ハイデガー『アリストテレス「形而上学」』第三編§19の覚書 - 学者たちを駁して

    前回のエントリーでは、『形而上学』の全体像を概観し、第9巻を担い導く根源的な問いが《有るものとは何であるか》であることを確認した。有ルモノハ様々ナ意味デ語ラレル[το ον λεγεται πολλαχως]。『形而上学』が有るものを語ル際の語リの方式は全部で四通りあって、それは以下のように図示することができる。 上記のうち、第9巻で扱われるのは、デュナミス[δυναμις:可能性]とエネルゲイア[ενεργεια:現実性]の問題領域であり、アリストテレスがメガラ派との対決を開始する第9巻第3章で主題的に問われるのは、能力の質(何であるか)ではなく、能力の現実性、すなわち、そもそも《能力はいかにして現実的に有るのか》という問題であった。《能力はいかにして現に眼の前にあるのか?》というこの問いに対して、メガラ派はこう答えるー能力が現ニ働イテイル[ενεργη]こと、すなわち能力の遂行[εν

    メガラ派について(3)/ハイデガー『アリストテレス「形而上学」』第三編§19の覚書 - 学者たちを駁して
  • 晩年のレヴィ=ストロース/『みる きく よむ』について - 学者たちを駁して

    レヴィ=ストロースは、晩年の芸術論『みる きく よむ』(当時85歳!)のなかで、葛飾北斎の『富嶽百景』の画の中に描かれる事物のスケールに著しい差があることに注意を促した上で面白いことを言っている。*1 『富嶽百景』のいくつかの画面は、〔…〕多分現場で描いたり、画帖に書きとめた景色の細部や断片を、スケールの違いを無視して後で寄せ集め、画面を構成したことを示している。 つまり、北斎は、あらかじめ描こうとする景色の断片を一つ一つ個別に構想して描き、その後でしかるべく配置をして一つの作品に仕上げたのではないかと言うのである。これは、単に草案から最終的な画面を仕上げるという通常のやり方とは少々異なっている。要するに、ゴッホやドビュッシーなど西洋の芸術家たちを驚かせた北斎の作品の偉大さの秘密は、彼の作品が一種の“二次創作”であったことによると言うわけだ。 レヴィ=ストロースの考えでは、作品を描くときに

    晩年のレヴィ=ストロース/『みる きく よむ』について - 学者たちを駁して
    nobujirou
    nobujirou 2014/09/23
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