哲学と思想が違うように、また、科学と似非科学が違うように、宗教と人生論が違うように、と言うような話し―― 哲学とは 思想ではない 近所の本屋(少々大きめ)では、「哲学・思想」ってコーナになっています。明確に違うけど親戚程度には近い存在という分類方法ですね。琴子の考えでは思想ってのは哲学から「考える部分」を抜いた物を思想っていいます。 ちょうど、酒粕みたいなもの? 考える部分が「アルコール」とするなら、哲学ってのはちょうど日本酒のように風味や酒の色や香りなんて部分もひっくるめた物をいいます。それでもなお、考えるべき部分が残るのが日本酒。同じ酒造最適米から作られれいても、酵母(Sacaharomyces sake)の種類(協会601号とか1401号とかね)に応じていろいろな種類が出来るのと同じように。土壌とか風土に応じて考え方の基礎が異なるわけですよ。 だから、色んな思想が生まれるわけ。そして
![泣き言メイン(琴子のセンス・オブ・ワンダーな日々) - 違いのわかる様になる話し。](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/06a15c64ba0ceec233d86d71001ebb29a9dcbf5d/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.blog.st-hatena.com%2Fimages%2Ftheme%2Fog-image-1500.png)