educationに関するnshashのブックマーク (58)

  • エラー|【早稲田塾】大学受験予備校・人財育成

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    nshash
    nshash 2009/04/08
    わざわざお金を払って大学に行く価値というのはやっぱりコミュニケーションにあるのかな。こういう大胆な策が打てるのもそういう自信があるからじゃないのかな
  • リベラルアーツは不完全である | 世界の大学めぐり

    世界の大学を見学した大学研究家です。北はケンブリッジから南はホーチミン、西はリスボン、東はマサチューセッツまで行きました。 メールはこちら kurikin@juno.ocn.ne.jp ←読後にクリックをお願いします

    リベラルアーツは不完全である | 世界の大学めぐり
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    nshash 2009/04/08
    職業人と大学人の対話 / リベラル・アーツは生活に密着したものであるべきだという話
  • 型とオリジナリティ(あるいは「他者の経験から学ぶ」): DESIGN IT! w/LOVE

    ことばは人間の感覚をバラバラに分解してしまいもするが、それを再びつなぎとめるのもことばだったりします。 たとえば、『古今和歌集』にもこんな歌がある。 折りつれば袖こそにほへ 梅の花ありとや こゝに鶯の鳴く 枝を折った際に袖に香りが移ったのか、花はここにはないのに花があるかのように鶯が鳴いている、という歌。梅の香(嗅覚)と鶯の声(聴覚)が結び付けられることで、その情景に欠けた梅の花(視覚)を想起させている。 和歌のデータベースと記憶の検索システム梅といえば鶯というように、和歌の世界では、ひとつのことば(イメージ)が別のことば(イメージ)を想起させるデータベースのような構造があります。そこでは梅の花ということばは、梅の香や鶯の声の記憶を呼び覚ますキーとなる。 もちろん、ことば=イメージをつなぎとめているのは、人間の身体的な記憶であって、その記憶は個々人の違いをこえて伝播していきます。実際には個

    nshash
    nshash 2009/03/11
    「自らの経験もしょせんは他者の恩恵を得てしてしか成り立たない」のはその通り。どうも私は他者の経験に頼りすぎてしまうところがあって、「ゴミ」という言い方をしています。でも、言い直した方がいいな
  • テキスト情報過多の時代に人は何を感じるか: DESIGN IT! w/LOVE

    いまの時代って、もしかたら単純に情報過多というよりもテキスト情報過多といったほうがいいのではないのかなんて思います。 言い方を変えると文字情報過多。さらに言い方を変えると、一人の人間が摂取する情報全体の割合のなかで占める文字情報の比率がもしかしたら高くなっているんではないかと思います。 「方法依存症」というエントリーでは、方法論の情報収集ばかりを行う割には、自分でその方法を試してみてそこからのフィードバック情報を自分で活かすことが少ない人を方法依存症という風に仮に呼んでみました。 ただ、それは方法論の話に限らず、もっと一般的な話としてみた場合でも、テキスト化された情報の収集には熱心な割に、自分で何かを実際に体験してみて得られる生の情報を役立てるということが相対的に少なくなっているのではないかと思うんです。 純化された情報自分で体験してみて直接情報を得るよりも、誰かがテキスト化した情報を間接

    nshash
    nshash 2009/03/10
    その意味から(極論ではあるけど)他者の経験の表出は所詮ゴミでしかないと思っています(たまにすごく同じプロセスをたどった方がいて、参考になることはあるけど)
  • エラー|【早稲田塾】大学受験予備校・人財育成

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    nshash 2009/02/23
    高等教育がユニバーサル化し、専任の進路指導要員の必要性が問われるのは自然な流れ。ミスマッチを防ぐために労働のそれと同じくハロワのように行政(=教育委員会)も指導協力する流れがあっていいと思うのだけど
  • http://blog.iaspectrum.net/2008/12/retrospect-2008.html

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    nshash 2008/12/28
    児童中心主義教育とユーザ中心デザインの共通性について、大学の講義の常連がここで出てくるとは。問題解決型学習との接点も見いだせないかな
  • 子供たちに「Wikiリテラシー」を習得させることは可能か | WIRED VISION

    子供たちに「Wikiリテラシー」を習得させることは可能か 2008年12月10日 IT コメント: トラックバック (0) (これまでの yomoyomoの「情報共有の未来」はこちら) 少し前に『Wiki Writing: Collaborative Learning in the College Classroom』というが刊行されたのを知りました。版元のミシガン大学のページを見ると、著者は Wiki と言えば Wikipedia ばかりが引き合いに出される現状に不満をもっており、大学で Wiki を利用した共同作業的な学習環境を実現するために書は書かれたようです。 ここで少し横道にそれますが、ブログや Wiki やポッドキャストといった、いわゆる Web 2.0 ツールを教育に活かすことを目指すアメリカではいくつも出ており、ワタシが知るだけでも以下の4冊があります。 John

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    nshash 2008/12/10
    情報が共同の知となる(選別・加工・編集される)過程を体感することで、リテラシーを磨くという話。でも、そのためにWikiを用いる必然性はないような。対面共同作業の方がコミュニケーションは活性化しそうだし
  • オックスフォード大学とケンブリッジ大学のユニークな入試問題が話題に

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    nshash 2008/12/10
    現実的には受験生が平均的にある一定以上の学力を持っているからできることなんだろうけど、「教わる」から「学ぶ」への転換のメッセージとしては有効だと思う
  • エラー|【早稲田塾】大学受験予備校・人財育成

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    nshash 2008/11/30
    高等教育行政に関して(失敗は修正しつつにしても)組織として一貫した方針が出来ているのだろうかという疑問提示。さすがに中教審では認証評価制度との整合性も問われるだろうから、それに注目
  • エラー|【早稲田塾】大学受験予備校・人財育成

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    nshash 2008/10/30
    氷河期においても新卒一括採用を疑問視する声が出たわけだけど、かといってこの形式が動く気配も無し。月並みながら、学校・大学の学年制システムが変わらない限り、このシステムも変わらないのじゃないかな
  • 大学教員の日常・非日常:「論理的」とは「具体的」である

    クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 「論理的思考力を」なんてなスローガンに対抗するため、最近は、宇佐美寛先生の著作を読みふけっています。 今まで教えていたことがいかに浅薄であったかということを認識させられ、鼻血も耳血もふきつくしました。国語教育で論理的思考力を養う目的は、論争の能力を高めることである。 方法もこの目的と同質的な方が効果がある。(これは教育学の定理の一つであろう。)つまり、まさに論争を教育方法にするのである。「論争による、論争のための教育」を行なうべきなのである。 1〈論理〉とは、もともと論争を通じて論争のために考え出されてきたものである。2各個人の論争能力を育てなければ、各個人は自衛し得ず、民主主義は成り立たない。この二

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    nshash 2008/10/17
    論理的≒わかりやすい≒具体的(抽象的でも論理的であり得るだろうし)という構図の中での錯誤な感じもする。引用具合が気になるので読んでみようかな
  • ネット時代のコピペ・レポート・リテラシー【追記あり】 | 5号館を出て

    大学の前期授業も終わりました。私の授業は欠席を認めない代わりに、2000字程度のレポートを提出すると出席したという扱いにすることにしていますので、欠席レポートが届きます。 また、私は試験も嫌いなので、代わりにもレポートを課しました。 講義を聞いて得たインスピレーションをもとに、「個体発生と系統発生」というタイトルでバイオロジカル・エッセイ(*)を書いてください。2000字以上で、参考文献・ウェブサイトを明示すること。 *単なる講義の感想ではなく、しっかりとした生物学的裏付けと科学的推論を含み、今後の研究の展望を示唆するようなもの。 この時代ですから、当然のことながらレポートの内容はネットで見つけた情報のコピペが多いわけです。ネットで検索してコピペするだけなら、この写真にあるようにウィンドウズならばCtrl+CとCtrl+V(マックならばCmd+CとCmd+Vでしょうか)を何回か繰り返すと、

    ネット時代のコピペ・レポート・リテラシー【追記あり】 | 5号館を出て
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    nshash 2008/08/11
    なぜコピペ元を明らかにしないのか明らかにしないとな。あと、いい授業=自分の意見を組み立てたくなる・組み立てを支援する・組み立て方を教えてくれる授業を初年次にしっかり設けて体験させることが肝要か
  • エラー|【早稲田塾】大学受験予備校・人財育成

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    nshash 2008/07/26
    文系学生でも科学論や学際科目を履修する人って結構いるんですよね(それを社会的テーマにつなげるのは学生に委ねられるわけですが)。しかし、専門と教養とを分離して別々に考えている所があるのは残念だな
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    nshash 2008/07/23
    客観的なデータがない問題って消費者目線からはもちろん問題なんだけど、大学側もミスマッチを解消していく手段として積極的に情報公開していくべきだと思う。未回答の226校は伏魔殿ぽい感じがする
  • 小寺信良の現象試考:情報教育は実際どうなっているのか (1/3) - ITmedia D LifeStyle

    MIAU版インターネット教科書プロジェクトの課程で、中学校の技術の先生、高校の情報の先生らにヒアリングを行なってきた。我々のようなネットの団体が、学校のようなオフィシャルなところに立ち入ることができるのか、という懸念はあったのだが、実際にはかなり「開かれた学校」が多いこと、先生自身も情報教育についての問題意識が高いことから、案ずるより産むが易しといった状況であることが分かってきた。 やはり実際に子供たちと日々顔をつきあわせている先生たちというのは、まさに現場そのものである。単に机上で今の子供たちを想像してあれこれ考えるよりも、現実ははるかに先に行っている部分もあるし、なんでそんなことにと驚くようなこともある。今回はそのヒアリング結果を踏まえて、現状の情報教育の問題と現実を多くの人に共有するとともに、今後やるべきことを考えていきたい。 イメージとしての子供と現実のズレ 青少年への情報リテラシ

    小寺信良の現象試考:情報教育は実際どうなっているのか (1/3) - ITmedia D LifeStyle
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    nshash 2008/07/08
    情報リテラシを育成することが『「変化の激しいこれからの社会を」生きる力』を養う処のゆとり教育の目的と合致すると思うのだが、現状はどうだろう / 情報リテラシー≠ネットリテラシー。その辺の捉え方を知りたい
  • 攻める大学図書館 - 大学プロデューサーズ・ノート 【早稲田塾】

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    nshash
    nshash 2008/06/29
    共同学習の場としての図書館の役割については、うちのは学生会館にまかせている感がある(数少ないmtgルーム以外は全面私語禁止)。ふらっと寄れる図書館がいいのか悪いのかで議論が分かれそうな感じがする
  • Life is beautiful: 自分で考える前にググっていませんか?

    つい先日、興味深い話を聞いた。ある大学の授業で「デジタル・コンテンツ・ビジネス」というテーマで小論文を宿題として書かせたところ、同じような内容の小論文ばかりが集まったという。その原因を調べたところ、「デジタル コンテンツ ビジネス」のキーワードでググると上位に来る私の過去のエントリーの内容がほぼ丸写しにされていたという。 日の学生の勉強に対する態度なんてそんなものなのかも知れないが(それはそれで憂うべき話だがその話は別の機会に)、少し心配になるのがどんな気持ちでその手の「コピペ」をしているのか、という点である。確信犯的に「徹底的に手を抜きたいからコピペしているだけ」ならまだ許せる。私が問題視するのは「自分で考える前にまずググる」習慣であり、「ググれば答えが見つかるにちがいない」という錯覚である。 暗黒時代とも呼ばれる中世ヨーロッパで科学の進歩があんなにも長い間低迷した原因の一つは、あの時

    nshash
    nshash 2008/06/19
    図書館の図書資源は有限だから、そういう習慣が身につくのも不思議ではない。コピペ以前にそもそも個人のブログとか信頼のおけないソースが(典拠があっても)レポートではマイナスという文化も背景にあるかも
  • エラー|【早稲田塾】大学受験予備校・人財育成

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    nshash 2008/06/06
    保守主義な人には嘆きの種になるかもしれないエントリ。 / 「これを授業で使いこなすには、教員側に慣れが必要かもしれません」確かに。そういう意味では共通言語をとりあえず持たせようという意図なんだろうな
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    nshash
    nshash 2008/05/25
    縦割り行政という言葉よりも超省庁的ビジョンの共有不足という方がしっくりくる。現在の所、この不毛なケンカに対する答えは省庁の連携ではなく、小泉内閣以来強まった内閣機能の強化なんだろうね
  • e-learning2.0への期待

    僕はe-learningという考え方は、トップダウンのイメージしかなくて嫌いでした。 人事部の教育コスト、移動コストのコストダウンや、元々予備校がやっていたビデオ学習をオンライン化しただけのものなど。それ自体には送信側のメリットはあるけど、受信側が「オンラインであること」のメリットはどこまであるのだろうか?という部分で、あまり有効なイメージがわかなかった。 予備校が、Webより一歩手前の時代にCSや衛星放送に手痛い投資をしていて、遠隔教育について力尽きていたってのもあるとは思うんだけど、どうにもe-learningが有効活用されているイメージはない。 確かに慶応SFCやアメリカのスゴイ大学の授業が見られるようにはなってるんだけど、それは、その大学がやってることがスゴイのであって、決してe-learningとしてやっていることそのものが画期的だったわけじゃない。SFCだって、RealPlay

    nshash
    nshash 2008/05/12
    つまりe-learningって1(教授側)対n(被教授側)よりも、n対nみたいなアプローチの方が向いてるって事か。確かにそちらの方が緊張感もあって意欲も湧くか。となると、リアル教育とe-learningは別物で捉えるのがよいのか。