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ブックマーク / inujin.hatenablog.com (45)

  • 健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会に潜伏しています。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    シロクマ先生(id:p_shirokuma)の新著『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』を読ませていただいた。 文章の色んなところから、シロクマ先生の強い覚悟を感じ、なんとなくずっと背筋を伸ばしたままで読み終えた。 シロクマ先生は書の中で、この国の「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会」のあり方について疑問を投げかけるだけでなく、精神科医としてのご自身の立場に対してさえも疑いのまなざしを向けている。 たとえば、こんな感じだ。 資主義・個人主義・社会契約が徹底していく社会、どこまでも清潔で健康で道徳的になりゆく社会、秩序と社会適応の同心円へあらゆる人を包み込む社会から逃れることは困難になった。家庭でも、学校でも、職場でも、マスメディアやインターネットでも、それらを大前提とした通念や習慣に私たちは曝され、それを内面化していく。そのことは医療や福祉の現場でも変わらない。こ

    健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会に潜伏しています。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2020/08/16
  • 誰にも、尊敬されない人生。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    「クソみたいな仕事」について書かれているが話題になっているようだ。 考えてみるに、ぼくはこれまでひとつも人命を救うような仕事もしたこともなければ、世の中から感謝される仕事もしたことがないし、自分がやらなければ誰かが困るなんて仕事もしたことがない。 サラリーマンは常に替えがきく存在であって、自分がいなくなっても現場が回るように環境を整えて、そっと退場するところまでが仕事なのである。 若い頃はそういうのが耐えられなくて、生まれてきたからにはすごいことを成し遂げたい、世の中をあっと言わせてやるんだという気持ちが強くて、それがあまりに強かったので、現実とのギャップにすごく苦しんでいた。 そうやって年を取る中で、つまらない仕事、かっこわるい仕事、恥ずかしい仕事もたくさん経験した。 今でも、特に同年代で世の中からたくさん尊敬される仕事をしている人と出会うと、とてもうらやましく感じる。 だけど、自分の

    誰にも、尊敬されない人生。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2020/08/16
  • おっさんは、何が楽しくて生きているのか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    昔から不思議でならなかった。 一体、世の中のおっさんは、何が楽しくて生きているのか、さっぱりわからなかった。 よく考えると、若い頃は、まあまあはっきりと自分が若いということを自覚していて、若いあいだにしか楽しめないことがあるとわかっていた気がする。 激しい恋愛とか、長期の旅行とか、遅くまで飲み歩くとか、朝まで踊るとか、徹夜で文章を書いて昼まで寝るとか、例えばそういうことだ。 だから昔から40代になったら人生は終わりだなと思っていて、実際に自分の周りの40代の男性というのは当に大変そうで、そしてつまらなさそうだった。 実際にぼくは40代を目前にして、これからの人生に全然期待が持てなくて、生きる意味を見失っていた時期があった。 家庭に給料を持ち帰るだけのATMと化して、仕事では若手に活躍の場を追われ、出世競争に負けて生きる屍となり、なんの生産性もない趣味や遊びに逃げ、命の残り時間がただ減って

    おっさんは、何が楽しくて生きているのか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2019/11/19
  • ズボンって、はく必要がありますか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    コンテンツプランナー/編集者の小沢あやさんが「限界母さんワンピース」なるものを提案されている。 はせおやさいさん(id:hase0831)経由で知った。 note.mu 「限界母さんワンピース」の定義は以下の通りだそうだ。 ・2000円くらいで気軽に買える ・パジャマになるくらいの楽さ ・保育園送迎とコンビニくらいなら余裕で行ける ・丈が長すぎず短すぎず、そのままママチャリにまたがれる ・デニム履けば「こういうコーデです」で渋谷新宿までいけそう ・洗濯乾燥機からほじくりだしてそのまま着られる ・ブラとパンツが透けない適度な厚み このコンセプトが素敵で、ぼくも欲しいな、と思ってしまった。 限界父さんもこれ欲しい https://t.co/Eb2YLwNwor— いぬじん (@inujin_) 2019年8月28日 子どもができてから、朝、何を着ようか服を選ぶのがすごく面倒になってきた。 ぼく

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    nstrkd 2019/09/01
  • 世界は、続いてほしいと思う。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    まったくもってクソみたいな世の中だと思う。 いくら働いても生活にゆとりは生まれないし、どれだけ人に頭下げてもエラくはなれないし、なんとかして競争に生き残っても容赦なくまた新しいデスゲームがはじまるだけだ。 疲れた体を休ませて、ちょっとだけ呼吸をしようとブログを書いたら、ひどいコメントに叩かれて、機嫌が悪くなって、こんな世界なんてほんとに終わってるなと思うことばかりだ。 でもまあそれでもこの世は続いてほしいなあとは思っている。 たくさんのクソみたいなことと同じくらい、素敵なことがあるからだ。 朝のパンが焼けるいい匂い。 子どもとしりとりしながら保育園に迎う道。 時間どおりにガタンゴトンとやってきてくれる電車に乗って、通勤中の会社員という役割がある自分。 学生の頃は何でもない自分が嫌で嫌で、早く働きたいと思っていた。 働いてみたらやっぱり働くのは楽しくて、まあそれからたくさんひどい目にもあった

    世界は、続いてほしいと思う。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2019/01/09
  • イヤなニュースには、反応しない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    ここのところインターネットで、不快だと感じるニュースがいくつかあった。 そういうのを読むたびに、ついカッとなって脊髄反射で何か意見を書きこんでやろうかと思ってしまうのだが、その衝動をグッと我慢して、そっとブラウザを閉じるようにしていた。 カッとなって色んなことを書けば、きっとその瞬間はスッキリするのだろうし、もしその内容を他の誰かにも支持してもらえたら、それ見たことかと溜飲が下がるのかもしれない。 しかしそういうことは一瞬の出来事であり、実際はそのニュースを拡散する手助けをしているだけにすぎない。 例えば、誰かが何か過激な意見を発信していたとして、その過激な意見に抗議する形でぼくの意見を発信すれば、元の意見も同時に発信することになってしまう。 人間というのはなんでも自分の都合の良いようにとらえたくなる生き物である。 もしぼくの抗議文がどこか全然関係のない人のところにたどりついたときに、元の

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    nstrkd 2017/01/24
  • 自分が無害なおっさんであることを伝えるのは、難しい。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    平日の昼間、クリスマスプレゼントにもらったラジコンカーをどうしても公園で走らせたいと子供が言うので一緒に行った。 その日はぼくは休暇を取っていたのだが、世間的にはまだみんな働いている普通の平日の昼間だったので、あまり人もいなかった。 しばらくラジコンカーを走らせて遊んでいたら、子供が急にウンチをしたいからトイレに行くと言い出した。 トイレは公園の少し奥のほうにあって、そこにはブランコや滑り台や砂場があり、ちょっと目が行き届きにくい場所だ。 昼間だといってもなんとなく物騒なので、ぼくは子供に付いていって、トイレの前でラジコンカーを預かって、外でじっと立って待っていた。 退屈なので周りを見回すと、小さい子供と若い母親たちが数人いるだけで、大人の男はぼくだけだった。 これはなかなか危ない感じの人間に見えかねないと思った。 ぼくはいま、平日の昼間から働きもせずに、子供たちとその母親たちしかいない公

    自分が無害なおっさんであることを伝えるのは、難しい。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2016/12/30
  • 40年生きてきて、もういらないと思うもの - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    40歳を前にして、いままで気にしてきたけどこれからは不要だと思うもの おしゃれな美容院で髪切ること リンスとかコンディショナーみたいなやつ やたら値段の高いジーパン やたら値段の高いスニーカー 無理にかっこつけて履いたら後で足が痛くなる革 ファッション誌 最新のスマホ 最新のパソコン 高級な時計 チャラチャラしたアクセサリー 「40歳までに必ずやっておくべき10のこと」という自己啓発書 「30歳までに必ずやっておくべき10のこと」という自己啓発書 「20歳までに必ずやっておくべき10のこと」という自己啓発書 それ以外の自己啓発書全部 やたら写真を撮ること 昔はモテた自慢 おしゃれすぎるカフェに入ること 高いだけでおいしいかどうかよくわからない事に行くこと 好きでもない人と事に行くこと 好きでもない人と一緒に仕事すること 遅くまで会社にいること 睡眠時間を削って働くこと 分厚い企画書

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    nstrkd 2016/12/11
  • 人生の、目的地とは。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    東京出張した時に中途半端に時間が余り、美術館に行くには無理があるし、人に会うには急すぎるし、さてどうしようかと思って、家族に買って帰るお土産をちょっとじっくり選ぶことにして、いいものを買うことができてとても満足した。 東京に行くとあれもしとかなくちゃこれも見とかなくちゃと、妙に落ち着かない気持ちになる。 しかしぼくはそういうやりくりがとても苦手なので、そんなにうまく用事をこなせない。 結局何もできずにがっかりすることと比べたら、家族のお土産をじっくり吟味するのはなかなか良い時間の使い方だと感じる。 若い頃はどこか遠いところに行くときは、そのどこか遠いところこそが目的地だったけど、いつのまにか、遠くへ行って、戻ってくるところが目的地になっている気がする。 家を出るときや保育園を出るときは、いってきます、と言う。 いってきます、はたいていの場合、ただいま、と対になっているから、やっぱり戻ってく

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    nstrkd 2016/11/11
  • お金を出して、不安を買う。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    大学生の時は、貯金なんて一切してなかった。 バイト代は、バイトが終わったあとに飲みに行って大部分は使ってしまった。 バイト仲間にハーフの先輩がいて、俺はハーフだからといってハーフアンドハーフのビールばかり飲む。 お前はハーフじゃないから来は飲む権利はないが、俺が特別に許してやると言われたので、ぼくもいつもハーフアンドハーフのビールを飲んでいた。 先輩はぼくをかわいがってくれていて、色んなことを教えてくれたが、インターネットのエチケットのことをネチケットというのだとメールごしに教えてもらったことしか覚えていない。 先輩はいつも微妙に多めに飲み代を払ってくれたので、いつも微妙にお金は残った。 それでとCDを買ったら全部で、夏休みは少し収入が多かったが、そのぶんで服を買ったら、だいたい何も残らなかった。 ぼくは大学生の頃に、大学生じゃないとできないような経験を何もしなかったことをいまだに後悔

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    nstrkd 2016/10/18
  • ハッピーエンドは、望んでいない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    自分の人生を振り返ってみると、これはいかにもハッピーエンドだな、みたいな場面が、決してたいしたことではないのだけれど、いくつかすぐに思い起こされる。 しかし残念ながらというか幸運なことにというか、ぼくの人生はまだ続いていて、それで、自分がいまハッピーかどうかというのを、それらのハッピーエンドとなんとなく比べているような気もする。 だけどそれは悪くない話だと思っていて、なぜなら仮にそのハッピーエンドな瞬間よりもいまがハッピーじゃないとしても、自分には一度ないし二度三度とハッピーエンドを迎えられた経験があるわけで、もうあとはどれだけ記録更新に取り組もうか、みたいな、自分との戦いないし折り合いをつける作業のような気でいられる。 辛いのは、他人のハッピーエンドを自分のハッピーエンドと勘違いしてしまうことである。 有名クリエイターとして大活躍することや、会社の役員になって経営手腕を発揮することや、高

    ハッピーエンドは、望んでいない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2016/08/31
  • いったい人間は何年生きると、思っているのか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    ふと思い出した。 10代の頃、何か楽しいことがあるたびに、この時間がずっと続いてほしいけれどそれは絶対にありえない、人生において楽しいことばかりは続かない、とよく思っていた。 その予感はやっぱり正しくて、あの頃の、全身がしびれるようにドキドキするような体験というのは二度とやってこなかったし、それは別に10代に限らず、いつだってそうなのだ。 楽しい時間も、苦しい時間も、同じものは二度とやってこないし、それは他の人には体験できないものだ。時間は切り分けたり、交換したりはできない。 しかし、これと正反対の時間感覚について語られるときがあって、それはよく生命保険や住宅ローンのときに語られるような世界観で、お子さんが成人したときにはこうなります、とか、何歳のときにこうなります、そのときに得られる利得はこれだけです、といった経済学の発想である。 経済学では、一年は誰にとっても同じ一年として数えられる。

    いったい人間は何年生きると、思っているのか。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2016/08/06
  • お金よりも、大事なもの。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    今月のハーバードビジネスレビューに糸井重里さんのインタビュー記事があって、仕事は楽しいだけじゃやっていけない、お金儲けも組み込まないと踏ん張りがきかない、というようなことをおっしゃっていて、ああそうか、と思った。 いくら楽しいことやワクワクすることに取り組んでいても、ちょっとイヤなことがあったり面倒なことがあると、つい逃げ出したくなる。 お金が関係していれば、いやここでもうちょっと頑張らなくちゃと、腹がすわるということなのだろう。 たしかに、一度覚悟が決まってしまうと、逆説的だけれどすごく自由になれる気がして、ああオレはもうここでっていくしかないんだな、と思ったとたん、だとしたらどうやったらっていけるのか必死に考えはじめる、そのプロセスはひどく自由意思に満ちている気がする。 もちろん誰だってそんな追いつめられた状況になるのはイヤだし、腹がすわるとか覚悟が決まるとか、ずいぶんいかつい言葉

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    nstrkd 2016/02/12
  • 偉大なる、暗闇。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    こんにちは、サードブロガーです。 偉大なる暗闇、という言葉を司馬遼太郎氏の著書の中で見かけて、それは色んなことを色々知っているけど何かを体系だてて理解したりそれによって新たな知恵を生み出したりはしていない人物なり状態を指すみたいで、いやはやぼくは偉大でこそないが立派な暗闇だなと、嫌になるくらい痛感した。 少し知っていることがあるとすぐに言いたくなるし、ちょっと思いついたことがあると誰かに伝えたくなる。 だけど、それはすべて細切れのもので、お互いにつながらない。 つながらないから力が伝わらず、周りを照らすこともできないし、何も動かせない。 ちゃんとつながっていく人とは、何が違うのだろう。 なんとなく思うけど、つなげられる人は、自分は暗闇である、と思っているんじゃないだろうか。 自分が暗闇であるからこそ、どこが暗くて、そのせいで誰が困ってるかがわかる。 しかし、なぜ明るくできないかがわからなく

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    nstrkd 2016/01/23
  • 書く、意味。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    とあるミュージシャンの話をしていて、あの人が他の人よりもいい歌詞を書くのは、個人的に色々と辛い経験をしたりしていて、言葉にしなくちゃ自身が救われないからなんじゃないか、そういう祈りみたいなものが聴く人の心を動かすんじゃないか、みたいなとんでもなく下世話で勝手な憶測を話したのだが、珍しくは納得していた。 それで思ったのだが、やっぱり書くという行為と祈るという行為は似ている気がしていて、それはどちらもこの現実ではまだ起こっていない、自分が望む世界があって、しかし自分の力だけではどうにもならなくて、そのことを認めざるを得なくて、だけどあきらめたくもなくて、そんな気持ちの中で生まれる行為ではないかと思うからだ。 未来を作るため、なんて言い切れるほど偉そうな行為じゃないと思うのだ、書くということは。 よく考えるとコピーライター時代にほめてもらった仕事のほとんどは、弱いものが主役になっているものば

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    nstrkd 2016/01/18
  • 日記を書く、日記を読む。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    個人の日記には、何の価値もない。 そこにはこの国に経済的効果をもたらすためのヒントなんてどこにもないし、日々の暮らしを向上させるための知恵も見出せない。 少し前だが、ドナルド・キーンさんの話がテレビで紹介されていて、氏が日人に興味を持ったきっかけのひとつは戦争中に死んだ日兵たちの日記を読んだことだそうだ。 日記の中身は軍事的には何の価値もない情報ばかりで、戦地で正月を祝い豆を分け合ったことなどの日々の出来事が書かれていただけらしい。キーン氏は、敵軍の捕虜にされる前に集団自決するほど任務遂行に執着する日人がなぜこのような、何でもない日々の記録を日記として残すのか不思議でならなかったらしい。 この日人の日記文化のようなものはキーン氏の努力もあり日文学として戦後注目されるようになるわけだが、しかしなぜ日人がどうでもいいような内容の個人的な日記を書くのかはその番組では明らかにされていな

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    nstrkd 2015/10/20
  • 自分を、予約する。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    時間が、ない。 気でそう思うようになってから、2年ぐらい経つ。 育児に家事に仕事に、やらなければいけないこととやりたいことがいくらでもあって、とにかく時間がないことに悩んでいる。 おまけに最近は仕事の中で新たな領域について学び始めたこともあり、当に余裕がない。それでもまあなんとかなるだろうと睡眠時間を削っていたら体調を崩し、仕事にも支障をきたした。 見かねた上司がまるで新人を諭すような口調で教えてくれたのが「自分を予約すること」である。 長い目で見て、当にやるべきこと、やりたいことを決め、そのための時間をあらかじめ手帳に具体的に「予定」として書きこみなさい、と教わった。 アポや打ち合わせなどの他人と共有する予定と同じように、自分が考える時間、模索する時間、そしてそれを実際の活動にしていく時間を自分に対して「予約」するのである。 以前からその考えは知っていたけれど、自分には必要ないと思

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    nstrkd 2015/10/15
  • 来なかった人は、必要か。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    行くのが面倒だなと思ってる集まりにいやいや参加した時にかぎって、「今日来なかった人はもったいないことしたよね」なんてことを自分が言ってることがあって、この心の動きはなんだろな、と思う。 今日来なかった人は損してるよね、自分たちはラッキーだよね、たくさん得るものがあったもんね、という気持ちが全くのウソでもなく、無理やり言い聞かせているとも限らず、実際に人はそう思ってたりする。 不思議なのは、参加者たち自身で「今日は来てよかったな」と勝手に思っていればいいだけなのに、なぜか「来なかった人」を引き合いに出してしまうところだ。 それは「ひょっとしたら今日来なかったかもしれない自分自身」との比較をして選択の正しさを納得するプロセスであったり、あるいは身内意識を高めるためなのかもしれないが、とにかく不思議な行動である。 しかし、ぼくに限って言えば、いずれにしても「やっぱり来るんじゃなかった」と思いた

    来なかった人は、必要か。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2015/08/19
  • 人の心なんて、わからない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    マンガや小説の主人公の設定で「仕事は天才的だが人の心がわからない」というようなものを時々見かける。 そのたびにぼくは「人の心がわからないのに天才的な仕事なんてできるのかよ」と思ってしまう。 しかし時折、実際にひどく優秀なのに「人の心がわからない」あるいは「人の心を考えるのが苦手」という人物に出会うことがあり、決して無理な設定ではないのかもしれない。 大切なのは、こういう人たちは人の心が「わからない」のであって、「わかろうとしない」のではない、ということだ。 むしろわからないからこそ、色々な可能性を想像して手を打ったり、他の人よりも深く検討していたりする。 ぼくのように中途半端にわかったつもりになって、そこにあぐらをかいて何もしない、なんていう態度はとったりしない。 実際のところ、人の心なんてものは誰にもわからないのである。 当の人だって毎回の自分の行動の理由がすべてわかってるわけではない

    人の心なんて、わからない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2015/08/06
  • 生きてるひとは、みんな悪いひと。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

    「あの人はいい人だな」と思う人を頭の中で思い浮かべてみる。 だけどその人が、実は夜道で野良を蹴っ飛ばしていない保証はないし、インターネットに罵詈雑言を書き込んでいない保証もない。 いや、たぶん当によくできた人物というのは世の中に存在するのだけど、しかしそんな人だって肉をべたり野菜をべたりして他の命を奪っているし、ちょっと家の外を歩くたびにたくさんの虫や草を踏みつけているのである。 子供なんてもっとひどい生き物で、自分では何も生産しないくせに、ひたすらミルクを飲んで排泄して、おまけに恵まれたこの国ではそれらはとても高価な紙おむつにくるまれて当たり前のように捨てられる。 原罪、なんて言葉があるけれど、当に、人間は生きているだけで相当「悪いやつ」だと思うのである。 もちろん生きるというのはそういうことなのだし、じゃあもうちょっとだけでもぼくらが「いいやつ」になるためにはどうしたらいいの

    生きてるひとは、みんな悪いひと。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。
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    nstrkd 2015/05/13