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*_H:表現の自由と*_Sei:性に関するo_keke_nigelのブックマーク (4)

  • 東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所

    西日新聞の投書 先日(2010年12月9日付)の西日新聞の投書欄に「過激な性表現 規制やむなし」という70歳の人の投書が載った。もちろん東京都の青少年条例の件だ。 投書は、表現の自由という主張に一定の理解を示しつつも、規制はある程度はやむを得ないとする。 私には最近の性に対する感覚は異常に映る。一昔前なら非難された「できちゃった婚」や「援助交際」という名の売春。言葉にも意識にもモラルや罪の意識が薄い。それらが規律を乱していないか。 性観念の紊乱や崩壊が起きている、という指摘である。この文章の後に、教師や知識人の性的頽廃を嘆くくだりが続く。社会の自浄作用として善導を期待されている人々がその体たらくだから、行政が乗り出すのもしょうがないじゃん、というロジック構成だ。 この種の年配者の発言には、条例の内容などを早とちりするものが多いが、この投書は立法の内容を基的に正確におさえ、性的刺戟など

    東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/12/16
    人権とか表現の自由とかいった問題はやはり「公共空間」論とも繋がる(つまり、「自分にとって好ましくない、と感じるものとどう接するか」)と改めて思う。/行政は本来「調整者(コーディネータ)」だと思う。
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    聖蹟桜ヶ丘へ 今年度の授業が全て終了した。最後の授業はテスト返却とその確認作業の後は特に何をしろとも言われていなかったので、『耳をすませば』の後半、お姉さんと雫が言い争いをする場面を生徒と皆で見た。 この場面。あの場面、お姉さんは雫に「今しなきゃいけないことから逃…

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  • Gazing at the Celestial Blue 「表現の自由」は誰のものですか?

    (6月6日付エントリの続きである、6月8日付エントリの続き) 板坂耀子氏の「私のために戦うな(弦書房、2006年12月25日発行)」の117ページに「ありふれたパターン」と題された章に、こんな記述がある。 昔から恋愛映画のクライマックスになると、どんなに優しくおとなしい男性と強く積極的な女性のカップルでも、男性が女性を抱き寄せ、女性はそれに抵抗し、そして最後には必ず男の胸を押しのけ叩いていた女の手は男の首にからまって、二人はベッドに倒れ込み、結局のところ幸せになる、と指摘する。(略)これまでの映画は、国も時代も問わず、男女のラブシーンといえばまずはもう必ず、男が抱き寄せ、女が押しのけ、そして最後に女の抵抗が終わってめでたし、という図式を踏襲しつづけてきた。(略)大抵の人間なら、繰り返し見せられれば、恋愛とはこういうものと思い、それに自分を遭わせるように学習するのが普通だろう。「現実が芸術を

  • 女性が陵辱され無理矢理妊娠させられ堕胎させられるゲームの話 - blacksorceryの日記

    あんまり書く気がなかったんだけど、なんか色々ブクマしすぎたらしい。 名指しでコメントもらうので、ちょっと僕の考えをまとめようと思う。 超個人的にはね、昔エロゲーで遊んだことあるし、この話題のゲームまで酷いのは引くけど、そういう無理矢理系のも見て興奮することあるし。 そういうのを好む人が後ろ指指されて生きる分にはまぁ良いんじゃないとは思っている。 けどね、これがこういうところで活発に議論されて、そこでご大層に表現の自由を持ち出して、自分たちは陵辱に興奮する権利があるんだ。的にやられると、かなり疑問が出てくる。 それが嫌だという女性の意見表明を寄って集って貶しているのを見たら、それを放っておくのはいかがなものかと思い始めた。 そうそう、今回話題のゲームに対しての情報は伝聞、実際にはやっていない。 1.女性差別であるという点について レイプとか性暴力が女性差別に結びつくのは議論の余地無く、同意し

    女性が陵辱され無理矢理妊娠させられ堕胎させられるゲームの話 - blacksorceryの日記
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2009/05/27
    表現の自由と人権に関する論考としてはそこそこベーシックな認識と思うのだが、ブコメ欄でのdisがきつい。議論そのものが表現の自由の如何から「自尊心バトル」のステージに踏み込んでしまったか?
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