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  • 大きな田舎金沢にて 第4章 明治以降の旧北国街道をめぐる

    第四章 明治以降の旧北国街道をめぐる 陸上交通の概要 一 明治前期の戸数・人口 第1表は明治一二年における旧北国街道沿いの主要集落の戸数・人口である。各郡に抜群に規模の大きい集落が一つあった。旧城下町である能美郡の小松と江沼郡の大聖寺は人口一万人前後であり、石川郡の松任と河北郡の津幡も各郡内では圧倒的に大きい。これに次いで、竹橋や森下、野々市、粟生、寺井、月津、動橋などの旧宿駅が戸数規模が大きかった。 明治二〇年の地形図によると、野々市(第1図)、粟生(第2図)、串茶屋(第3図)などは典型的な街村を形成していた。 二 国道の改修 明治一一年の明治天皇の北陸行幸に際して、天田峠(加賀・越中国境)と牛谷峠(加賀・越前国境)に道路が開削された。(『石川県史』四) 天田峠 旧北国街道は竹橋(津幡町)から森、倶利伽羅を経て、倶利伽羅峠(標高二六〇m)を越えて今石動に通じていた。この倶利伽羅峠越えに代

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    o_keke_nigel 2009/08/13
    福井-石川-富山の交通の変遷について。
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