サバルタン、という言葉も現代を語る上では重要な概念でしょうか。あまり聞き慣れない言葉かもしれませんね。サバルタン、とは何者か? この「サバルタン」という概念を有名にしたのはガヤトリ・スピヴァクの『サバルタンは語ることができるか』でした。結論から言ってしまえばサバルタンは語ることができません。そして語ることができない存在こそがサバルタンなのです。 先週の記事で権力サイドのスポークスマンであるケダドゥーシュは貧しい移民の若者を指して「何の努力もせず」と断言していました。現実にそうであるかはわかりませんが、それを決めるのはエライ人であって当人ではないのです。たとえ貧困若年層が努力していたとしても、それを認めるかどうかは社会的地位のある人に委ねられます。上の人が「何の努力もせず」と、そうみなせば当人が実際にはどうであろうと関係ない、そんな状況に置かれた人々をサバルタンと呼びます。 サバルタンとは外
![サバルタンは語ることができない - 非国民通信](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/df3a50c14b465108d37d0f484920317dd74971fb/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fu.xgoo.jp%2Fimg%2Fsns%2Fblog.png)