無力な者を前にして、何ができるか。何をするか。という話のときに、ともかく市場の中で努力して、総量を増やすことが貧しい者・無力な者のためにもなる、という話がある。これはたとえば、先日批判してきたkeya1984氏も「現存の政治運動に限らなくていい。たとえば、労働対価の中から支払った税金の一部が福祉予算となったり」といったことを述べている。Arisanのノートでも問題にされていたのだが*1、こうした発想はあちこちに蔓延している。 しかし、市場内/外の努力を、そのように同列に扱えるものだろうか。昨日までの話とは少し違う論点だが、いずれ関連する論点ではある。今回は、これを考える。 基本的な事実として、市場とは、金を持っている者のために商品を提供する仕組みである。その限りでは極めて効率的に機能する。しかし、金を持ってない者の前は、素通りする。──「だから市場はダメだ」とも言わない。単に、何かを必要と