というと「手段の目的化」だとマユをひそめる向きもあるでしょうが。 そういえばココログが始まった前後だったかそんな叱り方をしてた有名ブログがあったような。面倒だから検索しない。 ※某所経由某所、経由。 『斬(ざん)』:やりたい事をやりたいようにを優先する: 初心に返って、「何故あなたはブログをはじめたのですか?」の問いに戻ってみる。 1、誰かに自分の記事(日記)を読んでもらいたい為? それとも 2、自分自信を見つめる(見つける)為? それとも 3、有名になりたい為? それとも 4、その他 「4、その他:"ブログしてみたかった"から」 というのが結構多いんじゃないかと(笑)。 ・・・結局のところ、それで十分なのではないでしょうか? 「ブログをやってみた」ことで実体験として得られるものが、 会心の一撃のつもりがみごとスルーされたりネタ埋めに書き散らしたものが予想外の反応を集める結果だったり、 い
あんたジャージでどこ行くの: 自分のブログの質とか価値を、なんで他人に決められなきゃならんのか。 この最後の段落の、LSTYさんの意見には同意なのだけど。 ……その書き上げた文章は、ほんとうに自家消費向けなのですか? 『第一義として「自分のために」』書いているのです、という方は思いの外多く居られるようです。 存在は理解できますし、理屈を追ってゆくと、なるほどそうかもね、とそのときは思うこともあります。 ですが、どうしても本音の部分でその心情を理解はできないでいます。 自らの意思で公開している、ということは即ち、「読まれてナンボ」というのが根底にあるはず、とどうしても結論付けてしまいます。 だからこそ、 労多くして益少なしですよ、ということを、 ここにあるのは『"予選"に参加すれどもすれども99%は「石」としてよりわけられる』という絶望なんですよ、ということを、 そんな場で将来"発掘"される
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