近代の呪い (平凡社新書 700) 作者:渡辺 京二平凡社Amazon たいして印象に残らなかった本が、再読すると違って見えることがある。 今回私は、『ヤニねこ』や『ドカ食いダイスキ!もちづきさん』を思い出しながら上掲新書を再読し、前と違う印象を得た。 衛生化や健康化がもたらすのは、衛生や健康だけなのか(否、そうではない) この『近代の呪い』という本は、そのタイトルどおり近代という時代、近代という体制に対してけっこう手厳しい感じの本だ。近代社会が成立していくことでかえって失われていく個人の自由、前近代の民衆にとって好ましく、お偉いさんのいうことをきかなくても済んだ隙間までもが容赦のない中央集権化や社会契約化によって消えていく様子なども批判的に書いている。国民のひとりひとりが近代人になった行く末として、たとえばナショナリズムに基づいた大戦争が起こった一面もあるじゃないか、みたいなことまで書か
とはいえ、リミックスはリミックスである。仮にこれが「MONTAGEM HIKARI」ほどのヒットで日本市場に可視化されたなら、差し止めにかかる団体もいただろう。あるいはコンテンツIDのような自動検閲の壁もいつ迫り来るかわからない。生成AIによるボーカルは、まずこの問題をクリアしたのだと言える。 私が思うに、このシーンのプロデューサーたちは、音楽に配置される言語について何やら独特なこだわりを持っている。Phonkを作るならメンフィスラップを、Funkを作るならポルトガル語のMCを、自らの言語圏を超えても必ずや調達してくる。ライターのアボかど氏はPhonkについて「本場ではない場所から見せる本物志向」があると述べるが、この執着が現在まで色濃く持続しているのが、まさに言語的な側面なのだ。 先述の通り、Phonkは国境を超えてその音楽性を変化させていったが、東欧でもTikTokでも、90’sメンフ
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