私は、自然災害で犠牲者(ぎせいしゃ)という言葉を使いたくない。 自然災害で、「犠牲者が何名」という言い方をするのが、メディアの定番になっている。 しかし、これにはいつも違和感以上のものを感じる。おかしい。 犠牲、というのは生贄であり、そこから派生した言葉である。 犠牲とは、それに引き換えてなにかを得るものがあるときに使う言葉だ。 それを犠牲にして何を得たのか、得るつもりなのか、得たことにしたいのか。 ーーー 自然災害での死者・不明者のうち、犠牲者と呼べる人は少ない。 避難を助けて、あるいは助けようとして死んだ人。 被害を小さくするための作業をしたために死んだ人。 そういう人が、犠牲者である。いないとは言わない。 だが、全国2万名弱が死んだ、その全員が犠牲者、というのは納得しない。 単純に逃げるべき対象であった人が、亡くなったとして、 それは犠牲者なのだろうか。 そう呼ぶとしたら、それは残さ