機動隊との攻防戦を経て“落城”した東大・安田講堂。ガラス片や木片が散乱する場に光が差し込んでいた=昭和44年1月 古本屋に市大の本 大阪市立大学の文学部教授会は昭和44年春、学部長を補佐する評議員に、教授になったばかりの歴史学者、直木孝次郎さん(89)=現大阪市大名誉教授=を選んだ。当時50歳。「学生との対応は長期戦。若手が担当した方がよい」というのが理由だった。 教授会に学生たちがなだれ込んだのは、その直後だった。「教授会の予算を公開せよ」「傍聴を許可しろ」。騒ぎは深夜になっても収まらず直木さんは、時計の針が評議員の任期が始まる4月1日午前0時にあわせ、前任教授に代わって交渉の席に着いた。 「殺気立つ学生たちをなだめるだけで精いっぱいだった。予算公開ぐらいは譲歩してもよいと思っていたが、とても話し合いをする雰囲気ではなかった」 その約10年前、助教授だった直木さんは第1次安保闘争で学生た