この数年間、この国の製品は競争力を急速に失いつつあるように見える。例えばエレクトロニクス製品。米国の友人いわく、「一体どうなっているのだ。韓国の製品に押しまくられて、日本製はだんだん影がうすくなってきているぜ」。 言われるまでもなく日本メーカーもこのことは十二分に心得ていて、懸命な対策を打ちつつあり、この努力は続けていかなくてはならない。しかしながら、競争力減退の理由がもっぱら日本の技術や経営力の劣化のゆえだ、と言われると必ずしも賛同はできない。 円はドルとの比較で言うと2007年には1ドル=120円台であったものが現在80円前後で、この間3割余の値上がりである。韓国も含め世界の多くの国の通貨はドルにリンクしているから、単純に言えば輸出力は3割落ちたことになる。 これをすべて企業努力で補えというのはいささか酷であろう。せめていま1ドルが100円になれば日本の輸出力は急激に回復すること
「日本人は一度コンセプトを与えられると類いまれなる能力を発揮する。たとえばカメラであり、自動車だ。しかし世界を動かすコンセプトを一度でも生んだことがあるのか」 これは米国の友人の言葉である。言われてみればその通りで、現在世界を動かしている技術で日本発があるのか、と考えるといささか心もとない。 日本が経済大国になった理由はいろいろあるが、基本において「コンセプト依存型」だったのは紛れもない事実だ。そして現在がある。コンセプト不在のまま経済大国にのし上がった日本の存在は世界経済から見ればある意味不気味で、無用な存在であるに違いない。「権兵衛が種撒(ま)けばカラスがほじくる」ということわざがあるが、みんな権兵衛になるのはもうご免だと思っているのだ。 考えてみれば菅原道真の「和魂漢才」に始まり、明治に「和魂洋才」、そして現在に至るまでこの国は学ぶことにまことに熱心であり純情であった。これは東
中国の挿話に、朝三暮四というのがある。 「ある人が多くの猿を飼っていた。金に困るようになったので、猿たちに、食糧のトチの実を朝三つ夜四つにしてくれないかと言ったところ猿たちが怒った。では朝四つ夜三つではどうかと言ったら猿たちは大変喜んだ」 金欠のなかで行われる最近のばらまき施策をみると、朝三暮四の感が強い。企業減税などはその最たるもので、減税の原資をひねり出すために、今まで行われてきたもろもろの優遇策をやめるというのである。この仕組みの変更に現場はてんやわんやである。 それだけでは足りないので、例によって高所得層から取り上げるという。本末転倒である。ことの始まりは金も無いのに良い格好をしようとしたことなのであって、根本策はこの国の富を増やす以外にない。富を増やすには知恵と力のある人たちに大いに頑張ってもらわなくてはならないのだが、その金の卵を産む鳥を締め上げようというのだから、支離滅
高橋是清の「随想録」(中央公論新社)を読んだ。改めて、この大常識人の「知恵」に賛嘆した。 それはまず、1929年のウォール街の大暴落に端を発した世界大恐慌のなかで発揮された。翁の強力な指導のもとに日本は列強に先駆けて景気の回復に成功したのである。 その骨子とするところは「円安で輸出を促進し、デフレ脱出をはかる」というものだった。最近の世界経済の事情は当時とよく似ている。違いは異常な円高であることだ。翁にならえば、これを円安にしていくのが国の基本政策であるべきだ。 それは政府も日銀もよくわかっているから個々には対策がうたれている。にもかかわらず結果として効果が上がらないのは、国の方針として自らの責任で決断し、まとめる人物が出ないためだろう。 その口実とするところは「世界各国との協調」である。高橋の時代も日本の円安をテコとした輸出政策には世界の非難が集中したが、高橋は見事にそれを乗り越
企業における最大の危機は、トップの権力構造が二重になった時である。 それは多くの場合、実力も実績もある経営者が、何らかのスキャンダルで不本意ながら引退を迫られた時に起きる。本人は引退したくないわけだから、後任を自ら指名することを引退の条件にする。実力者に面と向かって反対は出来ないから、後継者は傀儡(かいらい)となる。 問題はその傀儡である。最初は単なるレコーダーの役割に甘んじているが、そこは人間である。いつまでも、おうむのような役回りに甘んじていられなくなる。はかりごとをめぐらす側近なども現れ、本人にその気はなくても自立の体制が出来上がる。実力者も年だ、そう長くはあるまい、というわけだ。 こうなってくると社内の指揮決定の在り方は混沌(こんとん)としてくる。怪情報が飛び交い、それに追われ仕事どころではなくなる。こんな会社がうまく行くはずもないので、紆余曲折(うよきょくせつ)、哀れな結末
秋晴れのある日、近くの小学校から聞こえる音楽に誘われて、運動会を見に行った。 小高い築山の上にゴザを広げる。校庭全体が見渡せる絶好の場所だ。日頃は仕事に忙しい壮年の父親たちも今日は家庭サービス。一家だんらんの和やかな風景が展開している。 会もたけなわで、いよいよ出し物の親子リレーとなった。多少、下腹は出かけてはいるものの、かつてはスポーツで鳴らしたと思われる父親たちが鉢巻き姿もりりしく、勢ぞろいした。 大変な声援である。その声援の最中、父親たちは転びに転ぶ。その転倒のパターンはなべて一様であって、体が前に泳ぎ、脚がもつれて、腹ばう。 なかには、再度のラッシュでまた転ぶケースすらある。思うに、頭の方はかつての栄光を強く記憶しているから、それいけ、やれいけ、もっと速く、と指示を連発する。ところが脚の方は長年の不摂生がたたって、衰えが甚だしい。結果として頭や上体が先行し、つんのめるのであ
円高対策に政府・日銀がようやく重い腰をあげた。しかし遅きに失し、工夫に欠ける。この間の優柔不断、無能無策ぶりは目に余るものがある。民間ではあり得ないことだ。 業績が悪化した時、迅速有効な対策の打てない経営者は退陣あるのみだ。「打つ手が限られている」などと口走ろうものなら物笑いの種になることは間違いない。国の経営も同じことだ。「効果ある対策がうてない」政府・日銀は何らかの責任を取るべきである。 思い起こせば明治以来、「お上」の名のもとに無謬(むびゅう)を絶対としてきた無責任体制は、軍部の没落を除いて、いまだに続いている。政府・日銀が自らの無能失政の責任を取ったことは、寡聞にして聞いたことがない。 彼らの長きにわたる「無為」の根拠は企業業績は悪くない、というところにあったようだ。言語道断である。円高に対処するために企業は血のにじむような努力を続けている。結果としてこの国のデフレを助長し、
経済大国を誇る日本であるが、自らが発明した技術によってスタートし、成功した企業は甚だ少ない。 その双璧(そうへき)ともいえるのが、二股ソケットと地下足袋であろう。それぞれ、パナソニックとブリヂストンという世界的企業へと成長した。いずれの技術もその独創性により、知的財産権を認められた。 現在、日本経済に最も大切なことは、新規事業の創造である。政治的にもそれは最優先課題で、新事業によって活力を生み出すことが次なる時代のためにも欠かせないものだ。それは、日本からのハード輸出に対して、ソフトを軸に新しいビジネスを打ち立てたシリコンバレーの例を見れば十分であろう。そこでは既成の大企業に属さない若者たちが自らのアイデアを競い合って、次なる時代を作り上げたのであった。 ここで注目しなくてはならないのは、彼らのビジネスのスタートは、二股や地下足袋と同じく「目前の必要」から生じたものであることだ。決し
運転免許更新の手続きをしてきた。腹の立つことが多い。 第一に、いつの間にか高齢者は長時間の講習を受けないと免許更新できない、という法律が作られたことだ。医療保険をはじめ、この国にはどうも老人に対して強い偏見があるように思える。 講習を申し込むと、当方の都合に関係なく日時が指定される。この不景気で走り回っている時に、工面して一日つぶし、受講する。 数時間もかけて行われるテストの最初の問題が「時計を描いて8時20分の時刻を記入してください」である。人権蹂躙(じゅうりん)も甚だしい。これでも大学院で教えている立場だ。この風景を学生が見たら大喜びをするに違いない。 機械でシミュレーションテストをやらされ落第点を取った隣のおっさんは、憤然と「鉄工所を経営して40年。この間、無事故だ。運転なら、わしが教えてやる」。この講習の費用6千円。みんな結構忙しいのだ。国のお遊びに付き合っている暇はない。
シリコンバレーのジョークの一つに、「この街で成功するためには大学を中途退学するに如(し)くはない」というのがある。言われてみればなるほど、ゲイツといいヤンといいシリコンバレーの英雄の多くが大学中退である。 かつて、スタンフォード大学の昼食会において同僚の一人が「とうとうヤンも追い出されるな」と語った時、「学業不振でヤンを追い出すスタンフォードが立派か、大学を飛び出してでも世界を動かすヤンが立派か、難しいところだな」と言ってひんしゅくを買ったものだが、この思いは今も強く残っている。 ではなぜ「落第生」なのかを考える前に、「秀才」とは何かを考えてみよう。一言でいえば秀才とは有名な大学を出た人ということになろうが、そのためには幼くして塾に通い、選ばれた中学、高校に入学して大いに勉強に励まなくてはならぬ。 さてその勉強の中身だが、有名大学に入るには試験に合格する必要がある。試験ではある限られ
「君子豹変(ひょうへん)」というのはこの国では恥ずべきことのように受け取られている。しかし、その原典たる易経によると、「君子は豹変し小人は面を革(あらた)む」とあり、その意は、「君子は豹の皮の斑のごとく、くっきりと明快に変わり、小人は上っ面の変化でごまかす」ということのようだ。 これだけ変化の激しい時代である。日々是新(ひびこれあらた)でないと、とても変化についていけないだろう。このような立場から最近の政治、経済をみると、なんだか杓子(しゃくし)定規でぎくしゃくしているように感じられる。当初の方針や政策を金科玉条、変えないことをもって正道としているかの風潮がある。これは政治や経済の分野だけではなく、この国の中に牢固(ろうこ)として存在する既成概念のように思える。滑稽(こっけい)なことだ。 日々刻々絶え間なく変化している世界の中で、これは無能を象徴しているに過ぎない。問題は変わり方にある
膨大な負債を抱えて関西空港の経営が困難に面している。増便を中心にここまでやってきたけれども、頼みとする航空業界も日本航空に象徴されるように経営危機で、増便どころか、減便に次ぐ減便で見通しはまったくたっていない。関空の存続には国の全面的支援が不可欠である。 周知のように近畿には関空のほかに、大阪(伊丹)、神戸と二つの空港がある。どう考えても三つでは多すぎる。ここでは発想を転換して、関空のもつ意味をもう一度考え直してみよう。 あれだけ巨大な、完備した航空基地を日本の中心部に建設することは、もはや不可能と言っても良い。現在、沖縄にある米軍基地の移転問題が難航している。例えば、沖縄の基地をそのまま関空に移転してはどうだろう。これこそ一挙両得というものではないか。 平和憲法を死守すべきことは論をまたないが、周りに軍備の拡張を進めている国家が存在することを考えると、平和を維持するためにも確たる自
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