島根県竹島問題研究顧問 藤井 賢二 1952年1月18日に韓国政府が一方的に行った李承晩ライン宣言は、その主権を宣言した広大な海域に竹島を含ませたことから、竹島問題を表面化させたものとして知られている。しかし、65年の日韓条約で国交が結ばれるまでの間、日韓両政府間でより多く論議され紛糾したのは、竹島問題ではなく李承晩ライン侵犯を理由とした韓国による日本漁船拿捕(だほ)、すなわち漁業問題であった。 南朝鮮・韓国による日本漁船拿捕は韓国建国前の47年に始まる。以後、65年までに拿捕された漁船は325隻、抑留された漁船員は3890人(うち李承晩ライン宣言が行われた52年以後は233隻、2791人)で、拿捕・抑留に伴う死者は8人を数えた(森田芳夫「日韓関係」=『日本外交史23 講和後の外交<1>対列国関係<上>』鹿島研究所出版会)。韓国は、拿捕の法的根拠とした漁業資源保護法で定めた刑期が終了し