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ブックマーク / dain.cocolog-nifty.com (61)

  • 「ミスを罰する」より効果的にミスを減らす『失敗ゼロからの脱却』

    ミスや失敗をなくすため、ヒューマンエラーに厳罰を下すとどうなるか? 一つの事例が、2001年に起きた旅客機のニアミス事故だ。羽田発のJAL907便と、韓国発のJAL958便が駿河湾上空でニアミスを起こしたもの。幸いにも死者は無かったものの、多数の重軽傷者が出ており、一歩間違えれば航空史上最悪の結果を招いた可能性もあった。 事故の原因は航空管制官による「便名の言い間違い」にあるとし、指示をした管制官と訓練生の2名が刑事事件に問われることになる。裁判は最高裁まで行われ、最終的には2名とも有罪となり、失職する。判決文にこうある。 そもそも、被告人両名が航空管制官として緊張感をもって、意識を集中して仕事をしていれば、起こり得なかった事態である [Wikipedia:日航空機駿河湾上空ニアミス事故] より 芳賀繁『失敗ゼロからの脱却』は、これに異を唱える。 事故は単一の人間のミスにより発生するので

    「ミスを罰する」より効果的にミスを減らす『失敗ゼロからの脱却』
  • ミスを責めるとミスが増え、自己正当化がミスを再発する『失敗の科学』

    人はミスをする。これは当たり前のことだ。 だからミスしないように準備をするし、仮にミスしたとしても、トラブルにならないように防護策を立てておく。人命に関わるような重大なトラブルになるのであれば、対策は何重にもなるだろう。 個人的なミスが、ただ一つの「原因→結果」として重大な事故に直結したなら分かりやすいが、現実としてありえない。ミスを事故に至らしめた連鎖や、それを生み出した背景を無視して、「個人」を糾弾することは公正なのか? 例えば、米国における医療ミスによる死亡者数は、年間40万人以上と推計されている(※1)。イギリスでは年間3万4千人もの患者がヒューマンエラーによって死亡している(※2)。 回避できたにもかかわらず死亡させた原因として、誤診や投薬ミス、手術中の外傷、手術部位の取り違え、輸血ミス、術後合併症など多岐にわたる。数字だけで見るならば、米国の三大死因は、「心疾患」「がん」そして

    ミスを責めるとミスが増え、自己正当化がミスを再発する『失敗の科学』
  • 1冊の単語帳を610日かけて全読したら語彙力が1万語になった

    きっかけは、読書猿さんとの飲み会だった。 「海外の記事やSNSを読むのに英語力が足りない。しゃべれなくても書けなくてもいいけど、スラスラ読めるようになりたい」と愚痴ったところ、「まず2万語」と言われたのが最初だ。 語彙力こそパワー、ボキャブラリーを増やすぞとばかりに選んだのがこれだ。 理由は、英語を学んできた人たちの評価がダントツだったことが一つ。もう一つは、お試しで手にしてみたところ、「ちょっと難しいけれど、頑張れば読めないこともない」というレベルだった点だ。 書を610日間かけて読み切った結果はこうなる。Preply のボキャブラリーテストによると、ほぼ一万語に到達できた。 7870 words (2021年4月) 9944 words (2023年4月) ぶっちゃけ私一人では無理だった。初志は継続せず、どこかで挫折する理由を探し出していた。 だが、私を一人にしない技法を用いることで

    1冊の単語帳を610日かけて全読したら語彙力が1万語になった
  • しなくていい失敗を回避する『プロジェクトマネジメントの基本が全部わかる本』

    プロジェクトマネジメント(PM)の重要性は、あまり認知されていないように見える。 うまく回っているときは「あたりまえ」扱いでスルーされ、いざ暗礁に乗り上げたときに「どうなってるんだ!?」と糾弾の的となる。 プロジェクトをうまく回していくコツというか勘所は確かにあり、相応のトレーニングが必要だ。にもかかわらず、なぜか蔑ろにされている。ろくに訓練もしないまま、「見て学べ」「やって覚えよ」と実践に放り込み、メンタルをやられず生き延びた者が幹部になる。 これは悪手だ。 よく、「失敗から学ぶほうがより身につく」などと唱える輩がいるが、しなくていい失敗は避けたほうがいいに決まってる。そして、この「しなくていい失敗」のほとんどは、基を押さえるだけで回避できる。 この、PMの基を押さえているのが書だ。 『プロジェクトマネジメントの基が全部わかる』には、プロジェクトを回していくために「あたりまえ」

    しなくていい失敗を回避する『プロジェクトマネジメントの基本が全部わかる本』
  • 一文字も読まずに本を評価する3つの方法

    読むべきが積み上がっているのに、面白そうな新刊が出てきた。ルトガー・ブレグマン『Humankind』という新刊だ。 「激推し」「人間への見方が新しく変わる」「正しく世界を認識できる一冊」など、インフルエンサーたちの熱き言葉が飛び交い、評判がよさそうだ。おまけにKindleという便利なボタン一発で買えてしまうので、お財布はいつだってピンチだ。 だが、ちょっと待て。 当にそれは「いま読むべき」なのか? 当にそれで「あらゆる疑問がクリアになる」のか? 財布のダメージもさることながら、集中力や時間といったリソースも無駄にしたくない。 信頼できる書評家に頼る そういうとき、私は信頼できる書評に頼る。 基読書の冬木糸一さんが頼りになる。私の興味と重なる新刊をいち早く・数多く紹介してくれるので、ありがたい。面白いポイントをつかみ取り、ポジティブに評価している。 そんな冬木さんが慎重な書き方をして

    一文字も読まずに本を評価する3つの方法
  • 書けない悩み4人前『ライティングの哲学』

    書けない。 最初の一行に呻吟し、次の段落で懊悩し、そこから先が続かない。あるいは、言葉が詰まって出てこない。「これじゃない」言葉ばかり並んでいる。支離滅裂の構成で、書いても書いても終わらない。 そんな悩みを抱えた4人が集まって、お互いの「書けない」病をさらけ出す。学者、文筆家、編集者と、書くことが仕事みたいな人なのに、書けない悩みを打ち明ける。 「書けない」ことへの生々しい告白の中で、まるで私のために誂えたような手法や、まさに今、自分が実践しているやり方が紹介されている。 書かずに書く 千葉雅也さんが喝破してたこれ、まさに私が今やっている 「ファイル」→「新規作成」で、新しい白いページを表示させ、そこに一行目から書き出す……なんて執筆は、しない。そんなことすると、白いワニが来る(by 江口寿史)。 書かずに書く、って禅問答みたいだけど、言い換えるなら、「書く」というプロセスが始まった時点で

    書けない悩み4人前『ライティングの哲学』
  • 「科学」と「正義」を混同すると、たいてい地獄ができあがる『禍いの科学』

    アヘン、マーガリン、優生学、ロボトミーなど、科学的に正しかった禍(わざわ)いが、7章にわたって紹介されている。あたりまえだった「常識」を揺るがせにくる。 ヒトラーの優生学 たとえば、アドルフ・ヒトラーの優生学。 劣悪な人種を排除すれば、ドイツを「純化」できると信じ、ユダヤ人を虐殺したことはあまりにも有名だ。 だが、ガス室へ送り込まれたのは、ユダヤ人だけではない。うつ病、知的障害、てんかん、同性愛者など、医者が「生きるに値しない」と選別した人々が、収容所に送り込まれ、積極的に安楽死させられていった(『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』が詳しい)。 『禍いの科学』によると、ナチスの優生学は、ヒトラー自身が編み出したものではないという。出所は、『偉大な人種の消滅』という一冊ので、ヒトラーが読みふけり、「このは、私にとっての聖書だ」とまで述べたという。 『偉大な人種の消滅』はマディソン・グラ

    「科学」と「正義」を混同すると、たいてい地獄ができあがる『禍いの科学』
  • 大好きなマンガが完結したので全力でお勧めする『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』(ネタバレ無し)

    このマンガは、同級生のお尻を見てたら、ひっぱたかれるところから始まる。 ……このシーンは、主人公の実(みのる)の目線ではない。お尻を見てたのは亡き父で、その記憶が、折に触れて、実の脳内に蘇るのだ。 お尻の持ち主は、若かりし頃のお母さん(旧姓:大蜘蛛ちゃん)。つまり、母に一途な父の目線でもって、「女子高生のお母さん」の記憶が、息子にフラッシュバックされる。 そして厄介なのは、実は、お母さんに恋をしてしまっていること。女子高生のお母さん(細身で強気)と、今のお母さん(むっちり無防備)に煩悶する、マザコンラブコメ。 「お母さんに恋してる」なんて、ちょっとヤバくね? その自覚はある。だから実は自問する。 だけど、お母さんとの日常に、父の過去の記憶が入ってくると、女子高生のお母さんの可愛いさに撃たれる。そして、(ここ重要)父がどれほど母を好きだったか、ということを、父の目線で思い知る。だから実は煩悶

    大好きなマンガが完結したので全力でお勧めする『大蜘蛛ちゃんフラッシュバック』(ネタバレ無し)
  • 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の薄い本が出ます。

    知的冒険の書として『ゲーデル、エッシャー、バッハ』なるものがある。タイトルが長いので、頭文字をとってGEBとしよう。 GEBは、ダグラス・ホフスタッターという天才が、知を徹底的に遊んだスゴだ。不完全性定理のゲーデル、騙し絵のエッシャー、音楽の父バッハの世界を、「自己言及」のメタファーで縫い合わせ、数学、アート、音楽、禅、人工知能、認知科学、言語学、分子生物学を横断しつつ、科学と哲学と芸術のエンターテイメントに昇華させている。 「天才とは、蝶を追っていつのまにか山頂に登っている少年である」と言ったのはスタインベックだが、ホフスタッターに付き合って知を追いかけていると、とんでもない高みまで連れて行かれることを保証する。 ただし、このGEB、質量的には鈍器である。とても面白いが、とても重い。 この厚いGEBの薄いを作ろうという企画があり、参加させてもらった。「読むとGEBを読んでみたくなり、

    『ゲーデル、エッシャー、バッハ』の薄い本が出ます。
  • 「小中学生にお薦めする○冊」の欺瞞と、それでもオススメする10冊

    「小中学生にお薦めする○冊」を見かけるが、舐めてるだろ。それは大人のエゴイズムの押し付けにすぎぬ。選者のノスタルジックなブックリストであって、今それを手にする人を想像していない。そんな大人の自己満足を、子どもは正しく見抜いてる。 どうしてそんなに言えるのか? わたし自身が薦めてきたから。『モモ』であれ『星の王子さま』であれ、読まない。考えてもみろ、学校だけでいっぱいで、動画やラインやゲームを無理やり詰め込んでいる生活に、『モモ』読む時間があるものか。それな! それこそがエンデが描いたカリカチュアなのだが、気づくためには読むしかないという自家撞着に陥る。 さもなきゃ逆に考えろ、「愛読書はエンデです」なんて言う小学生がいたら気になるだろ。ふだん何してるの? ポーズなの? 気なら、気で親の顔が見たい。どうやって培養したのか知りたい。「愛読書は西村寿行」だったわたしには、得がたい世界だ。 お薦

    「小中学生にお薦めする○冊」の欺瞞と、それでもオススメする10冊
  • 現実の処方箋としての物語『アルブキウス』

    そんな受け入れがたい現実との折り合いをつけるために、人は物語を必要とする。物語りは物騙りであるからこそ、固有名詞を剥ぎ、バッファーを設けることができる。受け手が飲みこめるよう現実を変形させる、安全装置となっているのだ。 だから、つぎはぎしたり、つじつま合わせの必要なんてない。嘘と嘘への欲望を、そのまま代弁してくれるだけでいい。小説とも随想ともつかぬ書では、古代ローマの残酷でエロティックな物語と、それを紡ぎだす作家アルブキウスの奇妙な人生を重ねながら、物語と作家がお互いを必要としたことを炙り出してくれる。 こんな風に始まる。わたしは、このイントロで夢中になった。 現在がほとんど喜びを与えてくれず、これからやってこようとしている月日には繰り返ししか望めないとき、人は過去へ押し入ることで日々の単調をまぎらわす。死者たちの股が開かれ、その腹(二千年の昔の古くて柔らかい腹だ)が触れ合い、折り重なる

    現実の処方箋としての物語『アルブキウス』
  • 『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう』はスゴ本

    意識は科学で説明可能か? このとんでもなくハードな問題に突入する。ギリギリ捻られる読書体験を請け合う。 著者は現役の哲学者、意識という現象を自然科学的な枠組みのもとで理解するという問題(意識のハード・プロブレム)に、真っ向から取り組んでいる。「物理主義」や「クオリア」、「哲学的ゾンビ」「意識の表象理論」を駆使して、科学・哲学の両方に跨がる難問に挑戦する。[wikipedia:意識のハード・プロブレム]に興味がある方は、ぜひ手にして欲しい。深く遠いところまで連れて行かれるぞ。 ハードがあるなら、イージーもある。流行りの認知科学にありがちな、MRIやCT、電気パルスを用いて、脳状態と意識経験の相関を明らかにする研究だ。例えば赤い色を見たとき、脳のどの部位がどのような状態になっているかを解明する問題で、これが意識のイージー・プロブレムになる。怪しげな脳科学者が、「脳はここまで解明された!」と宣っ

    『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう』はスゴ本
  • 怒りの根っこには必ず、「私が正しい」という思いがある『怒らない練習』

    怒らない人生が欲しい人に。 マスゴミ、経済学者、暴走老人と、世に怒りの種は尽きまじ。新聞読まないのは心の平穏のためだし、オフィスではひたすら平常心、の罵倒は御褒美です。それでも「イラッ」とくる瞬間が怖い。いったん怒りのスイッチが入ったら、どんどんエスカレートして逆上するから。そして、ずっと後になっても何度となく思い出してはネチネチ自分を責めるハメになるから。 なんとかせねばと読んだのが『怒らないこと』、これは素晴らしいだった。なぜなら人生変わったから。「一冊で人生が変わる」ような軽い人生なのかと言われそうだが、違う。「怒り」の悩みは常々抱えており、ガン無視したり抑圧したり、王様の耳はロバの耳を繰り返してきた。上手くいったりいかなかったり、アンガー・マネジメントはかくも難しい。だが、そういう苦悩を重ねてきた結果、この一冊をトリガーとして一変させるだけの下準備になっていたのだろう。とにかく

    怒りの根っこには必ず、「私が正しい」という思いがある『怒らない練習』
  • バカは死ななきゃ治らない『「ニセ医学」に騙されないために』

    パラシュートジョークを知っているだろうか。 弊社のパラシュートは安全保障つきです。故障したパラシュートをご送付いただければ、無償で新品とお取替えいたします。ですが、今まで一度たりとも苦情をいただいておりません 自然放置療法とか、ナントカが効くとか聞くたび、このジョークを思い出す。気の迷いをなくす鰯のアタマなら可愛いが、それに命を託してしまうほど愚かになってはいけない。わたしの理性や論理の"正しさ"は、気分や体調で簡単に覆る。大病をして精神的にも参ったとき、どれくらい愚かになれるか。予防として読む。 病気になり、気が滅入っているとき、病気の理由を周囲にぶつけたくなる。矛先が家族や医者に向くとき、医学以外にすがりたくなる。病院の治療だけで大丈夫か、他にできることはないか、藁を探してインターネットを掘削する。患者の不安につけこんで、い物にするのは「ニセ医学」だ。 ニセ医学とは、医学のフリをした

    バカは死ななきゃ治らない『「ニセ医学」に騙されないために』
  • 『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はスゴ本

    一生モノの一冊。 「スゴ=すごい」の何が凄いのかというと、読んだ目が変わってしまうところ。つまり、読前と読後で世界が変わってしまうほどのこそが、スゴになる。もちろん世界は変わっちゃいない、それを眺めるわたしが、まるで異なる自分になっていることに気づかされるのだ。 『GEB(Godel, Escher, Bach)』は、天才が知を徹底的に遊んだスゴ。不完全性定理のゲーデル、騙し絵のエッシャー、音楽の父バッハの業績を"自己言及"のキーワードとメタファーで縫い合わせ、数学、アート、音楽、禅、人工知能、認知科学、言語学、分子生物学を横断しつつ、科学と哲学と芸術のエンターテイメントに昇華させている。 ざっくりまとめてしまうと、書のエッセンスは、エッシャーの『描く手』に現れる。右手が左手を、左手が右手を描いている絵だ。「手」の次元で見たとき、どちらが描く方で、どちらが描かれている方なのか、

    『ゲーデル、エッシャー、バッハ』はスゴ本
  • 宿題を終わらせる『論理哲学論考』

    ようやく読めた。岩波青で適わなかった宿題が、やっとできた。新訳はとても読みやすく、かつ、驚くだろうが理に適ったことに、横組みなのだ。 そもそもこれは、どういうなのか、なぜこれが20世紀最大の哲学書なのか、そして、ずっとたどり着けなかったラストが、なぜ「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」で終わっているのかが、わかった。わたしが難しく考えすぎていたんだ。 これは、数学なんだ。 哲学的なことについて書かれてきたことの大部分は、意味がないという。なぜなら、「哲学的なことについて書かれてきたこと」は、言語を使っているから。プラトン以来、西洋哲学の歴史は、言語の論理を理解していないことによるナンセンスな言説の積み重ねなんだと。なぜなら、「言語の論理を日常生活から直接引き出すことは、人間にはできない(No.4.002)」から。 このあたりの説明は、書の冒頭にある野家啓一「高校生のための『論

    宿題を終わらせる『論理哲学論考』
  • 知性の性差という地雷『なぜ理系に進む女性は少ないのか』【リンク追加】【2019.9追記】

    「女ってバカだなぁ」こう自問する瞬間がある。 もちろんこの問いそのものが間違っていることは分かっている。バカな男がいるように、バカな女がいるだけの話だし、そもそもわたしの母・嫁・娘だけで一般化することにムリがある。一番バカなのは、問うたわたし自身だ。男女のスレ違いを如実に表わしたコピペ「車のエンジンがかからないの…」の正解は、二行目で「それは大変!僕が送っていくよ」だ。オスカー・ワイルドの「女とは愛すべき存在であって、理解するためにあるものではない」を噛みしめながら、ヴィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」を守るべし。 だが、あえて問うたのが書だ。 発端はハーバード大学学長ローレンス・サマーズの発言。数学と科学の最高レベルでの研究において、統計的に見ると、男性より女性が少ない適性を持つかもしれないと述べたのだ。これは「女性が科学・技術・工学・数学のキャリアに

    知性の性差という地雷『なぜ理系に進む女性は少ないのか』【リンク追加】【2019.9追記】
  • 事故る人と事故らない人のあいだ『交通事故学』

    人は一生のうち、一度は交通事故に遭遇して負傷するか死亡する可能性があるという。書は、その確率をより小さくするための一助となる。 著者は早稲田大学の教員で、行動特性の観点から交通事故におけるヒューマンエラー分析を行ってきた。その知見を元に、人間心理、車の構造、交通システム、運転環境の視点で、「どうしたら事故を減らせるか」に迫る。人は間違いをするものだが、車が衝突するかしないかは、ドライバー次第であるという主張に身が引き締まる。事故る人と事故らない人のあいだには、運以外のものが沢山あることが分かる。 「人は間違える」という前提で、「物陰から急に飛び出してきた」という証言や、「とっさのことで間に合わなかった」という説明が再検証される。突然、危険が発生したかのように聞こえるが、実はその前に判断材料があるにもかかわらず見落とし、判断せずに進行してしまったため事故に至ったケースがほとんどだという

    事故る人と事故らない人のあいだ『交通事故学』
  • ゲームで子育て『MH4』

    わたしの時代と比べると、今の子どもは羨ましくも可哀想だ。 なぜなら、こんなに楽しいゲームが豊富にあるから。今の時代にわたしが生まれたなら、肩までどころか頭まで浸かって、戻ってこなくなるに違いない。「勉強の合間にゲームする」のではなく、「ゲームの合間に生活する」になり、学校行ってる暇なんてなかっただろう。暇つぶしで始めたはずなのに、暇じゃない時間まで潰れてゆく、ハマれるゲームに満ちているから。 しかも、独り黙々とするのではなく、集団で連携しながら一つの目的を達成するという、昔とは異なるスタイルになっている。ゲーム機を持ち寄って、あるいはネット越しで一緒にプレイするのだ。まさに隔世の感。 「ゲーム脳」なんて言葉で脅してくる自称研究者がいるけれど、ゲーム脳化しているのはこのわたし(さんざんやってきたからね)。「ゲームと現実の区別ができなくなる」という批判は、まさにゲームと現実の区別がついていない

    ゲームで子育て『MH4』
  • なぜヒトはおっぱいが好きなのか?『おっぱいの科学』

    おっぱいの最前線が、ここにある。 「いいえ、僕は尻派です」と嘯く人も、ちょっと付き合ってほしい。わたしだってオシリストだ[証拠]。だが、「なぜおっぱいなのか」について深く掘り下げた書を読めば、女性の胸について認識を新たにするだろう。これは、【全年齢推奨】『ヴァギナ』と同じである。持ってはないが、知ってるつもりのあそこについて、いかに自分が無知であることを思い知らされるから。 大きなテーマは乳がんであるが、それだけではない。「なぜヒトの女性がおっぱいをもつようになったか」から始まって、哺乳の進化、乳房の構造と働きが解説される。そして、乳房の究極の“不自然史”ともいうべき豊乳手術の現状が体当たりでレポートされ、「母乳 vs 粉ミルク」論争の科学的決着、化学物質による母乳汚染について語られる。著者は二児の母のサイエンスライターで、ジャーナリストとしての冷めた目と、当事者としての熱い目の両方で、

    なぜヒトはおっぱいが好きなのか?『おっぱいの科学』