怖い話に関するonboumaruのブックマーク (178)

  • 三本枝のかみそり狐 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 奥州のとある山奥の村に、三枝と呼ばれる竹やぶがあるそうで。 そこに狐が一匹住んでおりまして、よく村人たちを化かします。 ト、それが普通の化かし方ではございません。 この狐のために命を落としたものもあるほどで。 村人たちは「三枝の狐」と呼んで、心底恐れておりました。 「日が暮れてからは決して三枝に近づいてはならねえぞ」 ト、互いに戒めあうのが、もはや村人同士の挨拶でございます。 さて、ここに、名を彦兵衛と申す若い衆が一人おりまして。 これは村のうちでも、飛び抜けて肝の太いことが自慢の大男。 大の大人が寄り集まって、狐一匹を恐れていることが、焦れったくてたまらない。 その日も、業を煮やしたように立ち上がると、集まった村人たちを叱咤した。 「馬鹿馬鹿しい。狐なんぞに化かされて、おめおめと泣き寝入りするつもりか。あんなものは、こっちから出向いて、痛い目に遭わせてやれば

    三本枝のかみそり狐 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/06/06
    陸奥の民話より
  • 鏡を握っていた女 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 加賀国は白山権現の麓に、鶴来(つるぎ)と申す集落がございます。 名酒の産地として誉れ高く、里には酒屋があまたございます。 元は剣(つるぎ)と称していたのを、殿様が「白鶴飛び来るが如し」と美酒の味わいを讃え、地名を改めさせたと伝わるほどで。 さて、この鶴来の里のとある酒屋に、男たちが数人集まって、世間話に花を咲かせておりました。 これは、そのうちの一人が語った話でございます。 享保十五、六年頃のことと申しますから、八代将軍吉宗公の治世のことでございます。 その頃、男は毎月、商売のために京へ通っておりました。 その途次でこんな話を聞いたと申します。 近江国、草津の宿の下女が、大津に住む男と恋仲となった。 草津と大津は、琵琶湖を挟んで対岸でございます。 迂回して陸路を行けば、実に六里。 来ならば、たまの逢瀬を楽しむのにも一苦労のはずでございますが。 一旦恋心に火がつきま

    鏡を握っていた女 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/06/05
    「三州奇談」より
  • 児肝を取る貞盛 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 当時、平貞盛と申すつわ者がございました。 これは後に権勢を極めることになる桓武平氏の三代目。 従兄弟である平将門の乱を鎮圧したことでも知られる猛将でございます。 さて、この貞盛が丹波守に任じられ、任地におりました時のこと。 何の因果か、体に悪い瘡が出来ました。 さっそく、都でも指折りの名医を呼び寄せて診させましたところ。 「これはお命を落としかねない重病にございます。児肝と申しまして、生きた胎児の肝を使わなければ、治ることはございません。一刻を争いますので、早く求めて薬となさいませ。ただし、決して人に知られてはなりませんぞ」 ト、申して屋敷を去りました。 これにはさすがの猛将も血の気が引いた。 それこそ、生き肝を抜かれたような心持ちになりまして。 大慌てで呼び出したのは、我が子である左衛門尉、平維衡(これひら)。 これは後に清盛らを輩出す

    児肝を取る貞盛 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/06/03
    「今昔物語」より
  • 群れなす呪い人形 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 玄宗皇帝の治世のころ。 楚丘という地方の県令に、蘇丕(そひ)という人物がございました。 蘇丕には娘がおり、李という男に嫁いでおりましたが。 嫁に行った時にはすでに、夫と下女が怪しい仲になっておりまして。 そのため、夫婦とは名ばかり、また下女との間も上手くいかない。 下女の方では、自分の方が先にあるじの寵愛を受けていた、と考えておりますから。 むしろ、正の方を泥棒のように蔑み、憎んでおります。 とうとう怒りと妬みに耐えられなくなり、妖術士を呼び寄せた。 「あの女を懲らしめてやりたいのでございます」 「それでは、こうなさい」 ト、妖術士に施術をしてもらった後、指示に従い、まずは呪符を塵捨場に埋めました。 さらに、人間の膝丈ほどの人形を七体用意いたしまして。 一体、一体に晴れ着を着せる。 土塀の穴の空いたところに埋めると、上から泥で蓋をしまし

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    onboumaru 2016/06/03
    「広異記」より
  • 講談の怖い話より 「戸田の渡し お紺殺し」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 昔、恋の遺恨から吉原遊郭において百人もの人間を斬り殺した者がおりました。 名を佐野次郎左衛門(さの じろざえもん)と申す、下野国佐野の豪農でございましたが。 これが世に言う「吉原百人斬り」でございますナ。 これからお話しいたしますのは、その父、次郎兵衛(じろべえ)の悪業でございまして。 次郎左衛門の父、次郎兵衛は内会師でございました。 ト申しますと、結構なご身分のように聞こえますが。 何の事はない、内会師というのはすなわち博奕打ちのことでございます。 ある晩、次郎兵衛は自身が住まっている長屋の木戸内で、かんざしを一つ拾いました。 家に帰って灯りに照らしてみるト、それが思いもかけない上物で。 とても長屋のかみさん連中が持っていそうな代物じゃない。 「そう言えば、この長屋の一番奥に囲い者がいたっけな」 その囲い者と申しますのが、江戸節のお紺の肩書を持つ、二十一、二の別嬪

    講談の怖い話より 「戸田の渡し お紺殺し」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/06/03
    講談「吉原百人斬り」より
  • 夫婦岩 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 備中は成羽郷の山奥に、木の村という小さな村がございます。 その村の神社の境内に、二つの大きな岩がございまして。 村の者たちは「夫婦岩(みょうといわ)」と呼んでいるそうでございますが。 その二つの岩の間、正しくはうち片方の岩に寄り添うようにして、小さな岩が一つある。 小さなと申しましても、人の背丈よりはゆうに大きい。 どうしてこれが夫婦岩と呼ばれているのか。 それには、こんな謂われがあるそうでございます。 昔、この村に甚兵衛という力持ちの大男がおりました。 村の力比べなどには必ず顔を出して、自分の頭より大きい岩でも難なく持ち上げてしまう。 そんな甚兵衛にも勝てないものが一つありまして。 それが女房のおカネという、これまた力持ちの大女。 向こうっ気もたいそう強いが、それ以上に働き者でございます。 一方の甚兵衛はと申しますト。 これは絵に描いたようなならず者で。 働きもせ

    夫婦岩 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/31
    備中の民話より
  • 腰の低い幽霊 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 昔、越中国の某所に化物屋敷と噂される邸宅がございました。 なんでも当主が何代か続いて不可思議な死を遂げたとかで。 近隣の者も大いに恐れ、敢えて住もうという者も現れません。 空屋敷になったまま、久しく年月を経ておりました。 ある時、勝浦彦五郎と申す者がみずから名乗りを上げまして。 この化物屋敷に勝手に住み着いてしまいました。 随分変わった者も世の中にはいるもので。 化物を恐れるどころか、むしろ良い酒の肴くらいに思っております。 さて、住み始めてみると、確かに噂に違わず幽霊が出る。 夜ごとに植え込みの辺りを、何者かが歩きまわっている様子。 この夜更けに袴姿の礼装というのが、いかにも怪しい。 彦五郎は「なるほど、此奴か」と思いまして、 「これ、其の方だな。袴幽霊とか申す不埒者は。何者だ」 ト、やや脅すようにして、声をかけました。 幽霊の方では、さして彦五郎を恐れる気色もご

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    onboumaru 2016/05/30
    「一夜舟」より
  • 奈良山の髑髏 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 我が日のがまだ倭と呼ばれていた頃のことでございます。 元興寺に道登という学僧がおりました。 この僧は元は高句麗人でございまして、祖国の戦乱を避けて我が国へ渡来したのでございます。 大化二年、道登は宇治川に橋を掛けるために、日夜奔走いたしておりました。 これが今も残る宇治橋でございますが。 その頃のこと、道登が大和国は奈良山の谷間道を急いでおりますト。 道端になんと髑髏が落ちている。 通行人や獣に踏みつけられたらしく、ところどころ崩れかかっているのが痛ましい。 頭の後ろに大きくひびが入っているのが分かります。 従者の万侶(まろ)は「ヤヤッ」と思わず飛び退きました。 ところが、道登は高僧でございますから、至って落ち着いております。 顔に慈悲の表情を浮かべ、万侶に命じますことには。 「哀れな者よ。死してなお人獣に踏みにじられるとは。その木の股に安置しておやりなさい」 万

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    onboumaru 2016/05/29
    「日本霊異記」より
  • 干将莫耶と眉間尺 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐土(もろこし)の春秋時代の話でございます。 楚の国に干将(かんしょう)と莫邪(ばくや)という夫婦がございました。 この二人は優れた刀匠でございまして、広くその名を知られておりました。 唐土も南の方へ行くと、山がちでございますから。 楚や呉、越などの地方では、良い鉄が採れるそうで。 自然、優れた刀匠もあまた輩出されたのだと申します。 さて、夫婦は楚王の命を受けて、剣を作っておりました。 五山の鉄精、六方の金英を集め、天地に伺いを立てながら鍛えておりましたが。 完成に三年もの月日を費やしたため、王の激しい怒りを買ってしまいました。 二人が作りましたのは、雌雄一対の剣でございまして。 苦労をともにしてやっと完成しましたので、名をそれぞれ「干将」「莫邪」とつけました。 その頃、の莫邪は子を身ごもっておりました。 いよいよ楚王に献上しに参殿しようという日、夫の干将がに申

    干将莫耶と眉間尺 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/27
    「捜神記」より
  • もう半分 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 千住の小塚ッ原に、あまり流行らない居酒屋がございまして。 夫婦二人で切り盛りしておりましたが。 流行らないというのはそれはもう当然で。 小塚ッ原と申しますと、江戸に二つしかない処刑場の一つでございます。 もっとも、そんなものは二つあれば十分ではございますが。 ともかく、こんなところで酒を呑みたいという御仁はあまりいない。 ところがただ一人、奇特にも常連の客がございまして。 棒手振りの八百屋の爺さんが毎晩せっせと通ってくる。 天秤棒を担いだ行商ですナ。 この爺さん、変わっていることがまだ一つある。 いつも飯盛茶碗に半分だけ酒を注いでもらい、お代も半分にしてもらっておりました。 当人に言わせると、いつ酔っ払って粗相をするかわからないので。 ト、いうことだそうでございますが。 どうやら、店の側では目分量で注ぎますので、半分頼めばどうしても人情で量が多めになる。 半分を二回

    もう半分 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/26
    落語「もう半分」より。
  • べごをつれた雪女 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 昔、羽州は新庄というところに、名を太吉と申す子どもがおりました。 まだ年端もゆきませんが、図体がでかく、力もある。 気は優しくて力持ち、などと殊勝な子どももたまにはおりますが。 だいたいこういう子どもは、横柄に育つようにできているのかいないのか。 いつも他の子どもたちを相手に、威張り散らしておりました。 ある年の初めのことでございます。 その年は新年早々雪が降り続きまして。 遊びたい盛りの子どもたちも、やむなく家に閉じこもっておりましたが。 小正月頃になってようやく雪が止み、陽が差してまいりました。 「ソリに乗ろう、ソリに乗ろう」 ト、わらしっ子たちははしゃいで飛び出していく。 数日閉じ込められていた反動でもございましょうが。 早く着いた方が何度でも滑られるという童心からで。 向かったのは村はずれの小高い山。 ここが子どもたちの決まった遊び場です。 太吉はト申します

    べごをつれた雪女 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/25
    出羽の民話より
  • ご挨拶 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    お初に――イヤ、お久しぶりに――お目にかかりましたナ。 砂村隠亡丸でございます。 お目にかかるだと。どこにいやがる。 声はするが、姿はどこにも見えやしねえ。 ト、お思いになったことでございましょう。 下でございますよ。 その下を流れる水のオモテでございます。 おのれの力ではどうにもなりませんからナ。 ただプカプカと浮いております。 ふとお姿が見えたものですからご挨拶申し上げました。 そも、わたくしはどこから参ったのか。 最初の記憶は神田川でございましたよ。 わたくしはそこで戸板に括りつけられまして。 ざぶんと無慈悲に放り込まれたようでございます。 酷い奴があったものでございます。 思えばそれでも呑気なものでございました。 過ぎゆく景色をぼんやりと眺めておりましたっけ。 それがいつの間にか隅田川に流れ着き。 あれよあれよと大海へ。 流されていくじゃありませんか。 一体どうなることやらと案じて

    ご挨拶 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/24
    隠亡丸よりご挨拶
  • 口なき子 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 四谷のとある横丁に、升屋と申す染物屋。 店の主人は五十絡みで。 篤実な人物ではございましたが。 何の因果が祟ったのやら。 長年連れ添った女房に先立たれまして。 そればかりではございません。 続け様に倅二人にも先立たれてしまいました。 ただ一人残ったのは、俗に言う恥かきっ子。 名を志太郎。 しかも、この五つの幼な子は、生まれつき物を言えないという不自由者。 男手一つで育てはしましたが、やがて無理がたたって体を壊しまして。 商売にも支障をきたすようになり、主人は我と我が子の行く末を、日々案じて暮らしております。 当時、店に出入りしていたのが、金造お由という貧しい若夫婦。 主人が心を固めて、二人に申し入れますことには――。 「どうだい、お前たち。夫婦揃って養子になる気はないか。この店の身代も継がせてやろう。その代わりと言っては何だがナ。哀れと思って、この志太郎を育ててくれ

    口なき子 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/24
    「耳嚢」より
  • 土蜘蛛 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 頼光(らいこう)とその家来の話でございます。 その頃、都では藤原道長が権勢を誇っておりましたが。 こと、武勇においては、何と言ってもこの源頼光が第一で。 それもそのはず、ト申しますのは。 初めて侍を家業にした、摂津源氏の二代目です。 大江山の酒呑童子を退治したのもこの頼光なら。 その家来の茨木童子を退治したのもこの頼光で。 配下に四天王と呼ばれる家来を従えておりましたが。 それがすなわち、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)―金太郎でございますナ―、碓井貞光(うすいのさだみつ)、卜部季武(うらべのすえたけ)。 さて、そんな豪傑の頼光ではございますが。 ある時、重い病のために床に伏せるようになりました。 当時のことですから、何の病かは分かりません。 今日明日にも命を落とすようなものなのか、すぐに復するようなものなのか、それすらも分からない。 その頃

    土蜘蛛 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/23
    謡曲より
  • 飛騨の猿神 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 当時、諸国を旅していた若い修行僧が、飛騨の国に迷い込みました。 迷い込んだと申しますのは、あの辺りは非常に山深い土地柄でございまして。 国の大半が蒼とした森と言っても過言ではない。 人跡未踏の地があったとしても、なんら驚くことはございません。 と申しますと、飛騨の者が腹をたてるかもしれませんが。 この修行僧も、人里離れた山奥に入り込んでしまいました。 前方には大きな滝が行く手を阻み、戻ろうとするといつの間にか急峻な崖に背後を囲まれている。 どこをどう進めばよいのか、全く分かりません。 日は暮れはじめ、森の中は心細いほど暗くなってまいりました。 ト、後ろから人の気配がいたします。 振り返りますと、どこをどう通ってきたのか、荷物を背負った男がこちらへ歩いてくる。 修行僧はホッと息をついて、男を呼び止めました。 「旅の者です。見知らぬ土地で道

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    onboumaru 2016/05/23
    「今昔物語集」より
  • 民話の怖い話より 「ちごちごの花」 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

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    onboumaru 2016/05/23
    信濃の民話より
  • 三娘子の驢馬 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 当時、板橋店(はんきょうてん)という辺鄙な街に。 一軒の旅の宿がありまして。 彼の国では客桟とか旅店とか呼びますが。 飯屋でありながら寝泊まりも出来るという。 その店内でせわしなく立ちまわる者が一人。 独り身の年増だが艶のある。 名を三娘子(さんじょうし)と申す女侠。 これがその旅店の女主人。 雇い人も置かず、身内のある風もなく。 一人で宿を切り盛りしておりました。 宿の裏では驢馬をたくさん飼っている。 酒樽から頭と脚を突き出したようなのが。 日の当たらぬ狭い裏庭に。 ヒヒンヒヒンとひしめき合っている。 なんでも、驢馬というのは牛馬より育てやすいとかで。 我が日のではあまり見かけませんナ。 彼の国では荷馬や家畜、さらに老いてはい物として。 非常に重宝されると申します。 三娘子は自家で育てたこれらの驢馬を。 歩き疲れたり馬に死なれた旅人な

    三娘子の驢馬 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/23
    「幻異志」より。泉鏡花「高野聖」の原拠。
  • 漆固めの妻 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 ある村に若い夫婦がございました。 美しいに、優しい夫。 その上、代々続く名家だという、ケチのつけようのない幸せな夫婦。 そんな我々凡夫の嫉妬が、天に届いたのかどうかは知りませんが。 二人に転機が訪れましたのは、ある年、が病に倒れたそうで。 必死の看病も虚しく、ついに臨終の時を迎えることとなりました。 が枕辺の夫を見上げます。 キッと見つめる。涙がつーっと筋をなす。 冷たくなりゆくその小さな手を、夫が思わず固く握る。 「ねえ、お前さん」 「――何だい、そんな顔をして」 トハ、言いながら。 何を言わんとしているのか、分かるところはやはり夫婦で。 恨めしそうな眼差しで、が夫を見つめます。 「お前さん。私が死んだら、いい女(ひと)をまた貰うんでしょうねえ」 「馬鹿を言うんじゃない。決して貰わないよ」 ト、ここまではお定まりで。 これで終われば、申すことはございません

    漆固めの妻 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/05/23
    「諸国百物語」より