怖い話に関するonboumaruのブックマーク (178)

  • 死に埋め婆の声がする | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 俗に「偕老同穴の契り」ナドと申しまして。 夫婦の仲が睦まじく、固い信義で結ばれていることを指しますが。 「偕(とも)に老い、死しては同じ穴(墓)に入らん」ト。 マ、字句の意味としては、そんなところでございましょうナ。 時々、口説き文句に使う輩もおりますが。 これは気をつけなければなりません。 死して同じ穴に入るためには。 先に死んだ方が、生きている方を待つことになる。 穿った見方と言えばそれまででございますが。 あまり気持ちのよいものではございません。 さてここに、一軒の何の変哲もない百姓家がございまして。 老人とその古女房が住んでおりました。 このふたりがまさに「偕老同穴の契り」を地でゆくような夫婦で。 四十年間、喧嘩一つしたことのない、仲の良い夫婦でございます。 ところが、時というものは残酷なもので。 婆さんのほうが、やがて病の床につく。 爺さんのけなげな看病も

    死に埋め婆の声がする | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/11/03
    長崎の民話より
  • 死霊解脱 累ヶ淵(一)因果の絹川 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 有名な累ヶ淵(かさねがふち)のお話でございます。 下総国岡田郡羽生村の、絹川のほとりの集落に。 与右衛門ト申す百姓が住んでおりました。 この与右衛門には娘が一人おりまして。 名を累(るい)ト申しましたが。 実名で呼ぶ者は誰もいない。 村人たちはもっぱら、「かさね」ト呼んでいる。 どうして、かさねト呼ばれるのか。 そのわけはおいおいご説明いたしますが。 「るい」が「かさね」ト呼ばれるそのわけに。 このお話の恐ろしさが秘められているト申せます。 さて、この累(かさね)には難点がございまして。 それは、性根が捻じ曲がっていることでございます。 村人たちはみな、この女を嫌っている。 どうして、そんなに心が醜いのかト申しますト。 そもそも、器量が醜いからで。 顔が捻じ曲がっているのだから、致し方がない。 ト、人々はそう考えている。 実の父親の与右衛門も、我が娘ながら累が憎くて

    死霊解脱 累ヶ淵(一)因果の絹川 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/11/01
    仮名草子「死霊解脱物語聞書」より。
  • 三人尼と踊り茸 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 ある冬の初めのこと。 山に三人の木樵が入っていきました。 白髪の年長者、古之尉(ふるのじょう)。 壮年の年中者、寅麻呂(とらまろ)。 そして今日が初めての山入りとなる、和賀彦(わかひこ)の三人でございます。 木樵にとって、山へ初めて入ることとは。 大人として周りから認められることでもございます。 山には山の掟がございますから。 大人になった以上、それを守らなければなりません。 この日のために、和賀彦は。 七日七晩の精進潔斎をして臨みました。 心身ともに清浄でなければ。 山の神の怒りを買い、妖魔に襲われるト。 古之尉から教えられたからでございます。 和賀彦は生来、生真面目で臆病者でございますので。 とにかく、この七日間が気が気でございませんでした。 体の垢ならいかようにも洗い落とせますが。 心の垢は落ちたかどうだか、己では測りようがございま

    三人尼と踊り茸 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/31
    「今昔物語集」より
  • 比丘尼の長風呂 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐土(もろこし)の話でございます。 魏呉蜀の三国鼎立時代を終わらせましたのは。 司馬炎が魏の元帝から禅譲を受けて建国した晋でございます。 その晋も、やがて夷族の匈奴に華北を追われまして。 都を洛陽から長安、さらに建業へと遷しました。 建業に遷ってより後を、俗に東晋ト申しますナ。 さて、この東晋の国に。 桓温(かんおん)ト申す軍人がございました。 東晋長年の悲願であった、北伐と洛陽奪還とを。 一時にせよ成し遂げた、国の大功労者でございます。 桓温はこの功績によりまして。 大司馬トいう軍人の長に任じられました。 勢いに乗じて、北府軍団および西府軍団と。 二つの強大な軍団を手中に収めまして。 東晋の実質的な権力者の地位に躍り出た。 我が日ので申しますト。 さしずめ平清盛といったところでございましょう。 晩年には、幼い簡文帝をみずから擁立いたしまして。 さらには自身への禅

    比丘尼の長風呂 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/28
    六朝期の志怪小説「捜神後記」より
  • 忍夜恋曲者 将門 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 我々関東者にとって英雄と申しますト。 一も二もなく、平将門公でございますナ。 何故かト問うのは野暮というものでございます。 訳あって崇め奉るわけではない。 訳もなく崇めたくなるのが、真の英雄で。 将門公は、一族内での争いに端を発しまして。 やがて京の朝廷から東国を自立せしめんと標榜し。 一時は「新皇」を称するに至りましたが。 最期は藤原秀郷らに討伐されまして。 波乱に満ちた生涯を閉じられました。 その際、京の都大路にて首を斬られましたが。 三日目の晩に、首が故郷関東を目指して飛んでいき。 今の大手門外の地に落ちたト申します。 その首塚に「蛙」の置物が数多奉納されている。 これは、旅人が国へ無事「帰る」という願いを込めたものだそうでして。 もっとも将門公自身は、無事には帰っておりませんが。 さて、将門公が討ち取られましたその後も。 新皇の勢力は、捲土重来を期して、各地

    忍夜恋曲者 将門 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/26
    歌舞伎舞踊「忍夜恋曲者」より
  • 猫又屋敷 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 昔、周防国に大きな店構えの商家がございまして。 長年、一匹のが住み着いておりましたが。 この家のお内儀(かみ)が、質(たち)の悪い女でございまして。 いつも、このいじめておりました。 嫌いなのかといえば、そうではない。 勝手に住み着いたを、もう五年も飼っている。 朝昼二度の餌もしっかり与えます。 それでは大事にしているのかといえば、そうでもない。 見かけるたびに外へ放り投げたり、蹴飛ばしたり。 酷い時には、焼け火箸で頭を叩いたり。 生かさず殺さず、何かのはけ口にしているとしか思えない。 の方でこの家を出ていかないのにはわけがありまして。 何も、ネズミがたくさんいるからというのではございません。 この家の女中が、を哀れに思っておりまして。 いつも優しく接してくれるからでございました。 そのが、ある日ふっと姿を消しました。 勝手口の脇には、いつもはすぐ空

    猫又屋敷 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/25
    各地に伝わる化け猫伝説より
  • 八百屋お七 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 ある年の瀬のことでございます。 ただでさえ慌ただしい年の暮れ。 筑波颪が激しく吹き抜ける江戸の町。 つきの杵の音に、掛け取りの催促の声が入り交じる。 そんなせわしない二十八日の昼下がりのこと。 駒込あたりから出た火が、折からのからっ風に乗りまして。 瞬く間に大火となって燃え広がりました。 大八車に家財道具を積んで逃げる者。 穴蔵を開けて、絹物を投げ込む商人。 子を呼ぶ親、をいたわる夫、老母の死を嘆く倅――。 郷に、代々八百屋を営む家がございまして。 主人は名を八兵衛と申しましたが。 娘のお七は十六で、評判の器量良しでございました。 八兵衛の八百屋は火元の近くにございましたので。 お七は母とともに、檀那寺の駒込吉祥寺に駆け込んだ。 他にも付近の住人が大勢逃げてきまして。 寺はにわかにすし詰めとなる。 お七の母は、過剰なまでに娘を大事にしておりまして。 堂に身を

    八百屋お七 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/24
    井原西鶴「好色五人女」中の一遍より
  • 右も左も同じ顔 玄陰池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐土(もろこし)の話でございます。 かの国の西北、太原の地の商人に。 石憲(せきけん)ト申す者がございました。 たいそう無鉄砲な男でございまして。 危険を顧みもせず、北の夷族の地にまで。 しばしば、商いに出向いておりました。 その年の夏も、石憲は雁門関をひとり超えて行く。 これは雁門山中にある唐土の側の関所でございまして。 匈奴、鮮卑、突厥といった夷族の侵入が続いた頃。 中原の地を守るために設けられた要衝でございます。 北方とはいえ、その日はうだるように暑い日で。 歩き疲れた石憲は、路傍の大木の下で涼んでおりましたが。 あまりの熱さに朦朧とするのか。 さてまた、眠気に襲われたのか。 ともかくも、うとうとトまどろみ始めたその矢先に。 石憲を間近に覗き込む一人の男の姿があった。 褐色の法衣を身にまとい。 やぶにらみの細い目でこちらをじっと見ている。 その様子に石憲が思わ

    右も左も同じ顔 玄陰池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/19
    唐代の伝奇小説「宣室志」より
  • 瀬田の唐橋で渡された箱 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 平安の昔の話でございます。 美濃国の生津という地に、紀遠助(きの とおすけ)ト申す者がございまして。 とある縁から、京東三条の関白殿の屋敷に長年勤めておりましたが。 ついに暇をいただき、美濃国へ帰ることになりました。 その帰路に通り掛かったのが、名橋、瀬田の唐橋で。 これはヤマトタケルノミコトの父、景行天皇の御代に架けられたという。 由緒正しき古橋でございます。 さて、遠助が従者とともに馬でこの橋に差し掛かりました時。 ふと見ますト、橋の上に女が一人立っている。 衣の褄を取って、ただぼんやりとしております。 夜明け前。 空がようやく白み始めた頃。 瀬田川から立ち上った朝もやが。 橋を白く覆っている。 遠助は、チョット不気味に思いながらも。 知らぬ顔をして通り過ぎようとした、その時に。 顔も合わせず、ただ固まったように立っていた、その女が。 不意に、首をこちらに回して

    瀬田の唐橋で渡された箱 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/18
    今昔物語集より
  • 妲己のお百(五)峯吉殺し | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    (芸者美濃屋小さんに変じたお百。追ってきた桑名屋を誘い出して殺す) お百の新しい金づるとなった美濃屋重兵衛でございますが。 旅商人ゆえ、いつも家を留守にしております。 その分、お百は毎日を気楽に過ごしている。 だがそれも、旦那が金を持って帰ればこそ。 留守があまり長く続くと、自分が遊ぶ金がない。 お百は毎日座敷へ出てせっせと稼ごうというような。 殊勝な心がけの女ではございませんので。 そのうちに座敷へも出ず、方々から金を借り。 家にこもって酒ばかり飲むようになった。 時は正月七日頃。 朝から雪がちらほら降っている日で。 お百の小さんはひとり三味線を爪弾きながら。 小唄を唄い、銚子を傾けている。 ト、そこへ――。 「雪はしんしん 夜(よ)もその通り どうせ来まいと真ん中に ひとりころりと膝枕――」 どこからか聞こえてくる門付けの唄い声。 同じく女の声で小唄を唄っております。 病み上がりか、声

    妲己のお百(五)峯吉殺し | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/17
    講談「秋田騒動 妲妃のお百」より
  • 美姉妹と背徳の赤い糸 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく、後に夫婦となる男女は、小指に赤い糸が結ばれているナドと申しますナ。 これはもとは唐土(もろこし)の言い伝えだそうでございまして。 月下老人ト申す神が、それをつかさどっていると信じられておりますが。 かの国では、足首に赤い縄を巻きつけることになっているト申します。 これでは歩きづらくって仕方がない。 朝では、天正から元禄頃にかけまして。 赤い打ち帯が流行ったことがございます。 これは、赤い組紐を帯にしたものを、男の家から許嫁に送ったもので。 もちろん赤い糸に掛けて、縁結びの意が込められているものでございます。 さて、時は元亀天正の頃。 群雄割拠した戦国の時代の話でございます。 越前国は敦賀の津に、浜田の長八ト申す長者がおりました。 この者には幼い娘が二人おりまして。 朗らかな姉娘は、その名をお朝(あさ)。 やや陰にこもるところのある妹娘は、名をお夕(ゆう)ト申

    美姉妹と背徳の赤い糸 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/16
    浅井了意「伽婢子」より
  • 箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 よく、「入り鉄砲に出女」ト申しまして。 女が関所を通過するには、非常な困難が伴いますが。 もっとも厳しいのはどこかと申しますト。 それはやはり、東海道は箱根の関所でございましょう。 その関所の裏山に。 お玉ヶ池ト申す池がございまして。 元は薺(なずな)ヶ池と呼ばれていたそうでございますが。 どうしてお玉ヶ池と呼ばれるようになったのか。 その由来をこれからお話しいたします。 元来、関所と申しますものは。 手形さえあれば誰でも通ることができますが。 こと、女に関しますト。 それがそうもいかないのが難しいところで。 男が関所を通ります場合は、通行手形が必要となりますが。 これは町役人か菩提寺に頼めば、その場でサラサラと書いて渡してくれる。 ところが、女には女手形トいうものがございまして。 これを誰が書いてくれるかと申しますト。 幕府のお留守居役でございます。 ――急に敷居

    箱根関所 お玉ヶ池 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/05
    神奈川の伝説より
  • 阿闍世王と釈尊 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 天竺の話でございます。 成道して仏となられた釈尊の弟子に、提婆達多(だいばだった)という奸物がおりました。 この者は多聞第一として知られた高弟、阿難(あなん)の兄でございます。 ふたりとも、元をただせば釈尊の従弟でございますが。 同じ従弟でも、提婆達多と阿難では、陰と陽ほどの違いがある。 提婆達多という男は、生きながらにして無間地獄に堕ちたと伝えられております。 単に釈尊の教えに反したからというのではございません。 釈尊を殺害することによって自らが仏となろうという、誤った考えを抱いたからで。 後に唐の三蔵法師玄奘が天竺を旅しましたときに。 提婆達多が地獄に堕ちたという、その穴がまだ遺っていたとか申します。 さて、釈尊の元を離れた提婆達多でございますが。 摩竭陀国(まがだこく)は王舎城の阿闍世(あじゃせ)王子に取り入りまして。 その側近のような立場に収まっておりました

    阿闍世王と釈尊 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/10/02
    今昔物語集ほかより
  • 沢の怨霊の片棒を担ぐ | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 昔、張禹ト申す勇猛な武将がございまして。 旅の途中で、大きな沢のほとりを通りかかりましたが。 一天にわかにかき曇りまして。 昼間というのに辺りは夜のように暗くなる。 今にも大雨が降り出しそうな、重苦しい空模様で。 沢の向こうに大きな屋敷が聳えている。 張禹はそれに気が付きますト。 濡れ鼠になっては面倒だト。 降り出す前に、門へト駆け込んでいきました。 屋敷の門はちょうど開かれておりましたが。 張禹が駆け込んでくるのを見て、下女が驚いて用件を問う。 「軒先で構わぬ。雨宿りをさせてもらいたい」 大男が実直そうにそう申しますので。 下女はとりあえず主人に取り次ぎに行きました。 しばらくして戻ってきた下女は、一転、にこやかな笑みをたたえている。 「どうぞ、軒先とおっしゃらずに中へお入りくださいとのことでございます」 ト、張禹を案内していきました。

    沢の怨霊の片棒を担ぐ | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/09/26
    六朝期の志怪小説「雑鬼神志怪」より
  • 妲己のお百(四)美濃屋小さん | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    (先の亡霊に滅ぼされた桑名屋。お百の入れ知恵で金を詐取し、江戸へ出奔) 桑名屋徳兵衛は罪の意識と先の亡霊とに追われた末に。 橋の欄干から身を投げようといたしましたが。 すんでのところでこれを救いましたのは。 美濃屋重兵衛ト申す、旅商人(たびあきんど)でございます。 年の頃は五十絡みでございますが。 背が高く、色の白い男前でございます。 「夫婦のことに口を挟む気はございませんが、橋の上で生きるの死ぬのと物騒な話。ともかく、私の家へおいでなさい。ゆっくりと話を聞きましょう」 徳兵衛もお百も、地獄で仏に出会ったような気持ちになりまして。 喧嘩をやめて、素直に後に付いていきます。 芝汐留までやってまいりますト、立派な構えの家がございまして。 重兵衛はそこに手伝いの婆さんと、二人で住んでおりました。 「先程から言葉遣いを聞いておりますと、どうやらお二人とも上方からお出でのようでございますな」 重

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    onboumaru 2016/09/22
    講談「秋田騒動 妲妃のお百」より
  • 河童駒引 五郎兵衛と河童徳利 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 相州のとある川の畔に、五郎兵衛ト申す馬方が住んでおりました。 五郎兵衛は真面目で几帳面な男でございまして。 馬もその気質をよく知ってか、聞き分け良く働きます。 五郎兵衛は馬を非常に大事にする。 馬も五郎兵衛に心から懐いている。 この馬は、人間なら十六の娘といったところの牝馬で。 名前は赤(あか)ト申します。 五郎兵衛と赤は、まるで夫婦のように。 互いに息の合った、良い相棒でございました。 ある日のこと。 五郎兵衛は川の浅瀬で、赤を洗ってやっておりました。 「今日は天気も良かったし、おまえもよく働いたから、汗びっしょりになってしまったなあ」 ナドと言いながら。 自分も汗びっしょりになって、馬を磨いております。 赤も気持ちよさそうに、五郎兵衛に身を委ねている。 ト――。 淵の水の中をスーッ、スーッと。 何者かが行ったり来たりするのが見えました。 背丈からするト、人間のよ

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  • 変成男子と男やもめ | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 江州は枝村ト申す、東山道の宿場町に。 ある日、一人の美僧が現れまして。 一軒の宿屋の戸を叩きましたが。 年は二十歳ばかりにして。 見目形は尼僧かと見紛うほどで。 そのくせ、声や立ち居振る舞いは。 やはり男でございます。 その晩は大雨が降りまして。 翌日もまだ晴れません。 それ故に、この若い僧は。 昼間も居続けとなりましたが。 夜が明けてよりこの方。 この美僧の様子がどうもおかしい。 姿形はもとより優美ではございましたが。 居住まいから声音まで、すっかり女らしくなっている。 宿の亭主は、何やら怪しく思いまして。 「御坊はどちらよりお出でですかな」 ト、それとなく声をかけてみた。 「わたくしは越後の者でございますが、丹波の大野原の師匠の元にて数年修行を積みまして、これからまた越後へ戻るところでございます」 美僧は伏し目がちにそう答えました。 亭主は、丹波の事情はよく知り

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  • 毘瑠璃王と釈迦の一族 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 天竺の話でございます。 お釈迦様が悟りを開かれて間もないころのこと。 舎衛国(しゃえいこく)の波斯匿王(はしのくおう)が、これを耳聡く聞きつけまして。 「迦毘羅衛国(かぴらえいこく)は小国ながら、その一族は釈迦仏という仏を輩出した貴種である。釈迦族から妃を一人求めることにしよう」 ト、大臣に命じて釈迦族に通達させました。 釈迦族の者たちはこれを伝え聞きまして。 王や主だった大臣が集まって、討議をする。 釈迦族は釈迦族で、国は小国ながら誇り高い種族でございまして。 隣国の舎衛国は確かに大国には違いございませんが。 血統の上では、自身ら釈迦族が遥かに上と信じて疑っておりません。 舎衛国の王風情に、姫をくれてやる訳にはいかないと考えた。 しかし、一方で舎衛国は確かに大国でございます。 かてて加えて、波斯匿王は悪名高き暴君でもある。 もし、縁談を拒否して攻め込まれれば、小国

    毘瑠璃王と釈迦の一族 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/09/19
    「今昔物語集」より
  • 一つが二つが四つになる | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    こんな話がございます。 唐の国の話でございます。 昔、李頤(りい)ト申す者がございました。 この者は後に湘東の太守にまでなった人物でございます。 この李頤の父が、少し性質の変わった人でございまして。 妖かし、迷信のたぐいを一切信じません。 ただ信じないだけならともかくも。 これを好んで挑発するきらいがございます。 かの国では年男、年女は、赤い衣を身につける風習がございます。 これは自身の干支と同じ年――これを命年ト申しますが。 命年には、災いがあると考えられているからでございます。 つまり、赤には破邪、魔除けの効能があると信じられている。 それでは、李の父はト申しますト。 年男となった年に、敢えて黒い衣を身に着けまして。 喜々としてみなに見せびらかしている。 これではわざわざ邪鬼を呼び招いているようなものでございます。 ところが、その年一年間、特に変わったこともございませんで。 そうな

    一つが二つが四つになる | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/09/18
    「捜神後記」より
  • 妲己のお百(三)おきよの亡霊 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-

    (海坊主に憑かれたお百が、桑名屋の女房を理不尽に追い出し、死に追いやる) さて、お百の義理の兄である、棒手振り魚屋の新助でございますが。 おきよの残した赤ん坊を、男手一つで必死に育てました。 近所の者たちもこれに大層同情いたしまして。 魚を買いがてら、乳飲み子の面倒を見に集まってくる。 新助が切り身にしている間に、脇に連れて行って乳をやる者もございます。 血は繋がっていないとは言うものの。 己の義理の妹が、この子にとっては親の仇。 きっとこの小父貴が、助太刀をいたしましょうト。 赤子の成長ばかりを心の支えに、日々を暮らしておりますが。 そこはやはり、男やもめでございますから。 一日中、商売と子育てに追われておりますト。 長屋に戻った時分には、すっかり疲れきっている。 赤子を抱いたまま、いつの間にかグウグウと寝てしまいます。 そうして夜中に、ふと目を覚ますのが常でございましたが。 ある晩のこ

    妲己のお百(三)おきよの亡霊 | 砂村隠亡丸の余苦在話-よくあるはなし-
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    onboumaru 2016/09/15
    講談「秋田騒動 妲妃のお百」より