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sfに関するoptical_frogのブックマーク (46)

  • 15. 書き始める - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第15セクション「書き始める」の翻訳です。 ついにアシモフが書き始めました。生涯500冊を目指して好ダッシュ!と思いきやという、まだまだ発展途上なアシモフ君11歳でした。しかし、俺も昔作家を目指したことはあったのだけど...全然書かなかったなぁ。やっぱりほんとになる人は、ずっと書いているのだね。 15:書き始める 1931年、11歳の時に私は文章を書き始めた。サイエンス・フィクションを書こうとしたわけではなくて、もっとずっと素朴なものに取り組んだのだ。 パルプフィクションの時代の前に、「ダイム・ノベル」の時代があった*1。私はその時代のまさに終わりの頃を目撃している。私の父が最初のキャンディーストアーを買った時、父はニック・カーター、フランク・メリウェル、そしてディック

    15. 書き始める - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/05/08
    "Know your ending, I say, or the river of your story may finally sink into the desert sands and never reach the sea."|love interest は「思いを寄せる人物/恋愛対象/恋愛のテーマ」ですね(新英和大辞典).
  • 14.サイエンス・フィクション - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第14セクション「サイエンス・フィクション」の翻訳です。 この前の「パルプフィクション」の続き、「サイエンス・フィクション」です。が、あんまりSFの話をせずに、パルプフィクションから脱線して現代社会(1990年ごろ)の問題へと。気持ちはわかるけど、ちょっと残念。まあとにかく、ここのところアシモフ自身の話から少しばかり離れてますが、また次のセクションからもうちょっとプライベートな話へと、そしてアシモフの not so 神童時代へと... 14. サイエンス・フィクション パルプフィクションのジャンルの一つが、「サイエンス・フィクション」であった--もっとも小さくて、一番下に見られていたジャンルだ。これはアメージング・ストーリーズという形でパルプフィクションの世界に登場した

    14.サイエンス・フィクション - P.E.S.
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    optical_frog 2009/05/06
    中学時代に読んだ玉石石石石石混交のラノベのなかに尻Pがいた(ただの思い出)|ところで原書が届いてびっくり.すごい分厚いんですね.てっきり小冊子みたいなのかと思ってた.
  • 13. パルプフィクション - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第13セクション「パルプフィクション」の翻訳です。 ここと次のセクションはアシモフのフィクションについての読書傾向のお話で、第二次世界大戦前のアメリカのジャンクフィクションについての事です。海外SFファンとしては、この辺りの事はなじみのある楽しい話なんですが、正直SFに興味のない人が面白いと感じてくれるのかどうかはちょっと不安です。でも、もしよかったら読んでみてください。 13.パルプフィクション 1920年代と1930年代には、テレビはなかった。コミックブックすらほとんど存在しなかったのだ。(確かに、ラジオはあった。そしてAmos'n'Andyといったプログラムは、一時は国民的な番組であった。)しかし全体的に、頭のジャンクフードのための環境的ニッチは、「パルプ雑誌」に

    13. パルプフィクション - P.E.S.
  • 12. 長時間労働 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第12セクション「長時間労働」の翻訳です。 いかにも仕事中毒のアシモフらしいセクションですね。英語版Wikiのアシモフの項によると、アシモフは1992年までの72年の人生*1で500冊以上のを執筆・編集し、9000以上の手紙とはがきを書いていて、書籍についてのデューイ十進分類の10項目で彼のがないのは哲学・心理学の一項目だけだそうです。(追記:付け加えると、ボストン大学で化学の准教授もやってました。この翻訳を行うことにした理由の一つは、院を出た後の就職問題への共感でもありましたので(アシモフも苦労したのですよ)、翻訳は大体その頃のセクションまで続けるつもりです。) ところでこのセクションを読んでいると、俺もがんばってもっと働こう!と思うのですが、同時に、でも日で長

    12. 長時間労働 - P.E.S.
  • 我はアシモフ:10.学校 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第10セクション「学校」の翻訳です。 アシモフがまだ神童だった頃の、いかにもアシモフ的エピソードです笑。 我はアシモフ:10.学校 学校は好きだった。教えてもらったことで難しい事は何もなかった。少なくとも小学校と中学校ではそうだった。全部が簡単で、私は優秀だった--そして私は優秀である事をひけらかすのが大好きだったのだ。 勿論、問題もあった。いつだって問題はある。クラスメートには全然人気がなかったことは置いておいても、ほとんどの教師からも気に入られてはいなかったのだ。クラスの中で私こそがもっとも頭のよい子供であるという避けがたい事実(そしてまたもっとも若くもあった)にもかかわらず、私はまたもっとも行いの悪い生徒でもあったのだ。注意しておくが、「行いの悪い」の基準が60年

    我はアシモフ:10.学校 - P.E.S.
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    optical_frog 2009/05/01
    (少し萌えた:「彼女は私を飛び級させたのだが、私はクラスを出る時、私は先生がいいと泣いてしまった。」)|フヒヒッ(豚)
  • 我はアシモフ:9. 本の虫 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第9セクション「の虫」の翻訳です。翻訳してみて改めて思いましたが、俺はこのセクションに共感できる人向けに翻訳しています。 9.の虫 すべての状況が私を若者としては普通ではない人生へと向かわせていた--「普通ではない」というのは、勿論、近所にいた平均的な若者達の平均的な生活と比べた場合だけのことだが。私にとっては、それは「普通ではない」ということではなかった。それはまさに望みどおりのものだった。と一緒にいた私は、他の子供達を哀れに思っていた。 注意しておくが、私は完全に孤独に隔絶していたわけではない。私は人嫌いではないし、スーパーシャイな「孤独な人間」でもない。私は実際、非常に外向的な人間なのだ(と人から言われている)。声は大きいし、騒がしいし、おしゃべりだし、よく

    我はアシモフ:9. 本の虫 - P.E.S.
  • 我はアシモフ:8.図書館 - P.E.S.

    1992年に亡くなったアイザック・アシモフの最後の自伝的エッセイ、"I.Asimov: A Memoir" (1994)の第8セクション「図書館」の翻訳です。 いきなりセクション8です。まあ、大体このセクション辺りを読んでいた時に、訳そうという気になりましたので。こことあとセクション9の「の虫」とか、俺はえらい共感してしましました。(それからダメ大学院生だった話と、院を出てからの就職活動の話とか笑)。 我はアシモフ:8.図書館 一旦読めるようになると私の読書力はどんどん向上していったので、深刻な問題が起こってしまった。読むものがなくなったのだ。学校の教科書は数日しか持たなかった。学期の最初の週にはすべてを読んでしまって、その後の学期の半年間ぶんの教育が済んでしまった。教師には私に教えるものは特になにもなかった。 私が6歳の時、私の父がキャンディーストアーを購入した。そのキャンディーストア

    我はアシモフ:8.図書館 - P.E.S.
  • 我はアシモフ:1.神童だった? - P.E.S.

    我はアシモフ:1. 神童だった? 私は1920年1月2日にロシアにて生まれた。しかし私の両親は移民し、1923年2月23日に合衆国にたどり着いた。つまり、私は3歳の時以来、環境的にアメリカ人であったということだ(そして、5年後の1928年9月、法的にも市民権を得てそうなった)。 私はロシアでの幼児時代の事を事実上なにも覚えていない。ロシア語は話せないし、ロシア文化についても(知的なアメリカ人なら知っているだろう事以上には)馴染みがない。私は、育ちとそして感覚的に、完全にまったくもってアメリカ人なのだ。 しかしもし私が3歳の時、そしてそれからすぐの時の私の事について語ろうとすると、なにしろ私はその頃の事をちゃんと覚えているのだが、いつだって私は人様から「うぬぼれている」とか、「自慢したがり」だとか、「思い上がっている」だとかの非難を受けてしまう。もうすこしドラマチックな表現をする人だと、私は

    我はアシモフ:1.神童だった? - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/04/28
    早川は翻訳権をとって okemosさんに全部訳してもらうべき.
  • 我はアシモフ:イントロダクション - P.E.S.

    えー、だれかこれを読んでくれる人がいるのかどうかもよく分かりませんが、こんにちはです。なんか仕事が忙しくなると、ブログを書いている時間も精神的余裕も無くなってしまいますね。正直、このまま止めちゃおうかと思ってたんですが、ようやく仕事がひと段落ついた時に行ってみた丸善にてアイザク・アシモフの自伝、あるいは自伝的エッセイのI.Asimov(アマゾンリンク)が売られていまして、買って読んでみたら気が変わりました。これは、訳さなあかんと!とか思っていたら、さらにSFマガジン6月号に石和義之さんによるアシモフ論が載ってるし。これは天が俺に訳せと命じているのだあぁ!とかなんとか。 この、ずっと以前にも買っていて、部分的に読んでアシモフの事が好きになったんですが、今回改めて読み直してみて、これは非モテ・非コミュにとってのロールモデルのではないか!と感じてしまいました。このは全166の各トピックごと

    我はアシモフ:イントロダクション - P.E.S.
    optical_frog
    optical_frog 2009/04/28
    Σうおぅ!|紹介されてた原書買いましたです.|id:okemosさん,お久しぶりです-.まだ届いてませんが,アマゾンでぽちっとやりました.まあこの,アレではありますが翻訳のつづき待ってます(^^
  • BBC NEWS | Entertainment | Cult author JG Ballard dies at 78

    The author of 15 novels and scores of short stories, Ballard grew up amongst the expatriate community in Shanghai. During World War II, at the age of 12, he was interned for three years in a camp run by the Japanese along with his parents and younger sister. He later moved to Britain and in the early 1960s became a full-time writer. Ballard built up a passionate readership, particularly after Empi

  • 中途半端な感想 - shinichiroinaba's blog

    ハーモニー (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション) 作者: 伊藤計劃出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/12メディア: 単行購入: 50人 クリック: 931回この商品を含むブログ (329件) を見る まだ一回通読しただけですが。 拙著『「公共性」論』において真面目に考えていなかった問題があったことに、書のおかげで気がついた。真綿でくるみこむような超管理社会ユートピアに対する反抗には、よき公民からの「市民的抵抗」のみならず非行少年からの「理由なき反抗」もあるということ。後期J・G・バラードのテーマですか。宇野常寛君に「セックスやバイオレンスの話がない」と言われたことと関係あるのかしら。(ところで宇野君ご高著ご恵投いただけませんか?) しかし山形浩生も『コンクリート・アイランド』の解説で述べているとおり、この時期のバラードが何となく失速している感じがするのも事実なんだな。

    中途半端な感想 - shinichiroinaba's blog
    optical_frog
    optical_frog 2009/04/19
    (伊藤計劃『ハーモニー』)
  • Amazon.co.jp: Usurper of the Sun (Novel): Nojiri, Housuke: 本

    Amazon.co.jp: Usurper of the Sun (Novel): Nojiri, Housuke: 本
    optical_frog
    optical_frog 2009/04/17
    野尻抱介(尻P),『太陽の簒奪者』(英語版);商業的な英訳はこれがはじめてとのこと.
  • Sync Future | 早川書房『S-Fマガジン』50周年記念アートブック

    2010年11月26日(金曜)よりパナソニックセンター大阪にて、アートブック『Sync Future』に収録されているイラスト作品を3D化した「3Dアート」を、館内の3Dビエラで上映致します。 期間: 11月26日(金曜日)~12月5日(日曜日) パナソニックセンター大阪 入場無料 開館時間:10:00~18:00 休館日 :水曜日(但し、祝日は開館)、年末年始 住所  :〒540-6201 大 …

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    optical_frog 2009/03/20
    『SFマガジン』50周年企画
  • 2009-02-21

    もしも、ソ連が、崩壊しなかったら? もしも、大震災が、東京湾で起きていたら? もしも、地球温暖化が、ずっと急速に進んでいたら? もしも、ネットやケータイのかわりに、乗用ロボットが普及していたら!? 機体カタログ、メカニカルテクノロジー、社会背景と経済効果、犯罪と治安、軍事利用…… 究極のリアルロボットフィクション『機動警察パトレイバー』の世界を新たな視点で再構築 平成日の20年を逆照射する、“レイバー”という「終わらなかった昭和」の架空産業史! ……という個人的テーマで編集・執筆に参加しておりました昨年来の仕事が、ようやく2/24に発売のはこびとなりました! いろいろと語るに尽くせぬ紆余曲折がありまして(^^;)、残念ながら来目指していた2008年中の刊行には間に合いませんでしたが、アニメ『機動警察パトレイバー』20周年を期に、いまや「近過去」となってしまった同シリーズの世界観を現在の

    2009-02-21
    optical_frog
    optical_frog 2009/02/28
    Σわーお
  • クルーグマン論文の不備? - himaginary’s diary

    okemosさんがクルーグマンの恒星系間貿易理論を訳され、大変な人気を集めている。小生も拝読したが、確かに面白い。だが同時に、第一、第二の基定理のどちらもちょっと違うのではないか、という気がした。ネタニマジレスカコワルイ、と言われそうだが、人も「バカバカしい対象についての真剣な分析」と冒頭で宣言しているので、敢えて以下に異論を書き連ねてみる。 恒星系間貿易の第二基定理の不備 惑星内貿易でも成立していない クルーグマンは債券投資と貿易の裁定を考え、そこから債券利子率がトランターと地球で平準化するとしている。しかし、今の地球上の貿易において、そうした現象は見られない。恒星系間貿易だけでそうした平準化が成立する理由は無い。 リスクプレミアムを考慮していない 債券投資と貿易の裁定を考えることの最大の問題点は、リスクプレミアムを考慮していないことにある。株式会社の起源がオランダ東インド会社であ

    クルーグマン論文の不備? - himaginary’s diary
    optical_frog
    optical_frog 2009/01/10
    (オトナの真面目な遊びカコイイ)
  • クルーグマン:恒星系間貿易の理論 - P.E.S.

    このブログのタイトルは、政治(Politics)、経済学(Economics)、そしてSF(Science Fiction)という、おれの興味のある分野のそれぞれの頭文字から取ってるのですが、残念ながらプロフィールにも書いたように、これまでSFについて書くことはあまりありませんでした。それなのに、ついに経済学SFタグを同時に使える日が来ようとは!クルーグマン、ありがとう! というわけで、またまたクルーグマンの論文、それも彼の専門の貿易分野についてのものです。かなり前から訳そう訳そうと思っていながらぐずぐずしていたのですが、もうそろそろ忙しくなりそうなのでその前に訳してすっきりしておくことにしました。そもそもこれを訳そうと思ったのはこれが国際貿易ではなくて恒星系間、つまり異なる太陽系間での貿易についての論文だからです。この手のものではアシモフのチオチモリンが有名ですが、論文の形式についてだ

    クルーグマン:恒星系間貿易の理論 - P.E.S.
  • 野尻ボード

  • 青少年SFファン活動小史(1)

  • PC

    アップル最新OSガイド iPhoneの「CarPlay」で車のナビや音楽を操作、エンジン始動に対応した車種も 2024.03.08

    PC
  • もう、“未来”じゃない - [間歇日記]世界Aの始末書

    ▼Obama: 'This is your victory' (CNN.com) http://www.cnn.com/2008/POLITICS/11/04/election.president/index.html (CNN) -- Barack Obama told supporters that "change has come to America" as he claimed victory in a historic presidential election. "The road ahead will be long. Our climb will be steep. We may not get there in one year or even one term, but America -- I have never been more hopeful than I

    もう、“未来”じゃない - [間歇日記]世界Aの始末書