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thread - GDP and Social Tradeoffに関するoptical_frogのブックマーク (17)

  • oさんのコメントより - shinichiroinaba's blog

    盛りだくさんだったので、 http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080907#c1220772704 から適当に編集します。 *「GDPを増大してパイを拡大すれば、その後に何らかの再分配策によって、全員の状態を改善できる、つまりパレート改善できる」? →できない! 批判1; 生産インセンティヴの問題を考慮すれば、成長策を行った後に自由に再分配を行えるというロジックは成立しない――功利主義的な政策はGDPの最大化を実現させるが、その後で、功利主義とは異なる再分配政策を行う事は、人々の生産インセンティヴを変更させる事によって、そもそものGDP最大化の目的遂行を不可能にする。したがって、「成長政策の後に自由な再分配を」というシナリオは実行不可能である。 批判2; そもそも「GDPの拡大は当にパレート改善を含意するのか」? →カルドアの「仮説的補償原理」

    oさんのコメントより - shinichiroinaba's blog
  • 財政負担と経済成長(追記あり) - 研究メモ

    http://d.hatena.ne.jp/svnseeds/20080906/p1 svnseeds氏の推論について。id:mojimoji氏の当初の問題意識からはかなり離れるのかもしれないが。 ●まずは、(※)税収が減少していく中、必要な政府支出を賄うために、「富裕層」への課税がどんどん強化されることになるでしょう ●その結果、縮小する経済と重税のため、「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」を消費できる「富裕層」はほとんどいなくなるでしょう ●同時に「あればうれしいがなくてもいいぜいたく品」を生産する産業も(輸出向けを除き)その規模を減少させていくでしょう ●「富裕層」がほとんどいなくなりましたが、「基的ニーズの分野が満たされた社会」の維持は必要なため、税収は必要です。そのため、いなくなった「富裕層」のすぐ下の階層の人々を新たに「富裕層」と定義し、重い税を課すことにします ●(※

    財政負担と経済成長(追記あり) - 研究メモ
  • 終了してない(4) - shinichiroinaba's blog

    新学期が始まり報告の日程も決まり〆切も設定されて英作文に戻ったから当方もヲチ態勢に移行……というのは無責任にすぎるか。 ミクロがご専門のtazuma氏の感想; もしもすでに経済がフロンティアの上にあって、成長と平等がトレードオフの関係になっていれば、前者により近い価値観を持つ人と、後者により近い価値観を持つ人は、複数の政策(一方は成長を重視、一方は平等を重視)を比較する際に絶対に合意することがない。あとは政治的闘争。 ただしそうでないならば、win-winの政策が存在する可能性がある。この場合は異なる価値観を持った者の間の政策的論議が可能になる。典型的な議論の形式は「お前の価値観に従ったとしても、俺の政策の方がおまえの提案する政策よりよい。」という形をとる。例えば成長したほうが結果的には貧困層にもよい(トリックル・ダウン)とか、成長したほうが政治的な制約がきつくならないので再分配政策がとり

    終了してない(4) - shinichiroinaba's blog
  • [PDF] 権丈善一「勿凝学問172:積極的社会保障政策という景気対策」

    optical_frog
    optical_frog 2008/09/07
    例のGDP論争(?)に関連づけて読んでみるとよさそう.
  • GDP論争 - Essay, dated.

    をid:svnseeds氏のリンクから読む。ざっと最初の方の記事だけ目を通したけど、これは結構シンプルな話なんじゃないかな。 つまり、 1.GDPは分配の問題を捨象している。だから、GDPのみを見ることは特定の価値観(社会厚生関数)を前提していることに限りなく近い。*1要するに元記事はGDPを強調しすぎることへの、イデオロギー批判。 これでまとめとしては大体終わってると思うけど、続けてコメントすると 2.だから社会の厚生を量る仕方には複数ある。例えば大雑把な話だが、一方には全員の富を足してそれを見てればいいという立場があって、一方には最貧の個人の富の絶対的水準のみを見るべきだとする立場があると考えることが出来る。もちろん現実には、それぞれの個人の価値観は、その極端な立場のグラデーションのどこかに位置する。*2 3.もしもすでに経済がフロンティアの上にあって、成長と平等がトレードオフの関係に

    GDP論争 - Essay, dated.
  • 稼働率も税収も関係ない、しかし。 - モジモジ君の日記。みたいな。

    svnseedsさんが「あーなるほど」と書いてらっしゃるのですが、次の主張にも僕は同意しませんので、やはり溝は埋まっていません。 それとあわせて、僕の先日のエントリにおける「まずは経済成長、次に福祉を含めた諸々の政策」という僕の主張は、「現在の日の経済状況においては」という限定を付けるよう訂正します。 この点を説明しますが、その前に。「全面的に非を認めます」風なスタンスに限らず、強硬なものであれ宥和的なものであれ、論者のその都度の態度とは区別したものとして、議論は議論として、見ていただければ、と思います。 稼働率の問題は関係がありません 次のように考えてください。稼働率の低い経済αがあります。そのαに、基財への支出を強化するよう再分配を組み込んだ別の経済(やはり稼働率は低い)α’があります。僕は、稼働率を引き上げるための政策を実施する前にαをα’にしてください、と主張しています。 αの

    稼働率も税収も関係ない、しかし。 - モジモジ君の日記。みたいな。
  • あーなるほど。 - svnseeds’ ghoti!

    mojimojiさんからお返事いただいた。ありがとうございます。以下返答を試みます。 まずはやっぱり誤読があったようで大変失礼いたしました。読解力なくてどうもすみません。 mojimojiさんの僕のエントリへのブックマークコメント、松尾先生からいただいたコメント(いつもありがとうございます。お手数おかけしてすみません)、稲葉さんの一連のエントリ(0、1、2、3)、および稲葉さんのところでのOさんの一連のコメントを読んで、やっと僕が何を勘違いしていたのかがわかりました。 特に、mojimojiさんが参考として挙げられた、次のOさんのコメントは大変有益でした(勝手に引用させていただきますが、問題があればご指摘下さい)。 GDP概念が強力なツールである事は言うまでもないですが、それだけで事足りるのであれば、社会厚生関数についてのサミュエルソンたちのような議論が出てくる必要も無かったわけで、じゃあ

    あーなるほど。 - svnseeds’ ghoti!
  • 終了してない(3) - shinichiroinaba's blog

    ここで問題としたいのは「そもそもGDPとは社会的選択の対象となるようなものか?」ということです。そもそもGDPはいったい何の指標であるのか? が大変気になっております。 ミクロ的な見方を徹底すれば、GDPとは結局、社会的選択の対象、評価と選択の対象となるべきものでさえないでしょう。それは単純に名目的な数字です。現実社会でならともかく、理想的な情報の流通がなされている世界を想定するならば、社会厚生関数には素直に「所得分配プロフィール」だのあるいは「寿命プロフィール」とか「識字プロフィール」を入れれば済む話でしょう。あるいは個別の財・サービスがどれくらい生産されるのか、を考えれば済む。 ぼくが気にしている「マクロ経済固有の水準」とは、そのような結果レベルのことではありません。「潜在GDP」とか「GDPギャップ」「失業率」とかいった数字の背後に隠れているもの、つまりは潜在的な生産力水準と、その稼

    終了してない(3) - shinichiroinaba's blog
  • 終了してない(2) - shinichiroinaba's blog

    承前http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080904/p2 それでは「こうした社会的選択理論の使いどころはどこであり、その前提は何か」について少し考えさせてください。 ここで社会的選択理論が考える、社会的な状態、更にはその基礎になっていると思しき、個人レベルでの厚生水準等々は、ロバート・ノージックが功利主義やジョン・ロールズの思考を批判していったところの「結果状態原理」なる形容に言い当てられているように、ある種の「結果」として考えるべきものでしょう。結果的に、どの程度のGDPが実現されたのか、どの程度の識字率が実現されたのか、乳幼児死亡率はどうなったのか、どのような(税引き後)所得分配が達成されたのか、更に細かく言えば、どの産業部門でどの程度の生産実績が上がったのか、どの湖の水質基準はどのような数値に終わったのか、等々が、評価され、選択の対象とさ

    終了してない(2) - shinichiroinaba's blog
  • 終了してない(1) - shinichiroinaba's blog

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080904/p1 論争はディベートにはならずに無秩序に広がりながらそれぞれに論点を深めたり増やしたりしていけばいいと思います。 まず、mojimoji氏も肯定的に触れている拙ブログへのoさんのコメントに従って、もう一度mojimoji氏の問題意識について復習します。 山形さんの「GDP 概念やその比較を否定するのは愚かなことだよ」という主張はもちろん、その通りなのだけど、Mojimojiさんの議論はGDP指標を否定するものではなく、単にGDP指標によっては比較不可能な社会的選択問題がある事を強調しているだけですから、これも議論が噛み合っていません。 GDP 概念が強力なツールである事は言うまでもないですが、それだけで事足りるのであれば、社会厚生関数についてのサミュエルソンたちのような議論が出てくる必要も無かったわけで、じゃ

    終了してない(1) - shinichiroinaba's blog
  • マクロをミクロに見てみれば - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「例のGDP云々の件」@svnseeds’ ghoti! もう、これ以上驚きはしないけれど、とりあえず、ここのまとめには同意しません。稲葉氏のブログに書き込まれた次のコメントと読み比べてみれば、ズレがどのへんにあるのか分かるかもしれません。ご参考までに。>o氏のコメント それを踏まえて、svnsseedsさんの記述について、幾つかお答えしておきます。 ひとつめ 「ひとつめ」とされている部分については、まず、僕の議論の要約が全然違いますので、そこで既にアウトです。o氏のコメントを読んでください。 ふたつめのその1 「ふたつめ」。「mojimojiの主張が非現実的である」と考える1つめの理由について。 ここの議論も、価値判断の問題を無自覚に持ち込んでいます。いわゆる「生産性」についての議論。svnseeds氏は、次のようなことを書いてますね。 1. 『「福祉社会」のコアとなる産業』は労働集約的

    マクロをミクロに見てみれば - モジモジ君のブログ。みたいな。
  • 終了 - shinichiroinaba's blog

    http://cruel.org/other/gdp.html http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080903/p1 終了。つまんないと言えばつまんないけど、変に盛り上げて馬鹿にエサをやらないという意味ではよいかもしれません。 反省と気になったことを少し。 mojimoji氏へ。「論点ずらしの感」ではなく「論点ずらし」ときちんと言えばよかったですね。それについてはすみませんでした。しかし「非同一性問題」にはご興味がない、と。感性の違い、といえばそれまででしょうが、それが疑似問題である可能性まで含めて、相当に面白いし重要な問題だと思いますが……まあ皆さんそれぞれ時間が有限ですから、しかたありません。人はあらゆる問題に関心を持つことはできないし、関心を持った問題すべてについてさえ、きちんとフォローし続けることができないわけですから、ないものねだりはよしとしましょ

    終了 - shinichiroinaba's blog
  • 例のGDP云々の件 - svnseeds’ ghoti!

    時系列で並べるとこんな感じ?TrackBack代わりにリストしてみる。 GDP概念の使い方、mojimojiさん 最近は経済学を勉強していないんだってば、稲葉さん GDP というものの考え方について、山形さん GDP概念の使い方、その2、mojimojiさん GDPをめぐる論争(がこれから始まるのかもしれない)について、稲葉さん GDP(?)論争のガイドラインなんか立て(られ)ないよ、稲葉さん で、まあ稲葉さんも書いてる通り、mojimojiさんと山形さん、両者の間にはほとんど埋めがたい溝があるので、ここではただの感想を書くことにする。たぶん根的に両者が理解し合えることはないだろうし、その必要もないだろうと僕は思う。 なお、ここを読んでくれている奇特な方のほとんどは既にご存知と思うけれども、僕は立ち位置としては山形さん寄りなんで、そういうバイアスがかかった感想であることを予め表明しておく

    例のGDP云々の件 - svnseeds’ ghoti!
    optical_frog
    optical_frog 2008/09/04
    一連の「GDPの使い方」論議についてのありがたいまとめ.|ニセ問題だったという松尾先生のコメントは重要かも
  • GDP(?)論争のガイドラインなんか立て(られ)ないよ - shinichiroinaba's blog

    でも一応コメントしますと、論争をウォッチしたい人ははてなブックマークなんか見てても多分無駄(非生産的なヤジとネガコメしかつかないよ)なので、いちごびびえす経済板の「ブログ界隈」スレあたりをご覧になるとよいと思います。ただしそれなりの用意と覚悟のない方は書きこまず、基ヲチに徹してください。(当たり前のことですが、やるなとは申しませんが、情報操作とか工作なんて高等戦術は、それなりの見識がないとできません。)2chの「はてな村ウヨサヨヲチスレ」では既に関心はよそにずれているようで、あまり役には立たないでしょう。 論点のうちかなりの部分は、以前『所有と国家のゆくえ』感想戦(http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060904/p3、http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060905/p1)の反復になると思います。な

    GDP(?)論争のガイドラインなんか立て(られ)ないよ - shinichiroinaba's blog
  • GDP概念の使い方、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    憧れの山形浩生さんに反応してもらったよっ!>「GDP というものの考え方について」 ワクワクしすぎて仕事が手につかないので、先にこちらを終わらせちゃうことにします。 僕はどのような議論を批判しようとしたのか 先に、「GDP概念の使い方」において、僕がどのようなタイプの議論を念頭においていたかを書いておきます。 A 医療や介護、あと教育に対する政府支出は十分ではないよ。もちろん、生活保護などの所得保障も十分ではない。課税を強化してでも、そうした基的なニーズを満たすための支出をしっかりすべきだよ。 B いやいや、君の気持ちもわかるけど、そういう政策は経済成長に悪い影響を与えるから、注意しなければいけないね。やるなとは言わないけれど、少なくとも、まずはマクロ経済の回復を待ってから取り組むべきだよ。それが大前提。 A なるほど、そうなのかー この手の議論はあちこちにあります。たとえば、今回の山形

    GDP概念の使い方、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    optical_frog
    optical_frog 2008/09/03
    トレードオフの社会的な選択|うーん,たとえばこんな話に近いのでしょうか?:クルーグマン「フランス流,家族の価値」(http://d.hatena.ne.jp/optical_frog/20080130/1201653010)
  • GDPをめぐる論争(がこれから始まるのかもしれない)について - shinichiroinaba's blog

    http://cruel.org/other/gdp.html http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080901/p1 このままいけばぼくの疑問への答えも間接的に出てくるはずなのでここでぼくも矢野さんに倣って「俗事は任せる」、いや火の粉をこっちに飛ばさないでねと高みの見物を決め込みたいところだが、今の時点で気付いたことをメモ。 *おそらくは「前提」についての考え方がどうにもならないほどmojimoji氏(名存じあげてるけどとりあえず)と山形氏(そしてぼく)との間ではい違っている。 山形氏の考えるところでは、少なくとも短期的には潜在GDP、社会の生産力水準はどうしようもない所与であり、その前提の下でできる範囲のことをしよう、ということになる。できる範囲のこと、とは、まずはその完全雇用(マクロ政策目標)であり、その上でその再分配等々(ミクロ政策目標)ということ

    GDPをめぐる論争(がこれから始まるのかもしれない)について - shinichiroinaba's blog
  • GDP というものの考え方について

    GDP というものの考え方について 山形浩生 (2008-08-30) 追記を先に (2008-09-03) 稲葉大人がいろいろコメントをしているんだが、ぼくは実務屋なので、話をでかくしたほうが市が栄えていい的な学者的発想には与しないのだ。ぼくの議論がパーフィットの議論と似ている――それはつまりワタクシがパーフィット並にえらいということでしょうか? えへへ、照れるぜ。でも、パーフィットの名前を出すことで議論に資する部分はまったくないと思うの。技術論で片付くことは技術論で片付けるべきだと思う。その意味で、下の文の後半で話をでかいほうに持って行ったのは失敗だったかもしれない。ぼくは 1970 年と 2008 年のGDP をそのまま比べることには十分意味があると言うのが主眼だ。そしてそれがもじもじの目的に合わないからといって、GDP 概念やその比較を否定するのは愚かなことでだよ、と言うことが理

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