http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080904/p1 論争はディベートにはならずに無秩序に広がりながらそれぞれに論点を深めたり増やしたりしていけばいいと思います。 まず、mojimoji氏も肯定的に触れている拙ブログへのoさんのコメントに従って、もう一度mojimoji氏の問題意識について復習します。 山形さんの「GDP 概念やその比較を否定するのは愚かなことだよ」という主張はもちろん、その通りなのだけど、Mojimojiさんの議論はGDP指標を否定するものではなく、単にGDP指標によっては比較不可能な社会的選択問題がある事を強調しているだけですから、これも議論が噛み合っていません。 GDP 概念が強力なツールである事は言うまでもないですが、それだけで事足りるのであれば、社会厚生関数についてのサミュエルソンたちのような議論が出てくる必要も無かったわけで、じゃ
「例のGDP云々の件」@svnseeds’ ghoti! もう、これ以上驚きはしないけれど、とりあえず、ここのまとめには同意しません。稲葉氏のブログに書き込まれた次のコメントと読み比べてみれば、ズレがどのへんにあるのか分かるかもしれません。ご参考までに。>o氏のコメント それを踏まえて、svnsseedsさんの記述について、幾つかお答えしておきます。 ひとつめ 「ひとつめ」とされている部分については、まず、僕の議論の要約が全然違いますので、そこで既にアウトです。o氏のコメントを読んでください。 ふたつめのその1 「ふたつめ」。「mojimojiの主張が非現実的である」と考える1つめの理由について。 ここの議論も、価値判断の問題を無自覚に持ち込んでいます。いわゆる「生産性」についての議論。svnseeds氏は、次のようなことを書いてますね。 1. 『「福祉社会」のコアとなる産業』は労働集約的
http://cruel.org/other/gdp.html http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080903/p1 終了。つまんないと言えばつまんないけど、変に盛り上げて馬鹿にエサをやらないという意味ではよいかもしれません。 反省と気になったことを少し。 mojimoji氏へ。「論点ずらしの感」ではなく「論点ずらし」ときちんと言えばよかったですね。それについてはすみませんでした。しかし「非同一性問題」にはご興味がない、と。感性の違い、といえばそれまででしょうが、それが疑似問題である可能性まで含めて、相当に面白いし重要な問題だと思いますが……まあ皆さんそれぞれ時間が有限ですから、しかたありません。人はあらゆる問題に関心を持つことはできないし、関心を持った問題すべてについてさえ、きちんとフォローし続けることができないわけですから、ないものねだりはよしとしましょ
時系列で並べるとこんな感じ?TrackBack代わりにリストしてみる。 GDP概念の使い方、mojimojiさん 最近は経済学を勉強していないんだってば、稲葉さん GDP というものの考え方について、山形さん GDP概念の使い方、その2、mojimojiさん GDPをめぐる論争(がこれから始まるのかもしれない)について、稲葉さん GDP(?)論争のガイドラインなんか立て(られ)ないよ、稲葉さん で、まあ稲葉さんも書いてる通り、mojimojiさんと山形さん、両者の間にはほとんど埋めがたい溝があるので、ここではただの感想を書くことにする。たぶん根本的に両者が理解し合えることはないだろうし、その必要もないだろうと僕は思う。 なお、ここを読んでくれている奇特な方のほとんどは既にご存知と思うけれども、僕は立ち位置としては山形さん寄りなんで、そういうバイアスがかかった感想であることを予め表明しておく
でも一応コメントしますと、論争をウォッチしたい人ははてなブックマークなんか見てても多分無駄(非生産的なヤジとネガコメしかつかないよ)なので、いちごびびえす経済板の「ブログ界隈」スレあたりをご覧になるとよいと思います。ただしそれなりの用意と覚悟のない方は書きこまず、基本ヲチに徹してください。(当たり前のことですが、やるなとは申しませんが、情報操作とか工作なんて高等戦術は、それなりの見識がないとできません。)2chの「はてな村ウヨサヨヲチスレ」では既に関心はよそにずれているようで、あまり役には立たないでしょう。 論点のうちかなりの部分は、以前『所有と国家のゆくえ』感想戦(http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060904/p3、http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060905/p1)の反復になると思います。な
憧れの山形浩生さんに反応してもらったよっ!>「GDP というものの考え方について」 ワクワクしすぎて仕事が手につかないので、先にこちらを終わらせちゃうことにします。 僕はどのような議論を批判しようとしたのか 先に、「GDP概念の使い方」において、僕がどのようなタイプの議論を念頭においていたかを書いておきます。 A 医療や介護、あと教育に対する政府支出は十分ではないよ。もちろん、生活保護などの所得保障も十分ではない。課税を強化してでも、そうした基本的なニーズを満たすための支出をしっかりすべきだよ。 B いやいや、君の気持ちもわかるけど、そういう政策は経済成長に悪い影響を与えるから、注意しなければいけないね。やるなとは言わないけれど、少なくとも、まずはマクロ経済の回復を待ってから取り組むべきだよ。それが大前提。 A なるほど、そうなのかー この手の議論はあちこちにあります。たとえば、今回の山形
GDP というものの考え方について 山形浩生 (2008-08-30) 追記を先に (2008-09-03) 稲葉大人がいろいろコメントをしているんだが、ぼくは実務屋なので、話をでかくしたほうが市が栄えていい的な学者的発想には与しないのだ。ぼくの議論がパーフィットの議論と似ている――それはつまりワタクシがパーフィット並にえらいということでしょうか? えへへ、照れるぜ。でも、パーフィットの名前を出すことで議論に資する部分はまったくないと思うの。技術論で片付くことは技術論で片付けるべきだと思う。その意味で、下の本文の後半で話をでかいほうに持って行ったのは失敗だったかもしれない。ぼくは 1970 年と 2008 年のGDP をそのまま比べることには十分意味があると言うのが主眼だ。そしてそれがもじもじの目的に合わないからといって、GDP 概念やその比較を否定するのは愚かなことでだよ、と言うことが理
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く