ロシアが旧ソ連時代の1940年、ポーランドの将校ら2万2000人以上を殺害した「カチンの森の虐殺」の事実を否定しはじめた。今般のウクライナ侵攻でロシアの戦争犯罪が非難されるなか、自国の負の歴史を書き換える意図がある。(カチンで、小柳悠志)
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高齢の「諸民族の指導者」の影武者を務めたのは24歳のダゲスタン人だった。そして誰からも疑われなかった。 ダゲスタンのある村出身の若き青年フェリクス・ダダエフが正式な替え玉となる以前から、スターリンには3人の影武者がいた。替え玉を見つけることは、1920年代からすでにクレムリンの警護を指揮していたニコライ・ヴラシク将軍が提案していた。警護担当者らは、スターリンには敵が多すぎ、労働者の会合に赴くのは危険だと考えたからだ。 この判断は正しかった。最初の影武者、コーカサス出身のラシドフは、彼の車列が赤の広場を通過する際に爆弾で吹き飛ばされてしまった。だがダダエフの経歴はさらにすごい。第一に、彼は55年間事実を隠し、家族にも真実を語っていなかった。第二に、彼はまだ生きている。現在なんと100歳だ。 戦死扱い ダダエフは1920年に生まれたダゲスタンの高地にあるカジ・クムフ村で生まれた。幼い頃から牧人
ロシアのプーチン大統領は、第2次世界大戦が終結した日について、当時のソビエトが対日戦勝記念日として祝っていた9月3日に変更することを盛り込んだ法案に署名しました。 戦争で日本に勝利したことが強調され、北方領土の引き渡しに反対する世論が一層高まる可能性もあります。 しかし、軍やサハリン州出身の下院議員などは、ソビエト時代に対日戦勝記念日として祝日にもなっていた9月3日に変更することを盛り込んだ法案を議会に提出し、今月17日までに上下両院で可決されました。 提案理由は、「愛国的な伝統を強化し、歴史の記憶を保持するため」などとされ、プーチン大統領は24日、法案に署名しました。 終戦から75年となる中、戦勝国としての立場を一層誇示し、国民の愛国心を高めるねらいがあるとみられます。 9月3日を「抗日戦争勝利記念日」と定める中国と歩調を合わせる形となり、戦争で日本に勝利したことが強調され、北方領土の引
という論文がNBERに上がっている(ungated版はこちら)。原題は「Was Stalin Necessary for Russia's Economic Development?」で、著者はAnton Cheremukhin(ダラス連銀)、Mikhail Golosov(プリンストン大)、Sergei Guriev(ロシア・ニュー・エコノミック・スクール)、Aleh Tsyvinski(イェール大)。 以下はその要旨。 This paper studies structural transformation of Soviet Russia in 1928-1940 from an agrarian to an industrial economy through the lens of a two-sector neoclassical growth model. We constr
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