2007年09月10日13:45 カテゴリCode 司法とメタ司法 光市の事件に対する弁護団の対応と、取り調べ可視化に対する検察の対応に共通していえること。それは現場が周りに無頓着に現場でベストを尽くそうとすると、次の現場でかえって不利になるのではないか、ということ。 例えば光市の事件の場合、ここで弁護団が世間の逆風にも負けず、被告人のために有利な判決を今回も勝ち取ったとする。その場合、立法府はその結果を放置するだろうか、いや、もう少し正確に言うと、その結果を放置することを、有権者は放置するだろうか。 実際には、同様の事件が起こったら、より被告人に不利な判決が下るような法を制定させてしまうのではないだろうか。実際、そういう流れになりつつある。 取り調べ可視化に対する検察の反応も同様。これに限らず検察に対し何らかの改革の声が上がると、脊髄反射のスピードで「日本では時期尚早」だという声を彼らは