植田氏が東京大学を卒業してゴールドマン・サックス証券の東京支店に入社したのはバブル経済の崩壊が始まった1991年。外国債券のトレーディングに従事した後、ニューヨークで米国債を担当。帰国後、2009年には債券・為替・コモディティ部門の共同責任者に就任し、12年からは同証券のアジア太平洋地域の共同統括責任者を務めた。 マネックスグループの松本大社長はゴールドマン時代に直属の部下だった植田氏を「すごい頑張り屋」で、調査分析に熱心なトレーダーだったと振り返る。ニューヨークでの米国債担当はさまざまな投資家と渡り合わなくてはならない「大きなチャレンジ」だったが、やり遂げて周囲の評価を勝ち取ったという。植田氏には自分の限界をわきまえ、知らないことは他者の意見に耳を傾ける面もあったと述べた。 GPIFは今年度から使用する新たな資産構成の目標値で外国債券の割合を従来の15%から25%に引き上げた。昨年末時点