25年前、私は「ナショナル・インタレスト」という小さな雑誌に「The End of History?(歴史の終わり?)」と題する論文を書いた。時は1989年春。それまで冷戦について大きな政治論争、イデオロギー論争に夢中になっていた私たちにとって、それは信じられないような瞬間だった。論文が掲載されたのはベルリンの壁が崩壊する数カ月前のことで、北京の天安門広場でちょうど民主化を求める抗議運動が起きていたころだ。東欧、ラテンアメリカ、アジア、サハラ以南のアフリカでは民主主義への移行の波が起きていた。 当時私は、(大きな哲学的な意味での)歴史が左派の思想家の想像とは大きく異なる方向に進んでいると主張した。経済と政治の近代化を進めた結果、行き着いたのはマルクス主義者やソ連が主張していたような共産主義ではなく、ある種のリベラルな民主主義と市場経済だった。私はこう書いた。歴史は最終的に自由、つまり選挙
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