沖縄県読谷村にあったメースBの発射基地。ミサイルが8基あり、キューバ危機当時、発射可能な状態にあった(元米空軍兵のデニス・フィッツシモンズ氏提供) 冷戦下の一九六二年、米ソが全面戦争の瀬戸際に至ったキューバ危機の際、米軍内でソ連極東地域などを標的とする沖縄のミサイル部隊に核攻撃命令が誤って出され、現場の発射指揮官の判断で発射が回避されていたことが十四日、同部隊の元技師らの証言で分かった。 キューバ危機で、核戦争寸前の事態が沖縄でもあったことが明らかになったのは初めて。ミサイルは、核搭載の地対地巡航ミサイル「メースB」で、六二年初めに米国施政下の沖縄に配備された。運用した米空軍第八七三戦術ミサイル中隊の元技師ジョン・ボードン氏(73)=ペンシルベニア州ブレイクスリー=が証言した。別の元米兵も取材に応じ、誤った発射命令が出たことを認めた。