学界では「ケインジアン」と「マネタリスト」が退屈な言い争いを続けている。 しかし彼らはどちらも政府介入を様々な点で容認する 点で誤っている。よく「リバタリアン」として扱われるミルトン・フリードマンは「リバタリアン」ではない。真のリバタリアンの立場ならば「ミルトン・フ リードマンは、ジョン・メイナード・ケインズと同様に社会主義者だ」と主張しなければならない。 もしこの淀んだ沼地から抜け出して高みへと至りたいのであれば、我々はオーストリア学派経済学とリバタリアニズムを学ばなければならない。首尾一貫したリバタリアニズム理論はオーストリア学派経済学の理解なしでは築くことはできないと思われる。 確かに、リバタリアニズムは「殺すな」「盗むな」といったあらゆる集団に共通の道徳を基礎に持つ政治哲学だ。しかし、これだけでは政府の強制に抵抗する十 分な地盤とはならない。脆い基礎は簡単に乗っ取られる。しかし、正