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2009年11月25日のブックマーク (6件)

  • ピュシスの贈り物 - 内田樹の研究室

    東京ツァー中。 大学での会議を終えて、ばたばたと新幹線に乗って東京は飯田橋の角川書店へ。 中沢新一さんとの対談シリーズの3回目。 「くくのち学舎」のキックオフイベント、神戸女学院大学の大学祭でのトークセッションに続いての短期集中おしゃべり企画。 新幹線車中で、中沢さんの最新作『純粋な自然の贈与』を読む。 じつにわかりやすい、よいである。 「交換と贈与」という古典的な人類学のテーマが、(重農主義の再評価という)新しい視点から論じられている。 商業というのは質的に等価交換であり、そこからは何も富は生み出されない。重農主義者たちはそう考えた。 「『純粋の商業は・・・等しい価値と価値との交換にすぎず、これらの価値にかんしては、契約者どうしの間には、損失も儲けもない。』なぜなら、『交換は何ものをも生産せず、つねにひとつの価値と等しい価値の富との交換があるだけで、その結果真の富の増加はありえない』

  • どうして日本軍は真珠湾を攻撃したのか - 内田樹の研究室

    朝日新聞のイシカワ記者が取材に来る。 真珠湾攻撃について歴史的検証を行うという趣向である。 朝日新聞と日経済新聞には、前に原稿にアヤをつけられて「二度と書きません」と啖呵を切ったはずなのだが、違う部署の知らない記者から寄稿を頼まれると、因縁があったことをころりと忘れて「はいはい」と即答してしまう。 原稿を書いたあとになって「あ、いけね。朝日と日経には書かないことにしてたんだ」と思い出す、ということを何度か繰り返している。 困ったものである。 朝日と日経に書かないことにしたのは、この二紙のデスクが私の原稿に「書き直し」を要求したからである。 朝日は原稿を送る前に「社の方針に合わない内容なら書き直しを要求します」と言われた。日経は原稿を送ったあとに「・・・である」という断定を「・・・であると思う」(だか「・・・だと言われている」)に直せと言われた。 私はべつに両紙の社説を書いているわけではな

    philoyuky
    philoyuky 2009/11/25
    総選挙のときに「皇国の興廃-」ってのを聞いたときは苦笑したなぁ。
  • 三島忌 - Arisanのノート

    11月25日は三島由紀夫の命日、つまりいわゆる「三島事件」のあった日である(1970年)。 ぼくはこの事件のとき、もちろんまだ子供だったが、当時フジテレビの「3時のあなた」という人気のワイドショー番組があり、学校から帰宅すると、事件のことを緊急特番的まに報じていたのを、忘れない(しかし、もっと後の時間だったかも知れない。番組が延長されていたのか?)。 三島については、名前は何となく知っていたようである。 そして、それ以外の記憶というのはないのだが、ただ一つの強い印象としてあるのは、この事件が、その後長い間社会の全体か、少なくともある人たちの間に、何か重しのようなものを残したらしい、という感じである。 それは、テレビや雑誌や新聞などの情報に接していて、そんな感じを持ったのであろう。 だが最近、この事件に関して語られていることを読むと、当時の雰囲気が忘れられた、なかったことになされてしまってる

    三島忌 - Arisanのノート
  • 強制連行被害者、追悼式典に - Apeman’s diary

    asahi.com 2009年11月22日 強制連行された中国人男性、64年ぶりに大阪へ(魚拓) 第2次大戦中、中国大陸から大阪港に強制連行され、過酷な荷役労働を強いられた常保貴さん(85)=河南省原陽県=が21日、大阪市港区の天保山公園内の追悼記念碑前で開かれた式典に参列した。64年ぶりに来日した常さんは「二度と苦しみを繰り返さないで」と話した。 外務省作成の報告書によると、戦時中、大阪港では1千人余りの中国人が強制労働させられ、86人が病や空襲などで死亡した。同公園周辺には当時、中国人労働者が働かされた港湾施設や収容所が数多くあり、11年前から市民団体が追悼会を毎年開いている。 (中略) 敗戦3カ月後に帰国したが、賃金は受け取れなかった。過酷な労働のために腰が曲がり、戦後も後遺症に悩まされた常さんは「古里の土を踏めなかった仲間たちを思えば、まだ幸せだ。今の日人にうらみはないが、政府か

    強制連行被害者、追悼式典に - Apeman’s diary
  • なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog

    東さんは煽った。常野さんは乗った。実際に乗られてみて東さんは「煽りが軽率だった」と反省して小役人的対応をとった。東さんの対応には手続き的なレベルではさしたる問題はないが、度量の狭さを批判されてもおかしくはない。 しかしこんなことをしたところで常野さんの名が上がるわけではないし、もちろんこんなことはどちらにとっても「いらん苦労」で「勉強」「芸の肥やし」にはならないことは明らか。 何より常野さんはまず最初にやるべきこと、つまり東さんの議論とデリダの議論を突き合わせてきちんと検討する、ということを自分でしていない。「卑怯」とはいわない。その呼びかけに応じてそれっぽいことをやってくれてる人が少しは出てきたからだ。しかしせっかくそういうものが出てきたのであるから、自分でデリダと東をきちんと読みこまないまでも、援軍の人たちの議論をきちんと咀嚼して、自分なりに何かまとまったことを言うべきであった。 常野

    なんだか大人げないことをしている人たちがいるようだが - shinichiroinaba's blog
    philoyuky
    philoyuky 2009/11/25
  • 事業仕分けと新自由主義の親和性 | ツァラトゥストラはこう言っている?【日記編】

    「事業仕分け」で鳩山政権の支持率が上がったというが、これはワイドショー型の政治手法(「わかりやすい」二項対立図式)であるというだけでなく――この図式において省庁の側に逆に同情が集まる場合もあるにせよ――、その「視野(効果)の短期性」、「複雑性への適応不可能性」、「建設的なビジョンの欠如」など、新自由主義との親和性が著しく高いという点について指摘していかなければならない。 ただ、まとまったエントリーを書く時間がないため、メモだけに留めざるを得ない。 余談に近いが、私が良しとする方向性は概ね次のような方向性である。 福祉政策に関しては、ナショナル・ミニマムの保障とそれに必要な財源を増税によって確保することを私は求めるが、民主党政権はナショナル・ミニマムという点に関しては「地方分権」を謳って中央政府による責任を十分保障する姿勢が見えず、また、財源に関してはいつまででも続けることができるものであり

    事業仕分けと新自由主義の親和性 | ツァラトゥストラはこう言っている?【日記編】
    philoyuky
    philoyuky 2009/11/25
    「劇場型」ですねぇ。