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ブックマーク / www.shinchosha.co.jp (20)

  • 『手のひらの京』 綿矢りさ | 新潮社

    ――『手のひらの京』は京都に暮らす奥沢家の三姉妹を描いたひさしぶりの長篇となりますが、綿矢さんが生まれ育った京都を小説の舞台にされたのは、作が初めてでしょうか。 京都を舞台に書きたいという気持ちはずっとあったんですけど、これまではそれに合うテーマが見つからなくて、書きたい内容が特に京都を舞台にする必要がなかったので書いていませんでした。今回、京都の季節と場所を紹介しながら、ひとの心の動きを書きたいと思って、初めてこれなら書ける、と思いました。三姉妹を主人公にしたのは、いろんな性格の女の子たちを京都を舞台に書きたかったからです。 ――おっとりした長女・綾香、恋愛体質の次女・羽依(うい)、自ら人生を切り拓いていこうとする三女・凜、それぞれの目から見た京都の街がとても鮮やかに描かれています。 綾香はなかなか好きな人がみつからなくて、三十歳をすぎてすこし焦りはじめていて、羽依は逆に、自分が当は

    『手のひらの京』 綿矢りさ | 新潮社
    pho
    pho 2016/12/27
    これはちょっと気になる。
  • 新訳・復刊セレクション「村上柴田翻訳堂」|新潮社

    世の中には実にたくさんの文庫が溢れておりますが、それでも書店の棚のスペースには限りがあり、毎月押し寄せる新刊に追われるようにして、古い文庫が静かにひっそりと退場していきます。そのように姿を消していった作品の中には、「この名作が手に入らないというのは間違っているぞ」と苦情を呈したくなるものもあれば、「個人的にはけっこう好きだったんだけど、やはり生き残れなかったか」と淋しく感じてしまうものもあります。そういういくつかの作品を拾い上げ、もう一度何らかのかたちで新刊として復活させることはできないものかと、常々考えていたのですが、同じような思いを抱いていた柴田元幸さんと組んで、今回このようなシリーズを立ち上げることができました。あくまでささやかな企画ではありますが、ぼくら二人が面白く読んだを選びました。楽しんでいただければと思います。 村上春樹 これまで二十七年くらい、主として現代アメリカ小説

    新訳・復刊セレクション「村上柴田翻訳堂」|新潮社
    pho
    pho 2016/04/08
    これは面白そう
  • シリコンバレーからの手紙83―「三顧の礼」で迎えられた男

    ライトビット社は、「高速光通信を低コストで実現する基技術」(スタンフォード大の研究成果)を引っ提げ、超一流ベンチャーキャピタル二社の投資を受けて、二〇〇〇年八月に設立された。しかし創業早々、材料面での技術的な大きな壁にぶち当たり、製品化に暗雲が漂い始めた。同社CEO(最高経営責任者)は、解決策を相談するために、その道の世界的権威、マーティ・フェイヤー・スタンフォード大教授を訪ねた。教授は即座にこう言ったという。 「その難問は世界中でたぶんナカムラにしか解決できないだろう」 二〇〇一年五月のことだった。その日から「三顧の礼」電子メールが、東北大助手だった中村孝一郎(当時三十歳)宛に届き始めた。「ボルチモアの学会ですぐに会えないか」「うちを見学に来ないか」「明日からでも来てほしい」「ビザはこうしよう」「チケットはもう買ってある」矢継ぎ早の真摯な誘いに、中村の心は大きく動いた。

    pho
    pho 2010/03/17
    「その難問は世界中でたぶんナカムラにしか解決できないだろう」やっぱりこういうのがかっこいいな。
  • 松井選手の思考法 - 新書・今月の編集長便り

    最近でこそ人気にかげりが出てきたとはいえ、日人にとって野球というスポーツはやはり特別のものがあります。いつの時代にもスター選手がいて、「時代のヒーロー」として憧れの対象になり、後々まで人々の胸に刻まれる。その筆頭が長嶋茂雄、王貞治の両選手でしょう。 では現役選手の中で、そうした存在は誰か。文句なしに名前が挙がるのは、イチロー選手と松井秀喜選手ではないでしょうか。イチロー選手が「職人」的な印象であるのに対して、松井選手はどことなく「古武士」を思わせる。プレイ・スタイルも漂う雰囲気も対照的な二人ですが、ともに圧倒的な存在感があります。特に松井選手はメジャー4シーズン目の昨年5月に左手首骨折という大怪我を負い、にもかかわらず秋には見事な復活を遂げました。あの骨折のシーンと復帰戦のスタンディング・オベーションはご記憶の方も多いと思います。 新潮新書の今月刊には、その松井選手が登場します。松井選手

    松井選手の思考法 - 新書・今月の編集長便り
    pho
    pho 2008/07/17
    『「自分でコントロールできることと、できないことを分ける」という考え方。コントロールできることは最大限の努力をするが、できないことはくよくよ心配してもしょうがない。』
  • 「フェースブック」の急成長に感慨と無力感を覚える web kikaku

    の高校を出てカナダの大学に留学している学生(二十一歳)が、夏休みを利用して私を訪ねてきてくれた。私の会社宛に届くたくさんのメールの中に、彼からの訪問希望メールがあった。彼のブログを読んで、私のブログにたびたび真剣なコメントをつけてくれていた「あの彼だな」とすぐにわかり、是非会おうと返答した。私は相手が若ければ若いほど、忙しくても何とか時間を作るようにしているのだ。留学して初めて「学ぶ喜びに目覚めた」と、異国での勉強三昧の生活について目を輝かせながら話す彼との時間は、とても楽しく愉快だった。 「英語圏でネットを使うようになって、どう感じる?」 と尋ねたところ、彼は速射砲のように話しだした。 「フェースブック(Facebook)にはとにかく驚きましたよ。ここではいったい何が起きているんだろうとはじめは思った。どうして全員が、実名で、しかも実際の顔写真をネット上に載せているのかって……

    pho
    pho 2008/04/28
    やっぱり英語圏か。なんとなくしっくりきた
  • いま自らに問いかける「私自身の核」とは何か:シリコンバレーからの手紙139

    「五年以内に十二カ月から十八カ月の『サバティカル』を絶対にとる」 と一年三カ月前に書いた。サバティカルとは「研究のための長期休暇」の意味だが、この四月より、まずは「モノを書くこと」に関するサバティカルに入ることにした。業の経営コンサルティングの一環で書く仕事を除き、の執筆や雑誌への寄稿をしばらくすべて休止する。 足掛け十三年にわたって休むことなく続けてきた連載も、今号と次号で終了する。連載開始時には三十五歳だった私も四十七歳になった。人生でいちばん大切な期間を誌とともに過ごしたという思いが強く、連載には深い愛着を持って取り組んできた。しかし、もっとも大切なことをやめないと新しい展開は拓けない。そんな私の決意を、誌編集部にご理解いただけたことを感謝している。 仕事の何から何までをすべてやめる「サバティカル理想主義」を追求すると、永久にサバティカルなど取れまいとあるとき悟り、

    pho
    pho 2008/04/26
    13年続けてきたことをやめる決意
  • web kikaku

    「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」という言葉通りの経験をした。スタンフォード大学大学院(コンピュータ科学専攻)に留学が決まったR君を紹介されたのは、一昨年夏のことだったが、十五カ月ぶり(さすがに三日ぶりではないが)に再会したR君はたくましく成長していた。 開口一番「東大の大学院時代の百倍は勉強しています。課題は多いし、競争も激しく、やりがいもありますから」とR君。一年時の成績と成果物で「上位五%の学生」に与えられる優等賞を取った彼は、「大学内で目立つ活躍をしていると、グーグル、マイクロソフトから有望ベンチャーまで、いたるところから直接声がかかってくるんです。驚きました。注目されていることが大きなやりがいにつながっています」と言う。アメリカのハイテク企業の才能探索・獲得システムはプロスポーツのそれに近く、しかもそこには人種や国籍による区別はない。やればやるだけ伸びていく環境で、

    pho
    pho 2008/02/15
    急がず慌てず、今できることをする。
  • フォーサイト10月号フォーサイトスタイル

    写真のイスラエル人男性と日人女性を、誌の読者はきっと誰も知らないと思う。 Davidi Gilo(ダビディ・ギロ)。一九五八年テルアビブに生まれ、高校卒業後に入隊。約五年間の軍隊生活では歩兵としてレバノン戦争に参加。その後、渡米、カリフォルニア大学バークレー校に入学するも、一学期でドロップアウト。突如、アラスカでペンキ塗装事業を起こし小さな成功を収めるが、それには飽きたらず一念発起、シリコンバレーに戻り、独学で半導体技術を学び、八〇年代後半から次々と半導体ベンチャーを創業して株式公開した。イスラエル・ハイテク少年たちにとって憧れの英雄だ。 東《ひがし》恵美子。札幌生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒。モービル石油、マッキンゼーを経て渡米。ハーバード・ビジネススクール卒業後、「二、三年ニューヨークで働いたら面白いだろうなという軽い気持ちで」投資銀行のリーマン・ブラザーズに就職。

    pho
    pho 2008/01/23
    tenaciousness(絶対にギブアップしない執拗さ)
  • web kikaku

    ネットの進化と母国語の関係について真剣に考えなければならないなと最近つくづく思う。ネットは距離のような物理的制約を軽々と超える自由を私たちに与えてくれると同時に、あるいはそれゆえに、言語の差という難問をこれまで以上に意識させる。 物理的に日から遠い場所に住み、周囲の人びとが皆「英語で生きる」という環境に住みながらも、ネットの進化によって、母国語である日語圏が私の時間にもどんどん浸してくるようになった。よほどの覚悟がないと日語を遮断して生きるのは難しい時代なのだろう。渡米した約十三年前(ネット黎明期)は、逆によほどの理由がない限り、アメリカに住めば自然に「英語漬け」の毎日にならざるを得なかったのだから、隔世の感がある。 こちらにやってくる日の若者たち(留学生、企業駐在者とその家族、長期旅行者など)は、新しいパソコンにこれまでの環境(ソフトウェアやデータ)をまずは移し替えるように

    pho
    pho 2008/01/20
    「ネット上の日本人コミュニティの相互扶助に強く依存する人が増えた。」これは体感してみないとわかんないな
  • 梅田望夫 シリコンバレーからの手紙134 「精緻なMBAカリキュラム」“自家製”の勧め

    クライアント企業の企画部門で働く若い友人A(三十歳)から、米国ビジネススクール進学の推薦状を書いてほしいと頼まれた。日の国立大学(経済学部)を卒業してあるメーカーに入社して七年間、人の言葉を借りれば「爪に火を灯すようにして」奥さんと二人で二千万円貯金したのだという。 「そのお金を全部投資してアメリカのビジネススクールに行って、その後のキャリアを切り拓きたい」 Aは私に言った。三十歳で二千万円の貯金かあ、二十代から計画性があってたいしたものだなと感心しつつ、私は推薦状の件を喜んで引き受けた。 Aは米国トップクラスのビジネススクールを狙っているわけだが、興味が湧いたので少し調べたところ、学費を含めかかるコストが当に高いのに驚いた。会社派遣ではなく自費で行こうと思えば、たしかに二千万円の貯金が必要なのである。 たとえばスタンフォード大学の場合、キャンパス内の安い帯者用アパートに住

    pho
    pho 2008/01/20
    「独学できる力」とまとまったお金。得られる経験は違うけど、お金の方が手っ取り早い気がする。勉強道具があることと、きっちりと毎日続けることとは全然別のこと。
  • web kikaku

    二〇〇〇年八月にパシフィカファンドを共同創設した。「もう七年か」と思い始めた矢先の七月九日、嬉しい大ニュースが飛び込んできた。ファンドの投資先・ポスティーニ(Postini)社をグーグルが大きな資金を投じて買収したのである。 「インターネット検索最大手の米グーグルは九日、電子メールなどのセキュリティー対策サービスを展開するポスティーニ(カリフォルニア州)を六億二千五百万ドル(約七百七十億円)で買収すると発表した」(日経済新聞七月十日夕刊) 私たちは二〇〇一年十月十六日、同時多発テロから一カ月経過したばかりの「どん底」のとき、シリコンバレー再生を祈るような気持ちも込めて、ポスティーニに投資したのだった。当時のポスティーニは年間売上高も五十万ドル足らず。もちろんまだ黒字は出ていなかった。 しかし私たちは、創業者シンヤ・アカミネ(日系アメリカ人、ルーツは沖縄)の才能とエネルギーに賭けて同

    pho
    pho 2007/09/15
    長いスパンでとらえないといけない仕事。
  • フォーサイト3月号フォーサイトスタイル

    木田泰夫(四一)はアップルひと筋、生粋のアップル人である。木田の存在なくしては、マッキントッシュの日語環境がここまで進化することはなかった。日本語入力プログラム「ことえり」、その下に隠れている「日語文章を最小単位に分解する形態素解析システム」、デジタル・フォント業界の古い構造を打破するための「ヒラギノフォント」のマッキントッシュ標準搭載など、ここ十数年のアップル日語環境の発展は、すべて木田のリーダーシップによるものである。 東大農学部生物化学科でバイオテクノロジーを究めようとしていた木田は、学者としてのキャリアをエイズ研究からスタートすることまで、決まっていた。一九八九年のことである。 「でも大学院進学を前に、当にこの道でいいのかな、と突然悩み始めてしまったんです。そしてある日一晩悶々と考え続けた結果、よしコンピュータにしようって。それもこれからはパーソナル・コンピューティ

    pho
    pho 2007/09/05
    「移住ではなく引越し感覚で世界に出ればいいんです」肩肘張ることはない
  • シリコンバレーからの手紙 - 英語圏の「独走」を許す「パブリックな意識」の差

    五月三十一日、アップルが「iTunes U」というサービスを開始した。スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校、マサチューセッツ工科大学(MIT)など全米の大学の講義(音声、ビデオ)を無料配信するサービスである。ここ五年でアップルは、「iTunes」と「iPod」の組み合わせによって音楽に関するプラットフォームを押さえた。それと同じ仕組みを使って私たちは誰でも(その大学の学生でなくたって)、全米トップクラスの大学の授業を好きなだけ「iPod」にダウンロードして、いつでもどこでも音楽を聴くように講義を受けることができるのである。 百聞は一見にしかず。誌読者はぜひ「iTunes U」にアクセスして体感してみてほしい。この講義ライブラリは今後五年から十年でどんどん充実していくに違いないのだが、それがどれほど素晴らしいことか、わくわくした気分になりませんか。 大学の講義内容をネット

    pho
    pho 2007/07/25
    単純にハンディともいえないんじゃないかな。100年前より格段に情報が手に入れやすくなっても、やる人はやるし、やらない人はやらないし。やる気ある人の割合はあんまりかわらなそう。
  • 梅田望夫、平野啓一郎 『ウェブ人間論』|新潮社 書評(2) ウェブを面白がる年寄りが面白がった二人の対談 養老孟司

    ウェブなんて話題に、そもそも年寄りが口を出すものではない。それならなぜお前が口を出すんだよ。だって書評を頼まれたから、仕方がないじゃないか。それに同じ年寄りでも、私みたいなオタクの年寄りには、ウェブほどありがたいものはない。テレビなんてものを見ているより、はるかにマシな気がする。ところでウェブってなんだ。そう思った人は、インターネットを考えてくれればいい。それでわからなければ、メール。それでもダメなら、もう知らない。 時代というものがあって、いまの時代は年寄りが威張る。そのつもりはなくても、生きている以上、ジャマになるのは仕方がない。そんな時代に若い人はどうすればいいか。いちばんまともな生き方は、年寄りがダメな世界で頑張ること。ならばウェブは格好の分野ではないか。 だからこの『ウェブ人間論』は、『ウェブ進化論』を書いた四十代の梅田望夫と、三十代はじめの作家、平野啓一郎の対談になっている。と

    pho
    pho 2007/01/30
    ネットに載った先、鈍化した脳化社会、世間のことなんて自然に比べたら取るに足りないってこと?よくわかんない。この人昆虫とかやたら詳しかった気がする。
  • ある若者の「冒険」への小さな不安と大きな期待

    「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)最大手のミクシィと検索サービスのはてな。共に三十歳の社長に率いられ、新世代ネット企業の代表格と目される二社が最近、対照的な道を選んだ。ミクシィは九月十四日に東証マザーズに上場する。(中略) 収益性はすでに高く、上場時の時価総額は一千億円を超すとの見方がある。(中略) 一方、この七月に創業五周年を迎えたはてな。近藤淳也社長は『上場よりもグローバル企業への脱皮を優先したい』と、今月自ら米シリコンバレーに引っ越して英語圏向け事業を始めることにした」(日経済新聞八月二十一日朝刊「経営の視点・台頭する新世代ネット企業」) (株)はてなの経営に取締役として参画してから一年半が過ぎた。その間、常識にとらわれない考え方をする近藤から、私は刺激を受け続けてきた。この新聞記事を例にとれば、創業から五年、せっかく日での事業が軌道に乗ったのだから、その強化

    pho
    pho 2006/10/22
    頭をまっさらにしてよくよく考えてみると自然なこと
  • シリコンバレーからの手紙 - 善・清・可能性を信じる「Web 2.0」の考え方

    「日社会には、若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する『オプティミズム(楽天主義)に支えられたビジョン』みたいなものが決定的に欠けているのではないか。 (中略)シリコンバレーで私は、人生の先輩たちが示すおっちょこちょいで楽天的なビジョンと明るい励ましに、どれだけ助けられ、救われてきたことだろう」 前回の欄で私はこう書いた。いま話題の「Web 2.0」という新語を巡って、もう少しこのことについて考えてみたい。 インターネット時代が到来して十年が経過したが、十年も経てばその意味もずいぶん変わってくる。ならばそこを峻別し、これまでの世界を「Web 1.0」、これからの世界を「Web 2.0」と呼ぼう。シリコンバレーにそんな気運が高まったのが今年の春頃で、今もこの新語の定義を巡る議論が続いている。 「Web 2.0」とは、「ネット上の不特定多数無限大の人々を、受動的なサービス享受者ではなく

    pho
    pho 2005/12/25
    もっと楽天的な評論家がいてもいいと思う
  • セミナーで決意したシリコンバレーへの恩返し

    九月十六日、東商ホールにて「ウェブ社会『大変化』への正しい対応・間違った対応」というテーマのフォーサイトクラブ・セミナーに講師として参加した。私は一般向け講演を何年かに一度しかしないので、五百人を超える聴衆を前にひどく緊張した。誌読者に加え、ネット経由でセミナーの存在を知った若い世代からの応募が数多くあったため、当日の聴衆には著しいばらつきがあることが予めわかっていた。そのことを念頭に、内容や構成を何週間も前から考え、当日話し始める直前まで頭の中でシミュレーションを繰り返していた。質疑応答も含めた二時間はあっと言う間に過ぎていき、終ったときには疲れ果てて、身体にはもう何も残っていなかった。当日の様子を収録したCDが十二月号に添付されて誌購読者のお手元に届くとのこと。どうぞお楽しみに。 講演の最後で私は、六月号巻頭「ウェブ社会『当の大変化』はこれから始まる」で詳述した「大変化」に対応

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    pho 2005/11/21
    ネガティブではなく楽天的なビジョン
  • 夢を実現させてくれたわが「バーチャル研究室

    学生時代の夢は、学問の研究をずっと続けて大学に残ることだった。しかし実際には、さまざまな偶然が重なってビジネスの世界に転じ、そして日を離れ、そんな昔の夢などとは縁遠い世界で生きている。 なぜ大学に残りたかったのだろう。たしかに勉強や研究が好きだったし、学問の世界で某かの業績を残したいという野心もあったが、質的なところでは「自分の研究室(ゼミ)を持って、学生たちと一緒に知的生活を送る」という「日々の在り様」に強く惹かれていたのである。ずいぶん遠い世界に来てしまったから、あれは叶わぬ夢だったのだなぁと、ふと五、六年前に思ったのをよく覚えている。 ところが、である。凄いことに私は今、ネット上に「バーチャル研究室」を持ち、業のビジネスを営む傍ら、極めて充実した知的生活を送るに至っているのだ。生計はビジネスで立てているから、「バーチャル研究室」での知的生活からの収入はないが、大学での「雑用

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    pho 2005/10/17
    研究室というのは思いつかなかったけど言われてみるとなるほどと思える
  • シリコンバレーからの手紙 - ウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まる

    「チープ革命」が生む方向性 情報技術(IT)が社会に及ぼす影響を考える上で絶対に押さえておかなければならないことがある。インテル創業者ゴードン・ムーアが一九六五年に提唱した「ムーアの法則」に、IT産業は四十年後の今も相変わらず支配され続けており、これから先もかなり長い間、支配され続けるだろうという点である。 もともとは「半導体性能は一年半で二倍になる」というシンプルな法則だったものが、現在は広義に「あらゆるIT関連製品のコストは、年率三〇%から四〇%で下落していく」という意味に転じた。新しい製品分野が登場してすぐは「こんな機能もほしい」 「もっと高い性能を」「より使いやすく」という顧客ニーズが多いから、製品価格が下落するのではなく、同じ価格の製品の機能・性能・使いやすさが向上していく。しかしその製品分野が十分成熟し、顧客にとって「必要十分」の機能が準備されると、一気に価格下落が急となる

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    pho 2005/06/18
    変化を読んでどうアクションをするかが重要そうだ
  • web kikaku

    三月二十八日に「(株)はてな」という変な名前の会社の取締役(非常勤)になった。「はてな人力検索」(どんな質問でも普通の文章で問いかけると会員の誰かが回答してくれるコミュニティ)、「はてなダイアリー」(ウェブ日記)、「はてなアンテナ」(ウォッチしたいサイトの更新状況を定期的にチェック)といったサービスを手がける日のネット・ベンチャーである。創業から四年足らず、二十代ばかりの社員九名の、まだまだちっぽけで、吹けば飛ぶような会社である。でも「ちょっと頼まれたから」的な中途半端な参画ではなく、一九九七年にミューズ・アソシエイツを、二〇〇〇年にパシフィカファンドをそれぞれシリコンバレーで創業した時と同じくらい真剣に考えて、同じくらい大切な決心をした結果である。 二〇〇一年九月十一日の同時多発テロから三カ月ほどたったとき、連載第六十四回(二〇〇一年十二号)で、「九月十一日という日が自分の前半生と

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    pho 2005/05/23
    願わくは二極化の上でありたいものだ
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