約28年前に結婚して、実家を出てから、当時の夫がほとんど料理をしない人だったので、それから強制的に料理主担当になりました。そこから今日まで、日々料理と格闘していたのですが、まぁ、料理本やレシピをみないで料理ができるようになったのが、ここ10年くらいです。 で、なぜその辺からできるようになったかというと ×個別の料理を覚える ○料理のロジックを覚える というように、料理の覚え方を変えたからです。 昔は、クックパッドがなかった時代ですが、似たような料理大全みたいな本から、いつも材料の逆引きで、料理写真と材料、それにそういった本の指示の調味料や料理分数を常時参照しながら料理をしていました。 でもそれだと、まるで アルクの英会話集を見ながら英語を話している観光客 みたいな感じで、いつまでも自由に料理語が話せるようにならないのです。作れるものは作れるけれども、作れないものは作れない。 そこでちょっと
発達障害を「本人が努力すれば治る」と思っている人間があまりにも多い…この現実や偏見に様々な意見 - Togetterまとめ 読みました。こういう話はとてもよくわかるのですが、発達障害者として30年以上生きてきて、理解や配慮を求めるのは日本ではとても難しく、また最近ますます難しくなってきているなと思います。 発達障害は、例えばADHD一つとっても「脳内の神経伝達物質の量が健常者よりも少ない」という明確な原因が存在するので、概念とかそういった抽象的なものでは全くない、ただ本人の障害の度合いや周囲の環境によってそれが大きな障害にもなりえるし、本人の努力でカバーできるレベルの障害にもなりえるし、特段大きな支障もなく過ごせる場合もある、この不確定要素のせいで理解を進めることが難しい 「マジョリティの何倍も努力してようやく適応出来るかどうか」という人間をどう評価するか、という問題です。 大抵の場合一般
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