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2014年9月9日のブックマーク (3件)

  • litterature7

    古典文学研究家 ルネ・シフェール(Rene Sieffert) 氏 追悼記事    Le Monde 2004年2月26日版 掲載  Francois Mace 著 恭子意訳   日文学研究者ルネ・シフェール氏は、かねてから患っていた糖尿病の悪化により、二月十三日に フランス南部のオーリアックで亡くなった。 1923 年8月4日、モーゼル州の Achen で生まれた彼は、享年八十一歳であった。 初めはアルザス州のストラスブール大学で数学を学んだが、第二次大戦前夜の世情により大学が退避したクレルモンフェランの地で、反ユダヤ法ゆえにパリを追われていた 師のシャルル アグノー (Charles Haguenauer) 氏に出会った。 この師こそがフランスにおける、近代日学の創始者だったのである。 ルネ・シフェールは、こうした非常体制下で日語の勉強を初め、1946 年にパリの東洋言語学

  • 『町名由来板「神田旅籠町」と「伊勢丹発祥の地」の碑と明治元年の昌平橋の写真』

    ( ´・ω・) 由来版のある場所は、昌平橋の手前(秋葉原側)です。画像はクリックで拡大します。町名の通り、江戸時代初期には旅籠が軒を連ねていました。ちなみに、江戸東京博物館に神田旅籠町の山車のミニ模型があります。 ( ´・ω・) そして、今では撤去されてしまって見ることのできない(現在は創業家に保管されているようです)伊勢丹発祥の地の碑の写真(場所は不忍通りに面したところ。昌平橋~神田明神下交差点の間の電気街の裏通りの一つ。2005年撮影)。伊勢丹は1886年に伊勢屋丹治呉服店として神田旅籠町に創業したそうです。 リンク:伊勢丹HP 伊勢丹の歴史  (1901年頃の伊勢屋丹治呉服店の写真を見ることができます) ( ´・ω・) 江戸時代の神田旅籠町には、「藤岡屋日記」 の藤岡屋由蔵 (須藤由蔵。『由は人の噂で飯をい』と川柳にも詠まれた情報通の「御記録屋」屋由蔵)が長らく住んでいました

    『町名由来板「神田旅籠町」と「伊勢丹発祥の地」の碑と明治元年の昌平橋の写真』
    pirachan
    pirachan 2014/09/09
    谷崎作品絡みでチェック。谷崎の父方の実家である玉川屋があった旅籠町。『瘋癲老人日記』に伊勢丹が出てくる理由か。
  • 信松尼 - Wikipedia

    信松尼(しんしょうに、永禄4年(1561年) - 元和2年4月16日(1616年5月31日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。甲斐国の戦国大名である武田信玄の四女(諸説あり)。出家前の名は松姫(まつひめ)[1]。母は側室の油川夫人。同母の兄弟姉妹には仁科盛信(五郎)、葛山信貞、真理姫(木曾義昌室・母は三条の方とも)、菊姫(上杉景勝室)らがいる。 生涯[編集] 誕生[編集] 甲斐の生まれ。 初見史料は永禄8年(1565年)5月で、信玄が富士浅間大菩薩(冨士御室浅間神社)に対し息女の病気平癒を願った願文が見られ、これが松姫ではないかといわれる(姉の黄梅院であった可能性もある)。願文は原が富士吉田市の御師家に、写しが同市北口宮冨士浅間神社に伝わる。原は富士吉田市歴史民俗博物館が所蔵[2]。 織田信忠との婚約成立[編集] 永禄年間に武田氏は尾張国の織田氏と接し、信玄の世子・勝頼の

    pirachan
    pirachan 2014/09/09
    谷崎作品絡みでチェック。“異母姉の見性尼(見性院)と共に会津藩初代藩主・保科正之を誕生後に預かり育てている。” 小滝穆氏が松子夫人を「お松の方」と影で呼んだのには、いろいろな意味があるのではないか。