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  • 津田梅子・不自由な「母国」で道を切りひらいた女子留学生 - そういちコラム

    明治4年、数名の少女が国費の留学生として米国に渡りました。その最年少が6歳の津田梅子(つだうめこ、1864~1929、元治元年~昭4)でした。彼女は通訳である藩士の娘で、父親は自分の娘に特別な教育(完全な英語力など)を与えたいと考えたのです。 津田梅子は(ご存じかと思いますが)後の津田塾大学を創設する人物です。2024年から発行される5000円札には彼女の肖像が用いられます(8月16日は、彼女が亡くなった日)。 渡米の11年後、17歳の梅子はともに留学した女子1名と帰国しました(あと1名は前年に帰国した)。 一緒に渡米した女子の留学生はほかにも何人かいたのですが、異国の環境に適応できず(梅子たちよりも数歳ほど年齢が高かったせいもある)、早いうちに留学を断念しています。梅子はステイ先のアメリカ人家庭になじみ、大切に育てられました。 最初の女子留学生である梅子たちでしたが、帰国後、政府は「日

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  • 第二次世界大戦の犠牲者数・最も犠牲が多かった国は? - そういちコラム

    第ニ次世界大戦(1939~1945)による死者は、世界全体で軍人(戦闘員)2305万人、民間人3158万人、合計5400万人余りにのぼりました。これは、第一次世界大戦(軍人・民間合計で約1800万人)を大きく上回るものでした。 *ウッドラフ『概説現代世界の歴史』ミネルヴァ書房、2003年、原著1998年、213ページ(Robert Goralski編 World WarⅡ Almanac からの引用) ただし、大戦争の被害・犠牲を正確にとらえるのは困難なことであり、死者数については諸説があります。 以上の「軍人・民間合計で5400万人(5000~6000万人)」は、重要で基的な数字です。しかし「古典的な、手堅い推計による数字」といえます。 *** 近年の研究では、第二次世界大戦による死亡者を従来よりも大きくカウントする傾向があります。 「古典的な数字」はカウントの対象を「戦闘と、虐殺など

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  • ビッグモーターと前社長にこれから起きることは?「許認可」に注目 - そういちコラム

    昨日、ビッグモーターの不祥事(自動車保険の不正請求など)について、テレビのワイドショーで「創業者の前社長に対し、どのような責任追及が可能か」を解説していました。 私は会社員時代に、法務・コンプライアンス関係の部署にいたことがあったせいか、こういう企業の不祥事には関心があります。 ワイドショーで述べていたのは、要するに「“前社長への”責任追及には、いろいろむずかしい面がある」ということ。 たとえば「詐欺罪については、“詐欺による利益が前社長にどれだけ帰属するのか”などが不明確なので、立件がむずかしい」といったことを弁護士が述べていました。 民事上の請求も考えられますが、今回の不祥事で、支払いの責任をまず負うのは不正な行為をした社員もしくはビッグモーター(以下同社)という企業です。 ただし、同社が前社長に対し、会社が責任を負って支払った分について支払いを求めることも考えられます。しかし、同社の

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  • すぐれた読みやすい自伝・坂本龍一『音楽は自由にする』 - そういちコラム

    今年3月に亡くなった坂龍一さん(1952~2023)の自伝『音楽は自由にする』(新潮文庫)を読みました。2009年に新潮社から出版された単行を、つい最近(2023年5月発行として)文庫化したもの。 編集者の鈴木正文さんを聞き手として坂さんが語ったことを、インタビューとしてではなく、「ひとり語り」としてまとめています。 書は、1人の音楽家の歩みを生き生きと伝える、すぐれた自伝だと思います。「現代日人の自伝」の傑作といえるかもしれません。 そして、きめ細かく編集された、読みやすいです。たとえば、各章がかなり短く区切られているのは、多くの人にとって読みやすいはず。 また、坂さんが接したさまざまな人物(ミュージシャン・芸術家・作家・思想家など)とその作品や、昔の社会的な出来事が出てくるのですが、それらを各章の末尾の注釈で説明しているのは親切だし、勉強にもなります。 *** このから

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  • チャップリン・独創ではないからこそ長く残った - そういちコラム

    山高帽、ダブダブのズボン、大きなドタ、ちょびヒゲ。「喜劇王」といわれた俳優・映画監督チャーリー・チャップリン(1899~1977、イギリス出身、おもにアメリカで活躍)のおなじみの扮装です。 でも、この扮装は彼の独創ではありません。その各パーツは、当事人気のあったコメディアンの影響を受けたものだといいます。 研究家によれば、ズボンと帽子は誰から、は誰から、ヒゲは誰から、というふうに特定できるのだそうです。 「独創ではないからダメだ」というのではありません。ただ彼は、いきなり生まれた天才などではなく、先輩たちの遺産を集大成した存在だった、ということです。 独創ではなく、多くの先人の肩に乗っていたからこそ、高いレベルのものを生み出し、長く残った、ともいえるのです。 どんな分野でもとくに大きな仕事をした巨匠の多くは、一点突破的に鋭い独創性を発揮した人ではなく、その分野の「集大成」をした人ではな

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  • 久しぶりに(テレビで)野球観戦・ムダな時間を心ゆくまで楽しむ - そういちコラム

    今回のWBCで、私は久しぶりに野球の試合を(テレビの中継ですが)心ゆくまで楽しみました。 今50代後半の私は、子どもの頃(1970年代~80年頃)には、よくプロ野球のナイター中継をみたものです。とくに野球ファンというわけではなかったのですが、野球をテレビでみることは、日常的なあたりまえの楽しみの一つでした。そしてスポーツ観戦といえば、まず野球だったのです。 でも社会人になって忙しくなると、野球をみなくなりました。とくに30代以降、会社勤めの仕事以外にも自分の好きなことでいろいろ活動するようになってからは、そうです。 大人になってからの私には「スポーツ観戦は、時間のムダ」という意識がつねにありました。 スポーツ観戦は自分が何かを生み出す活動ではないし、自分の関心のある分野(たとえば著作を出版したこともある世界史など)とも関係がありません。人がやっている野球の試合に3時間も4時間もつき合ってい

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  • ベンジャミン・フランクリン 近代社会を精いっぱい生きた最強の独学者  - そういちコラム

    1月17日は、ベンジャミン・フランクリン(1706~1790、アメリカ)の誕生日です。 フランクリンは、ワシントン、ジェファーソンと並ぶアメリカ独立の功労者で、電気学などの科学研究や、さまざまな社会事業で活躍しました。哲学や社会科学の分野でも業績があります。 そして、アメリカでは最もおなじみの偉人の1人で、100ドル紙幣の肖像にもなっています。 しかし、日では「凧をあげる実験で雷が電気であることを確かめた人」というイメージがあるくらいで、それ以上のことを知っている人は少ないかもしれません。 *** フランクリンは、家庭の事情で10歳までしか学校に行けませんでした。しかし、を読んで独学し、また印刷工(最初は丁稚奉公)として働くなかで、仕事で扱う活字の文書を読むなどして勉強を続けました。 なお、当時の印刷業というのは、現代でいえばITのような先端的な産業で、「情報産業」の元祖ともいえるでし

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  • いつまでもいると思うな・高橋幸宏さんの言葉 - そういちコラム

    「いつまでもいると思うな高橋幸宏」――これは先日亡くなったYMOの高橋幸宏さん自身が数年前に述べた言葉です。 2016年11月に、バンドMETAFIVEの一員として生出演した朝のワイドショー『スッキリ‼』で、高橋さんはそう言っていました(どんな文脈だったかは忘れた)。 高橋さんの訃報を伝えた今朝の『スッキリ‼』で、過去の出演のVTRが流れていましたが、この発言は取り上げられていませんでした。でも、2016年の放送をみた私は、印象的な言葉として記憶しています。 そして、自分が子どもの頃や若い頃に慣れ親しんだ有名人、あるいは大切な人が亡くなるたびに、この言葉――「いつまでもいると思うな(〇〇さん)」を思い出してきました。 昨年、今50代後半の私が子どもの頃からその活躍に接してきた、藤子不二雄Aさん、アントニオ猪木さん、アニソンの帝王・水木一郎さんが亡くなったときも、まさにそうでした。 しかし、

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  • 「初詣」の歴史・じつは鉄道が生んだ新しい伝統 - そういちコラム

    今年の初詣は、歩いて10分ほどの近所にある小さな神社に、元旦にお参りしました。 その神社に初詣に行くのは初めてのことで、「小さな神社だから空いているだろう」と思っていました。 しかし、かなりの人たちが(おそらく近所から)集まって行列になっていました。お参りするまで20分くらいは並んだでしょうか。 そういえば近年は、コロナ禍の行動制限や自粛の影響もあってか、テレビで「電車でお参りに行くのではなく、近所で済ませては?」と述べるのを何度か見聞きしました(行動制限のない今年の正月は、それはあまりなかった気もしますが)。 さらにその背景的な知識として、「江戸時代には近所でのお参りが普通で、遠くまで初詣に行くことは、明治以降の鉄道の発達で普及した」と解説していることもあります。 私の棚に、平山昇『鉄道が変えた寺社参詣』(交通新聞社新書、2012)というがあります。平山さんのような研究は、テレビで述

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  • 【新年の名言】星新一 ことしもまたごいっしょに宇宙旅行をしましょう - そういちコラム

    星新一(作家、1926~1997)がある年に友人たちに送った年賀状にはこう書かれていたそうです。 ことしもまたごいっしょに九億四千万キロメートルの宇宙旅行をいたしましょう。これは地球が太陽のまわりを一周する距離です。速度は秒速二十九・七キロメートル。マッハ九十三。安全です。他の乗客たちがごたごたをおこさないよう祈りましょう。 (『きまぐれ博物誌』角川文庫所収のコラム「思考の麻痺」より) 年賀状がまるでショート・ショート(超短編の小説)ですね。 この「名言」の年賀状が書かれたのは、1960年代の終わり。引用元のコラムに“先日、三億円を巧妙に奪取した事件があり”とあるので、昭和の有名な犯罪「三億円事件」があった1968年頃のようです。 昨年(2022年)の後半に、地球の人口は80憶をこえました。星のこの年賀状が書かれた時代――1970年の世界人口は37億人でしたから、50年余りで2.2倍に増え

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  • 2022年の世界と日本と当ブログをふり返る・「生き残りたい」 - そういちコラム

    2022年最後の更新です。今年の世界・日の出来事をふり返りながら、その出来事についての当ブログの記事を紹介します。そこで「当ブログの2022年のふり返り」でもあります。 もくじ ロシアによるウクライナ侵攻 安倍元首相殺害 中国における新型コロナ対策 防衛費増額・物価上昇――これまでのパターンが終わる? 今年亡くなった人・いつまでもいると思うな 「シン・ウルトラマン」と社会の変化の減速 小熊『論文の書き方』 魚豊『チ。』 レジー『ファスト教養サッカーワールドカップ さいごに・「生き残りたい」 ロシアによるウクライナ侵攻 まず「最大の衝撃」といえるのが、2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻(ウクライナ戦争)でしょう。 このブログは世界史や社会のことをメインのテーマにしているので、当然ながらいくつか関連の記事をアップしました。 そして、泥沼化の様相を帯びてきたところで「

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  • お金を使うのはむずかしい・防衛予算増額のこと - そういちコラム

    防衛予算の増額については、今の日周辺の情勢だと、一定程度はやむを得ないと、私も思います。しかし心配なのは、「増額した予算をうまく使えるか?」ということです。 アジア・太平洋戦争における日軍は、軍事費の使い方が上手ではなかったようです。その象徴は戦艦大和のような、当時時代遅れになっていた巨艦に莫大な予算・資源を投じたことでしょう。 アジア・太平洋戦争についての研究者のなかには、「日軍はアメリカの圧倒的な物量に負けた」「不利な状況で善戦した」という見方に異をとなえる見解もあります。吉田裕さん・森茂樹さんは共著のなかでこう述べています(以下、引用箇所の執筆分担は吉田さん)。 “…実のところは、日軍には「弱いなりの戦い方」ができなかったというのが真相である。敵にくらべて国力がはるかに貧弱なのだから、その乏しい力をいかに効率よく、合理的に使って戦争目的を達成するかを考えなければならないのに、

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  • 歴史と偉人の話が満載の『そういちカレンダー2023』をつくって販売しています - そういちコラム

    私そういちは毎年、歴史や偉人、社会などに関する記事がぎっしり詰まった、雑誌感覚の「読むカレンダー」をつくって『そういちカレンダー』という名称で販売しています(下の画像、現物はB5サイズ)。 これをトイレの壁とか、家族や仲間が立ち止まって読むようなところに貼ってもらえるといいと思います。周りの人との共通の話題や、「話のネタ」「考えるきっかけ」を得られるはずです。 2014年版から制作していて、今回で10年目(ずっとほぼ同様の仕様です)。このカレンダーづくりは、私にとって「1年のまとめ」のような活動です。記事の内容のかなりの部分は、このブログの記事を編集したもの。 イラストも含めた原稿作成、編集レイアウト、さらに印刷も商品の発送も自分でやっています。結構エネルギーを費やしております。 とくにお金になるわけでもない、要するに趣味。でもそれが10年続いている。 *** 変わったカレンダーですけど、

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  • 「職業教育を重視した多様な学校教育」を60年前の政府は考えていた? - そういちコラム

    先日友人と、社会や歴史についての長時間の会話をしていて、日教育の話題になりました。友人はこんなことを言いました。 「同じような学校教育を、大半の子どもたちが小学校から大学まで10数年間も受け続けるなんておかしい」 「多くの子どもたちは、高校や大学に進むんじゃなくて、早くに社会に出て働くか、職業の訓練・修行をしたほうが、よほど充実するんじゃないか」 「その一方で、資質のある子どもには然るべき教育をして、社会を引っ張るエリートを育てるべきだと思う」 これは、教育制度を論じるときの用語でいえば、現状の「単線型」ではなく、「複線型」にすべき、ということです。この考えに対し、私は今のところ明確な賛否の意見を持っていないのですが、まずはこの友人の考えについて整理します。 *** 今の日が「単線型」というのは、圧倒的多数が「職業科」ではなく「普通科」の高校へ進学し、高校卒業後は過半数が、専門性の希

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  • 今日の名言 葛飾北斎 70歳までに描いたものは取るに足りない - そういちコラム

    【今日の名言】葛飾北斎(江戸時代の絵師・1760~1849) 私は6歳のころからモノのかたちを写す癖があり、50歳のころから多くの作品を発表してきたが、70歳までに描いたものは取るに足りない。 己(おのれ)六才より物の形状(かたち)を写すの癖(へき)ありて半百の比(ころ)より数々(しばしば)画図を顕すといへども、七十年前(ぜん)画(えが)く所は実に取に足(たる)ものなし。 *** 旧暦9月23日は、葛飾北斎(1760~1849)の生まれた日。 葛飾北斎の伝記などを読んで、私が「そうだったのかー」と感心することのひとつに、北斎がじつに「大器晩成」だったということがあります。 北斎の一番有名な作品である『富嶽三十六景』やそれに準ずる『富嶽百景』は、70代のときの作品です。 つまり、北斎の画業において50歳くらいまではじつは助走期間であって、全面的に開花するのは60~70代以降だったのです。そし

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  • 勉強というのは、結局は独学しかない - そういちコラム

    大人になってからの勉強は、結局のところ全部独学です。大人になったら、手とり足とり教えてくれる人は、もういません。書物や専門家といった情報のありかへ、自分で問いかけ働きかけていくしか、方法はありません。 勉強に必要な条件は、自分自身の意欲を別にすれば、ふたつだけです。必要な情報にアクセスできること、情報や意見を交換する仲間がいることです。 学校は、「情報」がアクセスしやすいように集まっている場所です。質問すれば先生は答えてくれるし、勉強する仲間が集まっていて、話ができます。 学校では「情報」も「仲間」も、たいした努力なしに手に入ります。そして設備や道具もそろっている。 だから学校は、行く値打ちがあるのです。行けるのなら、学校へは行きましょう。 そして会社などの職業の世界にも、学校のように「情報と先生・仲間がそろっている」ことがあります。 でも、情報や仲間が手に入るのは、学校や職場だけではあり

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  • 独特の発達を遂げたヨーロッパのパンの美味しさ・世界のパンの大分類 - そういちコラム

    今朝は、昨日買ってきた、たまに買っている専門店のパンを朝にしました。 ヨーロッパ風の、歯ごたえのある、パンの風味をかみしめるようなパン。パンを味わうことがメインなので、パンのほかには、野菜スープとチーズを少々、あとはコーヒーだけ。 私は基的にはご飯党なのですが、たまにべる、こういう美味しいパンも大好きです。しっかりとした上質なパンには、べる喜びが詰まっている感じがします。 *** そして「パン」というと、私たちがまず思い浮かべるのは、ヨーロッパ(欧米)のパンです。街のパン屋さんで売っているのは、だいたいヨーロッパ型のパンか、それをアレンジしたもの。 でもそういうパンは、世界のパンのなかでは、特殊なもののひとつにすぎません。 以下、舟田詠子さんの『パンの文化史』(講談社学術文庫)を典拠にして、世界のパンについて簡単に述べます。 *** 世界のパンは、大きく分けて「無発酵パン」と「発酵

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  • 今日の名言 ナポレオン 6万の兵に私が加われば…… ナポレオンの功績は何? - そういちコラム

    【今月の名言】ナポレオン・ボナパルト(近代フランスの基礎を築いた軍人・政治家、1769~1821) 6万の兵に私が加われば、16万の兵力に相当する。 1814年に、敵であるヨーロッパ諸国の連合軍25万に対し6万の兵力を率いて戦い、勝利したときのナポレオンの言葉。6万で25万に勝ったのだから、すごい。 すぐれたリーダーは、チームの力を2倍増し・3倍増しにする。ダメなリーダーは、6万の兵を1万相当の兵力にしてしまうかも。 (ティエリー・レンツ著、福井憲彦監修『ナポレオンの生涯』創元社、遠藤ゆかり訳より) ただし、このときナポレオンは戦場では勝利したものの、その後まもなく、戦いのために留守にしていた首都パリを敵軍に占領されてしまいます。 これは、ナポレオン軍の作戦計画を記した機密書類がアクシデントで敵の手に渡って、「ナポレオンの軍勢はパリには当分戻ってこない」のが知られたことが大きく影響していま

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  • 小松左京のSF短編「地には平和を」・本土決戦が行われたパラレルワールド - そういちコラム

    SF作家・小松左京(1931~2011)の最初期の作品に「地には平和を」という中編があります(文庫版で50ページほどの長さで「短編」ともいえる。角川文庫『地には平和を』所収)。 太平洋戦争をテーマにした作品で、1960年(昭和35)に書かれたものです。 この作品の舞台は、1945年(昭和20)夏から秋にかけての日。そこでは8月の終戦を迎えることなく、土決戦(日に上陸した米軍などとの戦い)が行われている。 そのような、実際とは異なる歴史を歩んだ「パラレルワールド」を描いた、SFの古典です。 *** そのパラレルワールドの日では、予定されていた8月15日の玉音放送は中止となりました。そして、「事故」によって急死した鈴木貫太郎首相に代わって新たに首相となった阿南惟幾(あなみこれちか、鈴木内閣の陸軍大臣)による、土決戦に向けた演説が放送されます。 これは、降伏を拒否して徹底抗戦を主張する

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  • 大原孫三郎と「大正の社会実験」・知恵とセンスと想いを込めてお金を使う - そういちコラム

    7月28日は、大正~昭和初期の実業家・大原孫三郎(1880~1943)の誕生日です。 大原は地元の倉敷(岡山県)で、親から受け継いだ会社(倉敷紡績など)を経営しながら、孤児院、社会問題の研究所、総合病院、美術館などの社会事業を手がけました。 大原がおもに活動した大正期は、明治における近代化の基礎に立って、一部の恵まれた人たちが、福祉や文化の向上をめざすさまざまな試み――社会実験といえるものを行った時代でした。 たとえば大正デモクラシーは、そんな社会実験の一部といえます。「画一的教育の打破」「子どもの個性や創造性を生かす」ことをテーマにした「大正自由教育」の運動もありました。 明治国家は、政府による社会政策には冷淡でした。公共の文化施設はまだ皆無。明治末になっても、図書館は少なく、格的な美術館はなかった。 大正時代は、文化・福祉の向上に必要な「公のサービス」をつくりだす運動が、民間で行われ

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